第34回 エトス 日常の復権
   
      匿名性社会からの脱却論(1)



はじめに


 年金、医療、福祉といった社会のセーフティネットが寸断され、自治体の疲弊によって、社会のリソースが機能不全状態になっている。生活不安は、もはや不安でなく、現実のものとなり、社会から見捨てられ、明日の生活に事欠く人々が急増している。1年先、いや数ヶ月先の希望が持てない社会、国。それがいまの日本だ。

 自由競争の原理を小泉政権が導入して以来、富の集中が生まれ、持たざる者と持つ者の格差が歴然となった。
 景気は岩戸景気に匹敵するといわれながら、その恩恵を受けていたのは、大手自動車メーカーや電子機器メーカー。あるいは、北京オリンピックの影響で息を吹き返していた、鉄鋼、造船。そして、金融、IT、外資系企業。その経営者と一部役員。わずか一握りの人々に過ぎない。
 競争原理が社会を覆い、金融が資金を提供し、実体販売のない、IT事業で一儲けするのが当然の社会が到来した。

 偏った社会資本の配分によって、多くの国民は、生活の苦しさを実感しながらも、たが、小泉政権が提唱した構造改革路線を信じた。
 つまり、社会のフレームを変えるために、いまの苦境を乗り越えれば、新しい安定と成長の社会が到来すると期待したのだ。富は再配分され、自分たちのところにもいつか景気の恩恵はやってくると信じた。だが、やがて、それが小泉マジックと言われた、実体のない言葉の魔術に過ぎなかったことに気づく。

 小泉政権によって、日本特有の共同体主義的セーフティネットはズタズタにされ、世界不況の荒波を受ける中、生活困窮者や高齢者世帯、弱小零細企業を救済する術が用意されていない。竹中平蔵の愚かな経済政策によって、外需依存は拍車をかけ、地方の産業は疲弊し、わが国が世界に誇る中小企業の技術が減退の一途を辿っている。

 生半可な景気浮揚策を政府は語るが、不動産の証券化という金融操作によって、虚栄の繁栄を築いたアメリカが、その虚栄ゆえに破綻し、怒涛のように押し寄せた世界不況の荒波を凌げるだけの力が国民生活には用意されていなかったのだ。

 派遣・パート労働という非正規雇用があたかも多様なライフスタイルの象徴であるかのように宣伝され、それが人生の選択の幅を広げる知恵ように持ち上げられたが、その若年層に流布されてた幻想は既に7年ほど前から瓦解していた。

 私が2004年に監督と脚本を担当した社会教育映画『見えないライン』(2005年すかがわ国際短編映画祭招待作品/徳島県・徳島県同和対策推進会企画/制作・東映)で、既に警鐘を鳴らしたように、それは、企業にとって都合のいい、使い捨ての雇用の調整弁に過ぎなかったのだ。

 生活費の減収は、可処分所得の低下を招き、本来生まれるべき内需は育たず、結果、輸出という外需に頼るしかない経済状況が決定的となった。そこに外需依存では成り立たない現実が押し寄せてきたのだ。

 小泉政権が提唱した構造改革路線と自己責任による自由競争原理は、決して、人々を均等の豊かさに導くわけもなく、かつ、自己責任ゆえに、社会のセーフティネットを予算的にも、制度的にも手当てするどころか、間引きしてきたところに、今日の惨憺たる日本の状況が生まれている。

 そのことに気づいたとき、不安が国民を、社会を覆う。

 生活不安は、社会不安を呼ぶ。
 これまでのように、成熟した資本主義社会におきる、動機不明の不透明な犯罪ではなく、生活格差や貧しさから社会に憎悪を抱き、犯罪に手を染める人間が出現した。今日、生きるための糧を得るためという、戦後間もない頃を思わせる窃盗、強盗事件が起きる。

 詐欺事件が増えるのも、不安な社会心理が背景にある。何が起きてもおかしくない社会。そこでは何かにすがろうという人心が悪意に翻弄される。危うさが生活の日常に潜んでいるという不安から、見ず知らずの他人を思わず身内からの連絡と勘違いさせてしまう。

