第33回 民衆からのシチズン・シップを


 CSR(Coprate Social Responsibility)
 いわゆる、企業の社会的責任が強く意識されたのは、コンプライアンスが重要視され始めたこともあるが、簡単には、アメリカ、日本、EUを始めとする先進国、中国、インドなどの発展途上国のフロンガスの排出による地球温暖化とそれによる異常気象の問題が発端だった。

 利益追求による個々の企業活動が自由市場的に展開され続ければ、環境の破壊、資源の枯渇を生み、結果的には企業の営利活動そのものの基盤を失いかねない。

 しかし、企業倫理を企業に納得させるためには、崇高な社会倫理を押し付けても、また、貧困国家に生活する人々が企業による環境破壊の犠牲になっているという正論をぶつけても無理で、企業倫理を高めることが引いては企業の利益、収益に結びつくものであることに目覚めさせ、そのための行動が、いわば、設備投資などと同じように、未来の企業収益をも保証するものであるという自覚を持たせるしかない。

 CSRが生活者の声を反映していないのではないか、経済活動をどううまく展開していくかだけがCSRの基本にあり、それでは、本来の意味での企業の社会貢献はなく、企業の資源の乱獲によって、水資源、食糧資源の枯渇に苦しむ人々への本来の救済理念とは程遠い、という批判を受ける要因もここにある。

 世界同時不況を受けて、2月に開催されるダボス会議、正式には「世界経済フォーラム」が、9.11同時多発テロの際、ブッシュの<悪の枢軸>という根も葉もない主張を唯々諾々と支持し、経済の安全な循環と発展のために、テロとの闘いである、アフガン空爆もイラクへの攻撃もよしとすることで、本来、グローバリゼーションの重要性を謳いながら、世界全体の融和と連帯を模索する中立的な立場でないことを露呈した。

 それは、所詮、経済の発展のみをダボス会議がその本願としているに過ぎないからだ。

 いま、我々人類が気づかなくてはならないのは、これまでのような地球資源の乱獲による経済発展が、真に人類を幸せへ導くものなのかを疑うことである。

 経済成長の名の下に、持たざる国の民衆がどのような犠牲を被り、その結果、どういう生活を余儀なくされているかを学び、そうした国々の民衆の豊かさと平穏をどう創造するかを政治、宗教、民族、国境の違いを乗り越えて、真摯に議論することなのだ。

 これまでのような自国の発展や自国と経済関係や環境が密接に結びついた地域の利益のみを考えるのではなく、また、経済によってのみ人は幸せになるわけではないという、歴然としてきた世界の現実に眼を向けることなのだ。

 ダボス会議の提唱者で、設立者のドイツ人経済学者クラウス・シュワブは、そうした現在の世界の政治経済情勢の危うさと、おそらく、いまが20世紀型企業活動の変革の時期であることを意識して、今年の会議のスローガンに、Global Coporate Ctizen Shipを提唱している。

 これまでのCSRの概念から踏み込んで、企業も地球市民であるという認識を持つことで、経済利益優先の姿勢を改め、アリバイやプロパガンダとしての社会貢献ではなく、地球的貢献として何ができるかを考えようというものだ。

 が、しかし、世界の政治家、財界人、有識者が3000人以上集まることで、この問題は本当に生活者に届く議論となりえるのだろうか。

 まず、政治家で、それほど崇高な倫理観のある人間がこの地球上でどれほどいるのか。また、収益のために、多くの自殺者や失業者を生み出し、非正規雇用の労働者をあたかも物同然のように扱う日本の自動車産業のトップなどが、どれだけ、世界の貧困層の生活実態を知っているというのか。アカデミズムの世界にいる人間が構造論やシステム論は語れても、生活実感としてどれほど人々の心に届く、地球市民としてのメッセージを発することができるといえるのか。

 ダボス会議がやるべきことは、政治家や財界人、識者ではなく、環境破壊によって、生活権を奪われつつある国々の人々の声や内戦地域や紛争地域にある人々の声、それらを熱意と情熱だけで支え、その解決に取り組むNGO、NPOの声をまず、謙虚に聞くことだ。

 会議に出席する麻生太郎ひとりを見ても、会議に生活実感が伴わないことも、血の通った議論にならないことも明白なのだ。

 圧倒的な支持で、アメリカ大統領に就任したオバマですら、イスラエルの防衛的軍事行動は否定しないと明言している。結局はアメリカ経済の一国主義を影で支え、汚れ役を担っている、ユダヤ資本に気を遣うことしかできない。

 世界経済が大きなパラダイムの変換期にありながら、この無策ぶりは この旧態然とした旧来型システムへの執着はどこから来ているのか。

 が、しかし、だから、言葉を返せば、政治家や財界人、有識者によってトップダウンに民衆に落とされる、世界地図ではなく、民衆自らが、声を上げ、結集し、生活者の意思と行動によって、新しい世界地図の姿を提言するときなのだ。

 また、それができなければ、真の意味において、21世紀型の新しい地球規模のライフデザインも出現はしない。

 無能な政治家や財界人がその無能さを露呈するのは、危機のときだ。無能でない証明は、その認識の深さと状況理解、そして、的確な対応と措置にある。しかし、それがないことを白日の下にさらされたいま、これまでのような一部の権力者や治世者による、ピラミッド式の社会構造が通用しないのは自明なことだ。

 自分の身近な人々の輪の中から、ネットワークで共感し合える仲間の輪の中から、自分たち生活者が、民衆が主役となるための、シチズン・シップを形成することが、急務になっている。それは、我々一人ひとりの意思と行動にかかっている。


リストへ                  ページトップへ