第30回 イニシアティブとリーダーシップ



 オバマ大統領を選出した、アメリカ合衆国大統領選挙は、キング牧師やマルコムXなど、60年代から続く公民権運動の歴史的な勝利であると同時に、21世紀の世界が目指すべき姿を象徴的に示す結果となりました。

 クリントン政権の後半からブッシュ政権までの約10年間、世界は、アメリカの一国大国主義によって、アメリカンスタンダードをグローバルスタンダードに置き換えられ、それに翻弄され、世界の未来に禍根を残す大きな傷を負ってしまいました。

 それは言うまでもなく、イスラエル重視の政策が生んだパレスチナ和平交渉からのアメリカの撤退であり、それによって生まれた9.11。そして、本土を攻撃されたことへの憎悪が生んだ、感情的な報復としてのアフガン空爆。それにより、現在でもなお続く、タリバンとの紛争です。さらには、中東でのアメリカの覇権を揺るがないものにするために、恣意的に行われたイラク戦争です。

 これは単にアメリカ一国の紛争や戦争に留まらず、アメリカの同盟国と言われて来た国々にも多くの軍事的、経済的負担と戦火による傷を人心に刻みつけました。その結果、イギリス、フランス、ドイツなど欧州の主要同盟国の国内において、反米、反戦運動が起き、政権の交代やアメリカとの同盟関係のあり方を見直す機運が起きます。

 アジアでは、北の問題を抱え、戦争の危機と常に直面している韓国が、まず最初に、反米の声を挙げます。

 さらに、アメリカが戦費を浪費し、国内経済の鈍化と破綻への道を見過ごす中で、軍事、経済において発展成長を遂げた、ロシア、中国は、アメリカの一国主義に対して巧みな政治・経済戦略で揺さぶりをかけるようになりました。

 つまり、アメリカの軍事、経済、外交戦略が世界から信頼を失くし、アメリカに文句も言わず、同調してくれる先進国は日本くらいしかいなくなったのです。

 こうした実情を知り、世界の孤児となりつつある国の現実にノーと声を挙げたのは、アメリカの富裕層や投資、オイルマネー、軍需産業を牛汁るユダヤ系アメリカ人ではなく、低所得者層でした。

 アフリカ系、スパニッシュ系、コリアなどアジア系、イタリア系、アイリッシュ系などアメリカ社会の労働や消費を底辺で支える人々だったのです。しかも、その中心は、20代から40代の若い世代です。

 オバマ氏の潤沢な選挙資金は、ヒラリー・クリントンさえ想像できなかった、貧しい人々から寄せられた1セントや1ドルの積み重ねです。クリントンがいかに優秀で、リベラリストであったとは言え、彼女は、旧来の政治家と同じように、大企業や富裕層からの政治的意図を背景とした寄付金に縋るしなかったのです。そのことにも、彼らはノーを突きつけました。

 ボランティアの無償の熱意と貧しい人々の願いを込めた1ドル。それがオバマをアメリカ建国以来初の黒人大統領誕生へ導いたのです。

 では、その民衆の熱意と願いを込めた1ドルは、どうして生まれたのでしょう。

 それは、言うまでもなく、オバマが提示した、彼の理想の国、アメリカの新しい姿です。大統領就任演説に述べられていたように、肌の色、宗教、思想信条を越えて、民主主義の旗の下、対立をも糧として、人々が一つの国として団結し、平和と安定のために生きられる国、アメリカの理想の実現です。

 建国以来、今日まで続いた国内における民族対立、宗教対立、人種差別。それがあるからこそ、アメリカ国民にはアメリカの理想を実現できる力がある。

 We can do it!  オバマ氏はそう主張し、アメリカ国民に、アメリカ人であることの誇りを持とうと呼びかけました。彼の言う愛国心とは、他者を排除し、弱者を切り捨てる社会ではなく、対立をも活かし、共に生きられる国をつくることです。それによって、軍事による武力介入でもなく、株操作でもなく、原材料価格のコントロールでもなく、世界に信頼される大国となることです。

 それは、リンカーンが語り、JFKが唱えたと同じ、アメリカの理想です。

 アメリカの民主主義は世界の教科書とかつて言われました。
それが失墜したいま、アメリカはその権威を武力ではなく、人心によって快復しようとしているのです。

 このOUTの評論でもかつて述べていますが、9.11以後、ロス、ニューヨークを取材したとき、熱狂的な報復の声が聞こえて来たと同時に、それに劣らず、報復に異議を唱える多くの人々の声に出会い、感銘しました。グランドゼロ周辺の建造物のあちこちにはためく星条旗を目にして、改めて、アメリカの民主主義の底力を感じたのです。

 そして、数年後、きっとこの国に、報復の熱狂から、反戦平和を唱えるリベラルな人々の声が国中を覆うときが来るだろうと確信しました。

 それほどにアメリカの民主主義は半端ではないのです。

 この200年足らずの間に、荒地を開拓し、独立戦争を勝ち取り、現在の共和党地盤の南部と民主党基盤の北部において、奴隷解放を巡って内戦を闘い、自由の国を建設しました。しかし、現実には、建国の理想、民主主義の実現を言いながらも、人間の中にある邪な感情が生む、理不尽な差別や格差による社会問題を抱え続け、テロや暗殺をも辞さず、対立する勢力同士が激しくぶつかり続けて来た国、公民権運動のパイオニアが次々に銃弾に倒れて来た国、それがアメリカです。

 オバマは裕福なケニア系の黒人ではありますが、彼は、人が決して善良さだけでは生きられないこと、人が人と関わって生きる中には、差別や格差、対立や紛争があることを是認しています。しかし、それだけで終わらず、そこから、それらを乗り越える新たな発想が生まれることを信じています。

