第46回 償えない人々  (緊急特別寄稿
 


 国、社会、家庭の基礎を形づくり、その質と内容を決定するのは、そこに生きる人々の公民意識、公共財意識に帰結する。それは、いろいろな角度から、幾度となく、このOUTで述べて来ている。

 ギリシャの市民社会の形成から、あるいは、フランス革命という市民革命による共和国家の誕生から、我々は、社会や国家を形成する上で、国を形づくる基本に、公民意識、公共財意識が不可欠だということを学んでいる。

 同時に、その公民意識、公共財意識が国家と国家の衝突の要因ともなり、他者性を乗り越えるべき、公民意識が、逆に、他者性という壁を生んでいるということも論じてきた。

 それを念頭に置いて、いまの日米関係の真相を考えてみよう。

 戦後、日本において、政権を担当する、担うということは、アメリカという他者性をどういう生きるかで決定されてきた。

 政権交代によって、鳩山政権が、戦後初のアメリカからの自由を標榜し、実際に日米安保条約の見直し、引いては沖縄の基地問題の抜本的な転換を模索した。東アジア構想もその象徴。

 高校生の頃、佐藤栄作の非核三原則は詭弁だと批判してきた人間にとって、政権交代によって明らかになった、核持込の密約と外務省の資料隠蔽工作は、それ見たことかと当時の指摘の正しさを証明すると同時に、それがアメリカという国であり、この国の政権が傀儡政権であることを、新ためて明白にし、日米双方の他者性のあり方を雄弁に語った。

 だが、戦後65年の間に、徹底的に研究され尽くし、この国の権力の脆さ、弱さを意図して工作してきたアメリカ支配の構図は容易に駆逐できていないし、されるものではない。

 それどころか、この国の短絡で、直情的な国民感情のコントロールこそが、この国の権力をどのようにも操作できるキーワードであることを知るアメリカ政府は、自国の国家戦略として、様々な手段と方法で、日本国民へのマインドコントロールを続けている。

 アメリカ政府の日本に対する他者性の戦略は実は、それほど複雑ではない。

 大衆意識の操作では、その直情的な感情をもっともよく知り、そのコントロールの手法において随一ともいえる巨大宗教団体や政教分離に反した、その丸抱え政党と背後でつながり、大衆操作が一番やりやすいポイントを押えている。

 新聞、テレビ、雑誌、報道バラエティといった大衆を操作することが容易なメディアに会員やシンパを送り込み、裁判所、検察、警察といった司直、あるいは防衛省には、東大や防衛大学校の学生時代から教団の細胞として動いてきた幹部候補生を送り込む。その30年以上に亙って構築された大衆操作の牙城は、そのままアメリカにとっては、政権を背後で動かす上での絶好のパートナーとなった。

 マグダラの娼婦マリアを救済したときのキリストの言葉。姦淫の罪を犯したマリアに石つぶてを投げる人々に、「この中で、一度も罪を犯したことのないものがいたら、私に石を投げなさい」。に見られるように、叩けば埃が出るのが人というものだ。

 多くの人が、互いの埃を叩き出そうとしないのは、自らも決して完璧ではなく、埃の出る身体だと知っているから。だが、埃の出る身体でも、組織や圧力団体に守られていれば、それをなかったことにするのはそう難しくない。

 スケープゴードになりたくなかったら、組織の、圧力団体の言うことを聞けばいい。そうすれば、いけにえにもされず、逆に、身の保全は守られる。そのバーターの中で、自公連立政権があったし、野に下っても、その密かな恫喝は続いている。

 政権交代した途端に、立て続けに鳩山、小沢が標的になり、本人を起訴できないとなると、それ以外の民主党議員を標的とする。大事なのは、政治家本人を起訴することではない。政権へのダメージを与えることだ。

 それを操作するというイニシアティブを持つことで、中国からも、アメリカからも政権のキャスティングボードを握る団体、政党という保証をもらってきたし、また、中国やアメリカもそれを利用してきた。

 同時に、アメリカ本国では、日本企業の活動への圧力をかける。トヨタのリコール問題は、トヨタ社長の日本を代表する企業の社長とは思えない、アメリカを嘗めた態度や現状認識の甘さにも問題はあるが、それ以上に、日本を代表する企業であるがゆえに、標的にされたという事実がある。その裏には、アメリカから自由になろうとすると、こういう目に遭うぞという恫喝がある。

 民主党が日米安保を含め、戦後65年間、傀儡政権であり続けた枠組みから自由になろうとすればするほど、その政策転換の節目に、アメリカはこうした恫喝を、あらゆる国内の情報操作、自国の情報操作によって突きつけてくる。

