第1回 愛国と国粋、そして救国について
              
               二・二六事件殉死者慰霊碑 賢崇寺境内

 染みた雨水が靴下を濡らし、足元から体の芯へ花冷えの感触が伝わっていた。五月雨のように、終わるともしれない雨はあったが、足の冷えとは裏腹に、外気は春の近さを告げている。70年前の今日は未明からの大雪で、この都市は寒波に覆われていたというのに。この季節になると、いつも思うのは、いかに東京が温暖な都市へ変身したかということだ。私は、いまではすっかり通い慣れた境内に続く急勾配の参道を、つま先の冷たさから逃れるように足早に登っていった。

 4年前から2.26事件の慰霊祭に年2回、青年将校たちが決起した2月26日と処刑された7月12日に、麻布十番にある曹洞宗「賢崇寺」を訪ねている。この寺は、佐賀・鍋島藩の菩提寺で、私とは実に因縁が深い。それを知ったのも、慰霊祭に参加するようになってからだ。

 私の秀嶋という姓は、鍋島藩の家老職の姓で、佐賀に秀島、あるいは秀嶋の姓は多い。司馬遼太郎の『竜馬が行く』には、家老の嫡男、秀島某という男が登場する。当時、鍋島藩は国内随一の最先端企業だった。国内で唯一の大型鋳造工場を所有していたのだ。竜馬は武器を海外からの輸入に頼っていては、戦費が嵩むと、このハイテク企業に、当時、最新鋭のアームストロング砲の自主開発を提案する。その開発責任者が秀島某という若者だった。私とどれだけの血縁にあるかは知らない。しかし、佐賀で秀島という一族がそれなりの勢力を持っていたことは、このエピソードからも分かる。鍋島藩の菩提寺と知って、慰霊碑に初めて参拝した後、ふとその向かいの墓碑銘を見ると、そこに秀島家の文字があった。奇妙な縁を感じ、ここに来たのが自分の意思だけではない、何かの力が働いていると感じた。

 昭和11年2月26日から今年で丁度、70年。慰霊祭は71回忌を迎えた。青年将校のご遺族が「仏心会」という遺族会をつくり、当時の資料や遺書などを丹念に収集されながら、慰霊祭を重ねてこられた。慰霊祭では、将校たちばかりでなく、8月19日に処刑された、北一輝ら民間人、将校らに殺害された高橋是清ら閣僚、警護に当たって殉死した警察官らの供養も行われている。しかし、当然のことながら、斬死や殉死された方々の遺族が参加されることはない。それでも、共に供養される将校らのご遺族の気持ちはいかばかりか、70年の歳月をかけても、あの日の義憤と怨念、そして無念さは、決起した者、そこに巻き込まれた者、すべての者に、まだ終わりを告げてはいない。

 慰霊祭へ足を運ぶようになったのは、上演されずお蔵入りになってしまったが、ある大劇場のスタッフに依頼されて書き下ろした、戯曲が縁だった。酒鬼薔薇事件と2.26事件、それに三島の『豊饒の海』を結び、幻想としての「神」、幻想としての「社会」をテーマにした物語だった。

 その頃、私は宮台真司と頻繁に会っていた。対談のようにして会話した内容を聞きお越し、原稿にまとめて、WEBに公開するためだ。学者と制作マンという立場の違いはあるが、私も宮台も関心を寄せていたのは、三島由紀夫の『文化防衛論』であり、北一輝の『日本改造法案大綱』だった。簡単に言えば、アメリカンスタンダードからの脱却なくして、日本の国際化はない。日本の外交に求められるのは新アジア主義であり、そうした国政の方向転換には、この国の社会システムを変更する必要がある。そのとき、それぞれ方法の違いはあれ、北や三島が試みたように、天皇制は有効であるという視点である。
 

 
宮台は、その少し前に、『サイファ覚醒せよ!』(筑摩書房刊)という名著を、後に離別した速水由紀子と上梓している。私や宮台の主張は、成熟社会の到来で、アノミー状態となり社会規範が失われ、かつ、欧米のような宗教理念に基づくリセット装置のないこの国で、社会や人心のモラルハザードを抑止し、再構築するためには、体制の変更が必要で、その軸とするのに、天皇教は有効な手段となり得るというものだ。

 茂木健一郎のクオリア理論を応用しても、日本人が潜在的に持っている感覚の支柱として天皇は常に存在する。私が専門とする舞台芸術の世界でも、日本人の身体所作の根源に天皇制は息づいているのだ。

 余談だが、こうした事情を了解しながら、他者を傷つけない宗教フレームの再構築によって、社会改革を起こそうとした人物に、立正佼成会創立者で、WCRP(世界宗教者平和会議)の提唱者、庭野日敬がいる。三島が自決した、70年当時、高度成長に浮かれ切っていたこの国で、日本の危機的いまを予測し、そのための方策を行動によって提示した人間は、おそらく、この二人くらいのものだった。

 新アジア主義や社会システム変更のために、日本人の中に埋もれている天皇教を活用するという考えは、当然ながら、多くの反論と、それに匹敵するくらい、誤解に基づく、共感がある。その多くが旧態然とした左翼思想や浅薄な右翼思想によるものだ。それは、簡単に言えば、愛国と国粋の取り違いをしていることによっている。いや、そもそも、愛国という言葉を聴いただけで、右翼というレッテルを貼りだがる輩はまだ多い。と同時に、2.26事件や愛国という言葉を聴いただけで、同じ心情のフレームを共有する仲間だと短絡する無知も多い。