 これは、これまでの歴代アメリカ大統領の中で、リンカーンやJFKが実現しようとし、実現できなかったアメリカの理想です。

 いま、私たちの国、日本では、こうした政治的理想、これまでの政治的枠組みや社会の規制価値を越え、未来へ向け、国民が共有できる希望を語れる政治家がいません。

 格差で生まれた低所得層や零細中小企業の人々が、その声に感動し、諸手を挙げて、支持し、信頼できるような政治家がいません。

 私たちの国の首相は、3度も変わりながら、一度も民意を問わず、意識調査のデータが自民党不利とわかると選挙を先延ばしにして、少しでも国民感情が自民党になびくようにとあらゆるプロパガンダを始めています。

 この国の政治家たちに、とりわけ自民党の国会議員に、民主主義とはなんぞやと問われて、いま、それに的確に答えられる議員は何人いるのでしょう。

 自分の子どもや孫に、「日本はどうして、一度も衆議院議員選挙をしてないのに、首相が3度も変わりながら、政権の中枢にいられるの? それって、民主主義?」と問われて、恥かしくはないのでしょうか。

 選挙目当てに、生活支援給付金を謳い上げ、しかし、実施運用についての調整も、根回しもしておらず、迷走する。財務関係者の声も聴かず、消費税率アップの数字を勝手にコメントにしてしまう。

 麻生太郎氏は、明らかに大きな勘違いをしています。おそらく、彼はずっと総理大臣になりたく、自分勝手な総理大臣像を持ってしまったのです。簡単に言えば、これまでの総理のように、だらだら周囲の意見を聞いていては、リーダーシップが発揮できない。だから、自分は、かつての吉田茂祖父のように、ガッツンカッツン、自分の考えを言うべきなのだと考えてしまっているのです。

 つまり、すべてのイニシアティブは自分が取る。会社で、役員会がどうこう言おうと、経営手腕を発揮し、自分が先頭に立って旗を振れば、自分の人間的な魅力で逆らっていた役員は付いてくるし、気の弱い役員は、尻尾を振るだろう。くらいにしか、考えていないのです。

 まず、彼が理想とする吉田茂像がそもそも間違っています。というか、彼は政治家、吉田茂を知りません。おじいちゃん、吉田茂しかしらないのです。安部普三が、おじいちゃん、岸信介しかしらなかったようにです。

 そのため、ホテルのバーに日参し、葉巻を加えます。しかし、形ばかりを真似でも、遠く吉田茂には及びません。血統を彼が言うなら、彼は外戚の一人に過ぎなく、器が違い過ぎます。共通性を主張したいのはわかりますが、それは背伸びです。

 もう一つは、吉田茂の時代とは、官僚機構の強さも成熟度も比べようがありません。また、国民意識もはるかに高くなっています。日本国民は、アキバで彼が漫画を読んでいると聞いて有頂天になるような国民ばかりではないのです。

 かつて、吉田茂のいた時代は、イニシアティブを取ることがイーコール、リーダーシップに繋がりました。そういう人間しか、イニシアティブは取れなかったからです。豪腕、辣腕の才能です。

 しかし、いまの社会は、イニシアティブを取るためには、まず、人々から信頼されるリーダーでなければならないのです。豪腕、辣腕は、その障害にこそなれ、それでイニシアティブを取ることはできません。一瞬できても、すぐに崩壊します。それを理解し、よきリーダー足らんとするところに、始めて、リーダーシップが発揮できるのであって、とにかく、イニシアティブを取れば、何とかなるというものではありません。

 今般、自衛隊の航空幕僚長が更迭されながら、何らその発言に反省がないのも、「誰も言わないから俺が言う。俺が言えば、それに賛同し、付いてくる奴らがいる。なぜなら、俺は、自衛官たちに信頼され、愛されているはずだから。しかも、俺は、国民、日本の将来の発展を代弁しているのだから、それに反論する輩はいないはず」と思い込んでしまっているからです。

 つまり、自分がまず、堂々とイニシアティブを取る。そうすれば、自分のリーダーシップが証明される。だって、ぼくは航空自衛隊で一番えらい人なんだもん。ぼくは一人じゃないんだ。という理屈です。

 おそらく、これは麻生太郎氏や田母神氏だけに限ったことではないのでしょう。水面下に、同じように、その地位や立場から、単純に、取り合えずイニシアティブを取り、それができる自分の姿を見せることが、リーダーシップなのだと勘違いしている輩は、この国のどの社会にも有象無象いるのです。

 アメリカのエリート主義は両刃の剣ですが、優秀な人材を育成するための苛酷なトレーニングはアイビーリーグやハーバードロースクール、士官学校のカリキュラムの凄さを見れば、一目瞭然です。

 リーダーを生み出すために多くの試練を設けているのは、リーダーが単に、個人的な情緒でイニシアティブを取ることによって、リーダーの背後にいる多くの国民の生活や生命を危険へと導くからです。

 リーダーがそうした人間であっては困るし、民主主義に裏付けられた、まず、民意に信頼されるリーダーでなければならない。この考え方が徹底しているからです。

 内実のないリーダーほど、何か具体的な政策や方策を提示し、形にしなくてはと思いがちです。そして、政策や方策を実現するための能力がないため、言葉という小手先で辻褄合わせをしようとします。

 アメリカがブッシュ大統領というリーダーを持ってしまったことで生まれた、悲劇をこの国はいつ反面教師とし、オバマを生んだアメリカの民主主義を、いつ、国民のものとすることができるのでしょう。


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