第43回 裏切られる経験主義


 経験主義は、社会を滅ぼす。

 その典型的な例を、私たち日本人は戦死者数300万人以上という太平洋戦争で経験している。

 だが、過去の歴史的経験によって蓄積された、文化や伝統を疎かにすれば、国も、社会も、地域も、家庭も混濁したカオス状態になり、焦点を失った同心円のように無限空間に拡散、溶解し、人々が寄って立つ基軸を失う。

 そこで、人は、経験主義という、過去の体験と記憶に依存し、それを踏襲することで、世の中の基軸とし、社会のあらゆる枠組みを維持しようとする。それが、とりあえずは、無難に国家や社会、生活の枠組みを維持できる可能性が高いからだ。

 しかし、それは、あくまで、<維持できる可能性が高い>ということに過ぎない。

 なぜなら、国家も、社会も、地域も、家庭も、すべて他者性というものと無縁でいられないからだ。

 実は、有史以来、人類は、この他者性においてしか、国家的、社会的、地域的、家庭的枠組みをつくってきていないし、また、それによって、自分たち人類の歴史的経験を半ば強引に変容させられてきてもいる。

 言い方を返れば、安全であるために選択してきた経験主義に裏切られてきているのだ。

 単純に、青銅器がつくられる以前と以後では、地政学的な他者との関係も変っているし、生活も変っている。大航海時代や産業革命の以前、以後でもそれは大きく変っている。

 第一次世界大戦、第二次世界大戦以前と以後では、世界の構図も変っている。

 つまりは、経験主義の神話に浸っていられるのは、他者性において、地政学的な関係が変らず、また、軍事、外交、政治、文化、物流において、自己の変容も求められないと予測できる範囲の、実に、一瞬のことに過ぎない。

 陸続きで他者性を常に国家、社会が意識せざるを得なかったヨーロッパや多民族の中で社会を形成しなければならなかった、アメリカ、中国、多宗教国家のインドなどは、従って、過去の経験則に、驚くほど寛容であり、経験則に呪縛されるということがない。

 そのため、軍事、経済、政治、文化における世界のパラダイムの変更に、迅速に適応でき、かつ、その時代のパラダイムの地平と未来を感知する力に秀でている。

 それは、治世者や権力者といった特権階級だけのものでなく、市民意識の形成においても、同じだ。

 個々のレベルにおいても、これまでの経験則が裏切られるという現実に度々直面しているため、パラダイムの変更は、歴史的必然であるという自覚が市民のレベルまで浸透している。

 簡単にいえば、社会がひっくり返るという経験値が高いがゆえに、経験則に依存しない訓練ができている。

 民主党連立政権以降、普天間基地問題に象徴されるアメリカとの軍事、外交など、戦後64年、一貫していた安保条約と経済依存によるアメリカとの隷従的関係から、脱隷従の政策転換を図ろうとするたびに、噴出する議論のおおもとには、こうした問題が隠されている。

 アジア主義を鳩山が唱えている段階から、民主党連立政権のあたらな軍事、外交、経済のパラダイムは、いまやアジアに向いている。そして、現実に、世界の主要国にとって、アメリカを軸として、世界秩序を維持するという幻想は、すでに破綻している。

 その証左が、ドバイなど中東における不動産バブルの崩壊と極端なドル離れ現象だ。アメリカ経済が大量の国債を海外の国々に購入してもらわなくては、維持できない状態にあることは自明のことながら、世界のパラダイムの中心に位置できていたがゆえに、アメリカ経済は底力を発揮できていた。

 しかし、いま世界で起きていることは、アメリカを軸とした世界のパラダイムの変更なのだ。それは、実は、世界がひっくり返るほどの大転回期にあるということであり、わが国においては、戦後64年のシステムを根底から変更しない限り、それに対応できない時代を迎えていることを示している。

 だが、それにもかかわらず、政治においても、企業においても、学校教育においても、家庭においても、その大転換が意識されず、変革は求めながらも、実は、その行動と認識は、脳の実に浅い部分に留まり、それが、意識から行動原理など、身体性に変るほどの、インパクトと切実さをもって受け止められてはいない。

 未婚男女の増加と高齢化、子どもをつくりたくないという男女の増加、ニートや引きこもりといった非就労者への考え方、少子化対策、高齢者問題といった、社会に浮上している生活課題においても、普天間基地問題にみられるように、旧来の方程式をそのまま当て込み、それによって、解決できるという愚直さを、依然、繰り返しているのだ。

 マスコミ報道や報道バラエティなどにおけるタレントや識者のコメントを見れば、なんら、この国の人々が、いま直面しているパラダイムの転換に自覚的でないことがすぐにわかる。

 職場における上司の発言や組織の姿の中をみれば、新しい時代の要請に、的確に対応している人材がいかに少ないかがわかる。

 つまりは、裏切られている経験主義を、依然として信奉し、新しい時代の課題に対して、言動を持って実践できる人々が実に少ないということだ。

 改めていう。伝統や文化という歴史的に蓄積された経験は、失ってはならない。が、しかし。新しい時代のパラダイムに応えるために、悪しき伝統や文化に縛られてはならない。

 その解決策は、言うまでもない、自分たちのいまをつくっている、根源にある伝統、文化を誇りとしながら、それを持って、アイデンティティ、自己証明とすることで、他者性に左右されない主張をすることである。それどころか、他者に対して影響力を駆使できる他者性を自らが発揮することにしかない。

 アメリカの恫喝に怖れをなして、唯々諾々と傀儡政権として生き延びるのか、日本人自らが他者性を明確に発揮し、戦後64年の過程で、先の小泉政権以後、完膚なきまでに裏切られててきたアメリカ依存の経験主義に別れを告げられるかどうかは、そこにかかっている。


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