第45回 他者性の喪失                                      


 法の制定とその運用の適正、実効性、有用性とは必ずしも一致しない。

 人々の生活環境の変化、社会生活の価値観の多様性、そして、社会そのものの蓋然性を決める国家の状況や世界情勢の中で、いろいろな齟齬、問題が生まれる。

 そこに法改正や新法が必要になる。必要と感じるのは、時に国民であり、国民を代表する議員だ。しかし、法改正や新法を必要とする国民とはだれのことなのかが、問題だ。

 その声を代弁するという議員の主義主張、社会への視点、国家への視点、世界情勢の捉え方が問題だ。

 国歌国旗法案にせよ、有害情報規制法案にしろ、個人情報保護法案にせよ、時の政権や議員の恣意性や意図性の中で生まれている。

 確かに、郵政選挙でバカ勝ちした自公政権は、大多数の国民の意志によって指示された政権であるがゆえに、そうした法案を恣意性や意図性を持って、議会にかけ、強行採決する権利が与えられていると主張することはできる。

 が、しかし。郵政選挙において、支持されたのは、旧来の自民党政権の馴れ合い政治に対するNOであって、その後のイラク派兵の閣議決定や国家主義による諸々の法案について、YESを表明していたわけではない。

 いわゆるマニュフェストによって、事前に国民に通達され、政権がそうした危険な法案を矢継ぎ早に制定するとは聞かされていない。格差の元凶となった、派遣法においてもしかりだ。

 ことほど左様に、法案というのは、恣意性、意図性によって生まれてしまう危険がある。

 だが、それでいながら、人々の関心や危険度の認識が薄いかったのなぜか。

 いうまでもない、冒頭に述べた、法の制定とその運用の適正、実効性、有用性とは必ずしも一致しない、ということを、大衆が直感し、漠然とながら、理解しているからだ。

 現実に、政権交代という手段によって、この国の大衆は、自公政権に見切りをつけ、約束されていなかった法の無効性を主張した。

 しかし、言いかえれば、法の制定と実行とは、それほど、曖昧なものであるということだ。

 法というのは、ある権利を主張する人間の、その権利のみを守るために生まれるのではない。常に、他者との関係、つまり、他者性の中に生まれる。

 いままでなかった法律を必要とし、いままであった法律の改定を必要とするのは、人々の他者性のあり方、関わり方が変っているからだ。

 だが、法を制定、あるいは改訂する側にも、そして、その新しい立法の恩恵を受ける側にも、いや、その中間にあって、他者性をコントロールする執行機関においても、他者性への認識が極度に薄れてきている。

 基本にあるのは、<法なんて大したことはない>という大衆の何とないマインドだが、人々の生活体験や経験の中に、他者との関わりという蓄積が薄らいできているのと、それは無関係ではない。

 児童虐待防止法、配偶者虐待防止法、高齢者虐待防止法の三法は、行政の縦割り機能を越えて、至難の中でからくも成立した法律だが、法案段階から、その実効性や有用性が疑問視されていた。

 現実に、そうした虐待防止法によって、子ども、女性、高齢者の人権を守ろうとしながら、現実には、幼児・児童虐待の件数も、配偶者虐待・デートDV、そして高齢者虐待、老老介護による道連れ自殺を含め、減少傾向にはない。

 この虐待防止法の実効性の薄さを見れば、いかに、法の制定と実効性との間に解離があるかは一目瞭然なのだが、法を制定する側にも、執行する側にも、そして、その恩恵を受けるはずの側にも、他者性の認識がかけているがゆえに、実効性が覚束なくなる。

 道路整備や箱物の法案などと違い、人間の情動がぶつかるこうした法案には、法案の制定と同時に、法では包み込み得ない、人間の情動に届く、人材育成やシステムの運用法がいる。

 しかし、その人材育成やシステムの運用法を構築するシステムがこの国にはない。つまり、システムを動かすためのシステムがないのだ。

 いや、正確にいえば、システムというより、人々の意識の中に、自己の人権、他者の人権をどう見るかの基本的な教育がない。

 つまり、他者性がないのだ。

 昨今の児童虐待やデートDVによる殺傷事件を見ても、他者とどう関るかの基本教育や生活指導がいかに希薄になっているかがわかる。

 虐待防止法の有効な運用を目指す、所轄担当部署の連携と対応もさることながら、法律を制定して、それでよしとするのではなく、政府、自治体がきちんと法律の実行責任を果たすことが、いま急務になっている。

 そのために、まず必要なのは、法制制度と一見、無縁のように見える、家庭の親子間、学校の生徒、教師間、生徒間、さらには、企業内における他者との関わりのあり方を再教育するシステムだ。

 ダム建設の停止や高速道路無料化の試案、そして、子ども手当てといった対策ばかりでなく、そうした人間の生活の深いところに手の届く政治に取り組むときがきている。

 虐待という人間生活の根源に根付く、感情に手が届かない政治は、いじめを抑止することも、自殺者を止めることも、そして、出生率の低下を抑止することも、できはしない。


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