第38回 依存する人々                              


 自尊感情の喪失は、様々な心の障害を生む。そればかりか、対人関係の不具合や齟齬を生み、社会適応能力の成長を妨げる大きな要因ともなる。

 自尊感情とは、自分という人間は価値のある存在だと思える感情のこと。これを育てるための絶対条件は、他者からの承認である。

 承認とは、自分の存在、自分という人間を否定されることなく、かつ、他者と接したいという欲求を抱いたときに、拒絶されることなく、あるがまま、無条件で受け止められた経験によってもたらされる、自己肯定の基礎となるものだ。

 簡単に言えば、辛いとき、苦しいとき、悲しいとき、失敗したとき、挫折したとき、過ちを犯したとき、自分を批判したり、責められるのではなく、自分のやりきれない思いが誰かに共有され、人間として、いまここに生きているというその現実は尊いのだと受け止めてもらえる体験の蓄積である。

「あなたのことを否定しないよ」。「愛してるよ」。「あなたは、あなたでいいのよ」。「辛かったね」といった受け止め方をされることである。

 逆に、自己否定、つまり、自分はつまらない、取るに足りない人間で、他人からも、社会からも認めてもらえない存在なのだ、何をやっても無理なのだ、といった感情を育っててしまうのは、この承認の体験が希薄であるがゆえにもたらされる。

「あなたが、ダメだからよ」。「あなたなんかに、できるわけないでしょ」。「どうせ、失敗するんだから、余計なことしないで」といった拒絶と否定の海に投げ込まれると、人は、自己肯定に転じる手掛かりを失くす。

 こうしたことが心の形成において、成長において、途轍もなく重要な要素であることは、精神医学の世界でも、教育心理学の世界でも、言われ続けていることだ。

 しかしながら、この事実に無知、鈍感な人々が、いま社会には蔓延している。

 精神的障害の治療でよくいわれることだが、心の屈折、心の歪みは、自らがその症状や要因を把握できないと、回復の手掛かりをつかむのは難しいとされている。治療法の一つ、記録回復法の目的は、自分の心の状態や日々の生活のあり方を患者に自覚させるという目的がある。いわば、心の病でもある生活習慣病の治療やダイエット法にも取り入れられている。

 心の屈折、歪みは、いわば、何かの問題に遭遇し、ストレスからパニック状態となったために、その緊張状態からの逃避行動、回避行動として生まれるものだ。そのため、自分がいまどういう状態にあるのかを客観的にみつめることができない。冷静さを喪失しているからだ。

 逃避、回避の行動は、自分の心の殻に閉じこもることでもあるがゆえに、他者からの指摘、他者からの言葉は、ほとんど届かない。耳を傾けているように見えて、まったく聞いていなかったり、そうした他者の指摘に苛立ち、返って、パニック状態を引き起こしたりする。

 激しく他者を攻撃したり、侮蔑したり、あるときは、暴力で自分の感情のバランスを保とうとする。内閉することで、深層に鬱屈したエネルギーが溜まり、性衝動のように、それを他者に爆発させるのだ。

 昨今の通り魔事件、動機不明の事件の多くが、こうした構造から起きている。性衝動のように、あるいは自傷行為のように、自分を破壊へと導く暴力へ誘うのは、こうした心の状態に長く置かれ続けてきたゆえの、心の暴発なのだ。だからこそ、犯人の「誰でもよかった」という共通した言葉が生まれる。

 ところが、この承認を得た体験が希薄で、それゆえに、心の屈折、歪みを持った人間は、特段、事件を起こすような人々に限ったことではない。それが、現在の依存傾向の強い人々の増加に現われている。

 オタクにはまり、フィギアや無名アイドル、グラビアアイドル、アニメといった文化に執着するのもその一つの姿だ。一つの趣味に必要にこだわり、微細に渡って、その情報に精通しようとするもの同じ。よく言われる、買い物依存、ギャンブル依存もその中にある。ゴミに依存し、周囲の迷惑も考えず、ゴミ屋敷やゴミの部屋に生活するというのも、その現われだ。ネット依存、携帯メール依存も同様。

 この数年の強い傾向は、恋愛依存。恋愛をしていないといけないと恥かしいという強迫に支配され、常に異性と交際していないと心の拠り所が得られないという状態だ。これは、セックス依存、異性との共依存を生み、DVがあっても別れなれない男女の増大にも繋がっている。

 また、知り合って間もない内からスティデイな関係になり、すぐに別れ、また別の人間を探すという希薄な男女関係の姿にもなって現われる。それゆに、確かな人と出会いたいという婚活がブームになる。しかし、これも恋愛と同じく、婚活をしていなくては乗り遅れるという強迫から、婚活そのものに依存するという女性を増大させてもいる。

 薬物依存は依存症の典型的なものだが、自傷行為も自傷への依存という点では、依存症の一つ。自殺願望もそうだ。死ぬということへの依存が、繰り返し自殺未遂を誘発させる。

 依存症の顕著さは、耐性が高くなり、より強い刺激、より多くの習慣性へと人を導くこと。これは、すべての依存的傾向にいえることで、そうなると自分ではまったくコントロールできなくなる。そして、コントロールできなくなった自分を正当化するために、自分がこうなったのは、すべて他者のせいだと主張するようになり、他者、社会が悪いのだから、依存症によって、周囲が迷惑しようが、それは、当然のことという自己中に凝り固まっていく。

 モンスターペアレンツや飲食店、販売店などに登場するクレーマーも、実は、こうした自己中を背景としている場合が多い。つまり、母子依存、他者依存の傾向が強いがゆえに、自分の思い通りにならないと大声を出すという行動に繋がっているのだ。

 いまの時代、常識が常識として多くの人に共有されているようで、実は、それぞれが何がしか依存傾向にあるがゆえに、共有されていると思っている常識には大きな開きがある。

 その背後に、満たされていない他者との関係や不具合があるからだ。そのため、強迫的に何かに依存することで、必死に自己を保とうとする。それが、自分だけの正義、自分だけの常識になる。その刃が教師や学校、店員へと向かってしまう。満員電車の中のいざこざや、見知らぬ同士の行き違いの喧嘩になる。

 その根源に、すべて、承認の喪失がある。他者を認めない、他者を尊重しない、他者への配慮をしないという、いまの家庭、学校、地域、社会、国の姿が横たわっている。

 自分を認めてもらうためには、まず、自分が他者を承認し、許容する人間でなくてはならない。また、それは、自分を生活の価値の中心に置くのでなく、他者をそこに据えなくてはできない。

 そこでつくられた、自分を愛せない人間たちは、当然ながら、他者を愛することなどできはしない。自己中は、自分を愛してないがゆえに、愛されていないと確信を持つがゆえに、他者へ自己の存在証明を得ようと自己中を行うことで、自分を認めさせようとしている姿なのだ。いわば、イタイ状態。

 そこからの回復を行うためには、まず、自分たち、いま、この社会に生きる大人たちが、自分たちの依存的傾向を自覚するしかない。そして、その依存への執着が、客観的にみつめたとき、異様な風景であるという自覚を持つしかないのだ。

 しかし、その自覚の道へ導くのは、こうした社会の姿を人々が共有し、他者を承認できる家庭、学校、地域、社会、そして国へと、その姿を変える努力をしなくてはいけない。



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