 低迷し、下降線を辿るしかない政治、経済情勢の中では、首相が変わっても、政権が変わっても何も変わらない。上司が変わっても、経営者が変わっても、大きな変化を期待できないと、人々は思う。

 それは、その人でなければならないという根拠も、その集団できなければできないという根拠も希薄となり、すべてが入れ替え可能な社会になってしまったからだ。

 振り込め詐欺に見られる他者を身内だと勘違いさせてしまう仕組みにもそれがある。

 非正規雇用が雇用の調整弁として成立してしまう背景にもそれがある。そして、正社員のリストラが簡単にできてしまう根拠にもそれがある。

 すべては入れ替え可能で、だれであるかは重要なことではなく、社会システムさえ機能していれば、それなりに政治も経済も、社会も稼動する。それがどういう方向へ稼動しているかは別にしても。

 それは匿名性が生んだ社会だ。

 固有の誰かという明確な定義づけが失われた社会。かつ、そうした存在の根拠が明確でもなくとも、一見、他者と通信し、生産活動が行える社会。それを生んだのが匿名性の社会システムなのだ。

 そこでは責任論も社会倫理も道徳も成立しない。

 企業のコンプライアンスが言われながら、企業は不正を行い、官公庁の不正も止まらない。その奥には、失われた固有名詞、匿名性の中に姿を消すことのできる責任なき社会が出現しているからなのだ。

 企業の、組織の、官僚の誰がその指示を出したのか。誰の責任のもと、施策が実行されていたのか、されているのか。それが見えない社会。

 責任の所在も、原因も、要因も、背景もわからず、何とない雰囲気の中で、国民生活、社会生活を左右するような施策が実行される。プロジェクトの全体像はだれにも見えないまま、プロジェクトが周囲の顔色を伺うように進行し、危うくなれば、人を、下請けを切り、組織の保全を図る。責任の所在、原因、要因、背景が見えないから、そうした対処法をとるしかない。

 それを一言で言えば、「桶が笑う」という状態。

 言うまでもなく、「桶が笑う」とは、桶の板を閉める箍(たが)が老朽化して緩み、水漏れする状態のこと。水を張らないうちは、見た目、何の問題がないように見えながら、実際に、水を張るとあちこちから水漏れし、桶としての役割が果たせない。

 普通なら、そうしたときは、桶屋に修理に出し、緩んだ箍を締め直して修復する。

 気の利いた職人ならば、ただ箍を締め直すだけでなく、痛んだ板を削り、その隙間を丁度埋めるくらいの大きさの当木をし、板同士の締め付けをよくする。それでも駄目なら、板を数枚除き、新しい板に張替え、組んだ板と板の隙間をきっちり詰める。その上で、箍を締め直せば、また、しばらくはその桶が使える。

 昔の日本人は、洗濯たらいも水汲みの桶も、そして風呂桶も、そうやって長く使い込んだ。

 割れた皿、茶碗も、金継ぎといって漆を使い、割れた箇所に金箔で装飾し、割れた跡の痕跡をひとつのデザインにしてしまうという技もあった。

 古いものを活かし、かつ、糾す。そして、とことん使い切る。

 それが日本独自のもったいない精神の基本にあったし、江戸時代、世界に類を見ない資源再利用循環型の日本人の生活の基本だった。

 それは、町屋の人々や農民に限らず、侍まで同じだった。
 食事は箱膳。抽出付きで、そこにご飯茶碗と汁物椀、それに小皿と箸が入っている。一汁一菜が基本。食事が終わると、飯茶碗に白湯を注ぎ、小皿に取った残った一枚の沢庵できれいに茶碗の汚れを拭き取り、それをお茶代わりに、沢庵を齧りながら飲む。それで終わり。

 水が貴重だった昔、食器を洗う水をそうやって省いた。

 私が小学校の低学年の頃まで、大正生まれの父は、その習慣を続けていた。
 むろん、母は衛生上よくないと、洗浄したが、台所洗剤はほとんど使わないで済んだ。浄化槽のなかった当時、それは、化学洗剤を下水から川に流さない知恵でもあったのだ。