 愛国と国粋の取り違えをしないためには、この国の近代についての検証が避けて通れない。それなくして。2.26事件の本質を見ることも、三島の割腹事件が浮かび上がらせる、戦後日本の矛盾と問題点を知ることはできないだろう。それは、憲法改正問題を議論する上でも、安保条約を語る上でも同じことなのだ。

 だが、この国の多くの教育者、政治家、財界人、そして、リベラリストやタカ派と呼ばれる人間も、いや、一般市民までもが、これをパンドラの箱のように格納してきた。同調圧力の強い日本人には、常に闇の中にしまいこんで置きたい歴史的事実がある。大久保暗殺・大逆事件・大杉栄の惨殺・2.26事件…。いやそればかりでなく、同和・在日・ハンセン・HIV・アジア侵略・従軍慰安婦・沖縄・基地など、日々の生活では置き忘れられてしまう諸問題の根源にあるものさえ…。

 しかし、その事実は、開封してしまえば、いま成立している社会システムの脆弱さ、曖昧さ、いい加減さ、端的に言えば、「幻想としての社会」を暴露することになる。だから、事実を開封し、その向こうにある真実を検証しようとは、だれもしない。

 それは言わば、怖れの裏返しだ。社会格差が急激に進みながら、依然として、多くの日本人が戦後60年の社会システム、平等主義という画一性が生む帰属意識・集団主義の壁を乗り越えることができないでいる。一見、民主主義の実践であるかのように錯覚している、平等主義・機会均等などという、あり得ない幻想が実は、格差社会や今日の様々な社会的事件の温床であり、それが返って、この国を侵食している、欧米型競争社会の現実を見えにくくさせているのだ。

 一度も市民革命を経ず、制度変更のみによって生きてきた日本の近代が、初めてその幻想を垣間見せたのが、2.26事件だった。それは、将校たちの意思としてでなく、行動として、結果的に日本近代を批評し、糾弾した。そのことを最も冷静に理解できていたのは、おそらく、北一輝ひとりだったに違いない。

 宮台が『憲法対論』(平凡社新書刊)などという硬質な対論を憲法学者の奥平康弘と上梓したのも、近代を洗い直すという意思によっている。それなくして、政治ばかりでなく、少年犯罪や幼児略取・虐待・いじめ・不登校・ひきこもり・薬物・自傷、いま現に問題となっている格差社会など現実的生活課題に対処療法しか持ちえず、根幹的で有効なアプローチの方法を持ち得ないと考えているからだ。別の言い方をすれば、憲法を語ることで、日本の近代文化論を論じようとしているのだ。それは、ひきこもり問題を通して、斎藤環が発するメッセージが結局は現代家庭の諸相を浮び上がらせながら、実は日本文化・近代を批評し、ある意味、糾弾しているのと等しい。

 一見、右翼思想の寵児のように言われている北一輝が実は、明治維新以後の近代化を大きな問題とし、大杉栄らが実現しようとしていた無政府主義(アナーキズム)の流れを受け継いでいることは一般にあまり知られていない。松本健一の『北一輝論』(講談社学術文庫刊)など、多くの著書にあるように、北は、腐敗した財閥・軍閥の解体により、欧米的な格差社会のシステム変更を目指していた。そこに共感したのが、一部の下級将校だった。そして、そこに、大杉栄に通じる危険性を読んだのが、軍上層部、とりわけ、陸軍の統制派といわれる軍閥だったのだ。だからこそ、現実には、なんら2.26事件と直接関与していない北が首謀者として処刑されなくてはならなかった。しかし、そこには、天皇教を活用するこによって、この国の国民のクオリアに訴え、社会システムの変更が可能であるということを共通して知っていたという事実がある。

 国民共通の宗教理念や宗教的基軸を持たないこの国で、国民が現世利益を抜きにして、無償の行為として利他のために一丸となるのは容易ではない。民主主義が坂本竜馬以来、秩父事件などことごとく藩閥政治に抹消されてい
く歴史的過程で、天皇というクオリアは社会システム変更の唯一無二の切り替えスイッチだったのだ。そして、そのスイッチがどちらに転ぶかで、一見同じに見える、愛国と国粋が明確に分かれる。


 愛国者は国賊とされ、処刑された。国粋主義者は、2.26事件を軍の力の誇示として利用し、シビリアンコントロールを解除する道具とした。しかし、その国粋主義者らの中心には、海外侵略によって利権をねらう、軍閥や財閥がおり、ロビーストという名の暴力団がおり、それに煽られた浅薄な右翼と市民がいた。どちらが国益を重視し、国益のためにいまなさなければならないことに真摯であったか。それは、それから5年後の太平洋戦争とその結末を見れば明確である。

 2.26事件の将校たちが目指したのは、日本の近代が捨ててきた、日本的なるものの復権だった。貧農や生活苦にあえぎ、日本近代から取り残されていく人々の回復だった。それなくして、何の海外侵略ぞ。満州への侵攻はそれを如実に語っていた。

 国粋に愛国はない。愛国とは、国益を第1とする考えである。そして、国益とはわが国の政治的・経済的利益のみを主張することではない。自国の国益を守るとは多国間において、合意の取れる施策を模索することである。そのたに、他国の主張・立場・利益を考え、共にあることに心血を注ぐことだ。政治力を持つ圧力団体にではなく、力なく、声なき人々の生活と人権を守ることである。


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