 それに翻弄されているのが、いまこの国の大衆だ。この国の大衆は、実に、「正義」が好きだ。自らは一度も正義という選択をしたことがないにもかかわらず。

 だから、小泉などという国を破綻に導いた人間を圧倒的な支持で総理にまでした。それを正義と思い込まされて、自らも思い込み。

 そして、それが間違っていたらしいと気づくと、自公政権にNOを突きつけながら、公民意識、公共財意識が乏しいから、自らが選択した政権を育てるという民主主義の試練を生きられない。

 何度もいうが、叩けば埃が出ない奴はいない。だが、それでも埃を払い、少しでも共に、あるべき民主主義の姿を目指そうとするのが、公民としての生き方なのだ。己の選択に対して、ほとんど責任らしい責任をとろうとしない。

 鳩山や小沢を批判する前に、それを選択し、政権交代を行った大衆自らの選択を自己批判せよ。そうすれば、自らが、どういまの政治と関るべきか、関るのが正しい民主主義の実践であるかが見えてくる。自らを非難せず、政治家を批判すれば、この国は変るのか。

 お手軽な正義はだれにでも語れる。が、しかし。自らの選択した政権を育てるという民主主義の精神は、さほど容易ではない。選択した人間の矜持や精神的な豊かさが要求されるからだ。

 それがないから、簡単にマスコミ操作に踊らされ、検察の行動に同調する。その裏側にあるのは、権力は人を裏切らないという卑屈な隷従意識。

 政治家なんて、権力なんて信じられるかと揶揄しながら、マスコミや司直の動向に実は短絡的に反応する。つまりは、既存の情報という権威や権力は、大衆を裏切るものではないとアホな信仰をまだ捨て切れていない。

 であるなら、非核三原則を標榜しながら、その権威に満ちた既存情報で、この国に核の持込はないと伝えたのは正しかったのか。

 アメリカが、沖縄、横須賀にあった指令本部など有事において重要なシンクタンク機能をすべてグアムへ自ら移し、北朝鮮のテポドンが飛来できない区域に撤退しながら、日米安保によって、日本を守るという詭弁は何なのか。

 アメリカが沖縄にしがみつくのは、日本を守るためではない。

 普天間基地問題をアメリカが怖れているのは、国外に移すという一つの事例を生むことだ。それは、沖縄からのアメリカ軍の撤退の道を拓く。有事において、戦闘機能を最前線に置くことは軍事戦略上の基本。だが、それは、日本を守るためではない。太平洋の自国本土、サイパン、グアムの直前の防波堤となっているのが、日本本土だからだ。

 その結界が突破されれば、グアムといえど、アメリカにとっては本土に直接攻撃を受けることになる。

 ここにアメリカの日本に対する軍事戦略上の他者性がある。

 アフガン、イラクにおける無差別爆撃もしかりだが、かつて、アメリカはなぜ、日本に原爆を投下できたのか。無差別都市爆撃をあれほど執拗なまでに実施できたのか。いやいや、ベトナムのナパーム弾攻撃や枯葉剤の散布がどうして、いともたやすくできたのか。

 簡単なことだ。中東の人々も、アジアの人々も、人間と考えていないからだ。極東の黄色い顔をした自分たち人間とは別の生き物。だからこそ、何の苦渋の選択もなく、それができる。それが、世界でマイノリティである、アングロサクソンの他者性の本質的な姿だ。

 それと迎合し、傀儡化され、隷従してきた65年の自民、及び自公連立政権。それは、かつての言葉でいえば、国民を、国を売った、売国奴の政治であり、売国奴であることで、利権や甘い汁を吸ってきた、愛国心のかけらもない、国賊に過ぎない。

 しかし、この国の大衆は、その国賊たちによって画策される情報操作に赤子の手をひねられるように、踊らされている。

 自己批判をすることもなく、自らが選択した政権を育てるという民主主義の精神もなく、単に印象や情感に訴えられただけで、政治から逃亡し、この国の政治は腐っていると、腐っている自分たちのオツムの低さを自覚しない。

 自らが選んだ小泉によって、この国は破綻した。もっといえば、戦後65年のパラダイムから自由になれないことで、この国の矜持と、子どもたちの未来を反故にしている。

 大人がつくったこの国のていたらくに、その罪を償うこともなく、また、今日も明日も、政権批判、政治家批判を国賊たちの情報操作に乗せられて、あたかも正義がごとく語り続ける。

 人々はいまこそ、この問いに答えよ。
 「この国の国民で、一度も罪を犯したことのないものがいたら、私に石を投げなさい」


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