 私が幼い頃、こうした日常のちょっとした節約や倹約、自然への配慮は、普通の生活の風景として、そこかしこにあった。
 桶や割れた食器、金具・包丁の修理のために、職人が作業箱を背中に担ぎ、行商する姿も日常の風景として残されていたのだ。

 あるいは、江戸落語に登場する熊さん、八っつぁん。
 二人とも仕事をしないぐーたら者。仕事をしても宵越しの金を持たないから、いつも干上がっている。大家は店賃を取り立てにくる。それをどうごまかすかで笑いが生まれる。しかし、大家は店子の親代わり。無碍に追い出すこともできない。しょうがないなと諦められるのは、店賃を払わなくても、彼らがうんちをするから。

 戦前まで、人糞は貴重な農作物の肥料。江戸時代は、これが商いとして立派に成立していた。等級までつけられ、高いうんちと安いうんちがあったのだ。
 化学物質は一切使わない。人の排泄物でさえ、資源として活かす。
 
 幕末、ペリーが黒船で来航し、下田の町を視察した際、こうした日本人の質素・節約の循環型生活とそれを支える職人の技術を目にし、愕然としたという。彼が帰国後、大統領に報告した書簡には、日本がいずれ世界の桧舞台に登場する工業先進国になるだろうと予測している。
 そして、事実、理不尽で、無謀な戦争の後、我々の国は、世界に冠たる先進工業国家の仲間入りをした。いや、それどころか、世界第二位の経済大国にまでのし上がった。

 が、しかしだ。
 
 その代償として、使い捨て、入れ替え可能な消費社会が出現した。アメリカ経済、アメリカ市民社会の生活を理想のモデルとし、大量生産大量消費が高度成長の目標となった。

 それは、日々の生活を支えていた日本的日常性を捨てていくことだった。引いては、日本文化、日本精神を捨てていった過程でもある。
 
 政治家も経済人も、いや市井のサラリーマンさえも、それを国際化と呼んだ。グローバルスタンダードだ。
 国際競争に打ち勝つためには、アメリカ型自由競争の原理を導入することで、同族企業や株の持ち合いを糾し、年功序列雇用を排除し、能力評価主義に変更した。大人から子どもまで、世界に負けない競争力を付けることが空白の10年を埋める最良の道と考えた。

 しかし、これは日本の長引く不況によって、つまり、外需依存型の日本経済によって、膨大な対日貿易赤字を抱えるアメリカ政府が小泉政権に要求したフレームの変更なのだ。
 そして、アメリカが不況から脱出した、金融マジックによって、競争社会を構築するように日本の政治家、財界人を誘導した。

 それにより、日本文化、日本精神を支えていた日本的日常を完膚なきまでに排除させられたのだ。

 情報通信・流通ネットワークの発達によって、世界は小さくなった。多国間との連携なしに、自国の発展や成長がないのは自明だ。

 しかし、これまでアメリカンスタンダードをグローバルスタンダードと誤認してきた我々日本人が新しい世紀を生き延びるためには、かつて我々日本人が守り、育ててきた日常の復権を図るしかないのだ。

 すべてを自由競争の原理に晒し、アメリカ的合理主義によって世界の覇者であろうとすることの限界をオバマ政権はすでに理解している。

 これまでのようなアメリカの方程式でもはや日本は生き延びることはできない。だとしたら、唯一、日本が日本の力として示せるのは、日本的資源活用循環型生活の知恵を復権することしかない。

 それは、言い換えれば、匿名性社会からの脱却なのだ。

 政治・経済の発展をかつて支え、社会倫理、秩序、そして教育の根幹にあった日本的精神のよき面を復権するしかない。

 日常の復権、それは難解な政治や経済の分野ばかりでなく、家庭・地域という日常の生活の中においてこそ実現されていかなくてはならない。

 そして、現実に日常の復権というキーワードで結べる新しい取り組み、新しい再生の道が進んでいる。

 政治も経済も、根幹にあるのは教育。まず、心をつくることだ。
心を整え、糾すことだ。そのために、日常の復権がある。


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