佼成学園中学・高等学校保護者会特別講演

         
親のためのコーチング
            
         −思春期の子どもと語らうために−

         

■コーチングとは

 実は佼成学園とはこれまでいろいろご縁がありまして、教育・社会問題を考える『生きる力を育む教育シンポジウム』というシンポジウムを女子高で定例開催させていただいておりました。また、創立者で、名誉学園長であった故庭野日敬先生がご入寂されたときの学園葬『名誉学園長先生とお別れする会』の総合プロデュースをやらせていただいたりと、お仕事との面でもお世話になって参りました。

 さて、今日のお話なのですが、本日は保護者のみなさんが中心のお集まりということですので、それに相応しいお話をと思っていたのですが、丁度、ついこの間、「コーチング」という、みなさん聞き慣れない言葉かもしれませんが、これを題材としたお仕事をやらせていただきましたので、コーチングについてのお話をさせていただこうかと思っております。

 カウンセリングという言葉は、みなさん、スクールカウンセリングだとか、子どもの心のケアだとかいう話題で、耳に馴染んだ言葉かもしれませんが、コーチングというのは、ちょっと遡るとここ10年程でいろいろな点で注目されている分野です。

 コーチングというのは、言葉を聞いて感じられるように、スポーツの選手にはコーチというのが必ず付いていて、いろいろなトレーニングをしたり、戦略を立てたりして、試合に勝つために選手を導くものとして、ご承知だと思います。

 簡単に言いますとコーチングとカウンセリングの違いと言いますと、カウンセリングというのはいろいろな悩みとか苦しみというものをクライアントに共感しながら、話を聞いて、心の癒しを行うことです。場合によって、カウンセリングによって処理できないものについては、医療的な処置をする。カウンセリングの中で解決できるものは、アドバイスをして、克服する努力をしていただくというようなものなのです。

 コーチングとカウンセリングが違うのは、はっきりした達成目標があるということなのです。達成目標に向かって、どうしていけばよいかを考え、実行していくということで、それをクライアントと一緒に考えていくということです。クライアントの性格だとか、キャラクターとかを個々に考えながら、どうすればより効果的で、より迅速に目標到達点に達することができるかということを考えるものです。

 実は、みなさんの身近にもあったかと思いますが、バブルが終わった後に、リストラだとか、いろいろと企業の中で問題が起きました。勤めている社員の給料が減っていく。場合によってはリストラされるかもしれない。そうした危機感を感じていると、社員の仕事をしていく意欲というのがどうしても薄れていく。つまり、動機付けと言いますけれど、モチベーションというものが低くなっていく。そこで、低くなったモチベーションをどうやって高めて、会社が目標としているものに対して、どのようにみんなで考えていけるか。取り組んでいけるかを模索しようという動きが出てきました。そういったことからビジネスコーチングということでまず注目を集めました。

 先ほどカウンセリングのお話をしましたが、学校などでも、子どもの心の癒しとか平穏といったものと同時に、子どもたちに目標を与えて、それを達成するということをしていかなくてはいけない場面があります。そうしたときに、スポーツだけではなく、学校生活の中での人間関係の問題も含めて、コーチングしていく。あるいは、進学目標があるとすれば、その目標に向かってどうトライしていくかということを考えるというようなこととしても求められてくる。スクールコーチングが活用できるということなのです。

 もちろん、コーチングには二つありまして、メンタルな面でのコーチングとスキルを高めるというコーチングがあります。先ほど申し上げたスポーツではスキルを高めることが目標となります。ある進学目標があったら、それに向かってなんとか合格できるようにするというのも、スキルを高めるという部分を担っている面が強くなります。

 一方で学校生活をよりよく生きていこうという面でのメンタルな部分というのがあります。子どもに対してというのではなく、先生に対してのコーチングというのがありますので、そうしたことから着目されているということです。

 私もよく存知上げていなかったのですが、佼成学園の方でも、スクールコーチングの取り組みをずっとやってらしゃいまして、リクルートの雑誌などでその取り組みが紹介されております。こちらの佐藤扶由夫先生の取り組みが紹介されていて、決してみなさんの身近にないものではないわけです。

 実は、ついこの間、私が一緒に仕事をさせていただいたのが、この『スクールコーチング』という本の神谷和宏先生で、これは学陽書房というところから出ている本なのですが、これは、先生が子どもとどう接していくかというものです。子どもにどういうモチベーションを与えていくかというものです。

 これにはDVDが付いていて、具体的にどういうふうにやっていけばよいかということを映像で学べるようになっています。コーチングというのは動画で見た方がわかりやすいというのがあって、本には台本のシナリオが書いてあるんですが、声のかけ方とかふれあい方というのを動作を含めて学習した方がより効果があるということで、つまり、コミュニケーション能力の部分をビジュアルで見せた方がわかりやすいということで、お仕事をやらせていただいたわけです。本日はこの先生の著書を参考にお話ができればと思います。

 偶然ですが、こちらの佐藤先生がそうした取り組みをされているということなので、そう遠いお話ではなかったのだなと感じております。

 そうしたことで、本日は限られた時間ですが、コーチングを中心にお話をさせていただければと思っております。後で、実際にお母さんたちに、こういうケースがあった場合、子どもさんにどういった声かけをしているだろうということをやっていただければとも考えております。ご紹介いただければ、その事例からコーチングの具体的な筋道を学んでいただけるのではないかと考えておりますので、ご協力いただければと思います。


■コーチングが必要とされている背景


 保護者のみなさんがせっかくお集まりになられているので、まず、子どもとか、家庭のことについて、みなさんと一緒に考えてみたいのですが、いわば、いまなぜコーチングが必要とされているかということを、家庭で起きていることを中心に考えていければと思います。

 私は、先程ご紹介にあったように、教育物とか人権啓発物の作品をたくさんつくっているのですが、ついこの間、『幼児・児童虐待』『高齢者虐待』『配偶者虐待』という虐待防止シリーズの作品を連作して制作し、今年から東映の方で発売されます。

 タイトルを聞かれてもわかるように、幼児・児童虐待に関して言えば、主としてお母さんと子どもとの関係がメインとなりますが、お母さんの心情のあり方というのは夫婦関係もあるし、嫁姑の関係もあるでしょう。また、お母さん自身がかつて所属していた家族のあり方というのも関係があると思いますが、これも家庭の問題として考えていかなくてはならないことだと思います。

 配偶者虐待という、いわゆるDVというものも、これはご夫婦の交際中からその後のあり方、そして、ご夫婦関係のあり方がメインですが、夫婦関係というのは子どもの姿にも反映されますので、つまり、配偶者虐待のある家庭では子どもへの虐待が多いということもありますので、これも家庭の問題と言うことができます。

 それから高齢者虐待ですが、後期高齢者医療の問題がいまいろいろ話題なっておりますが、高齢者になった段階で起きる虐待です。高齢者虐待の約8割は、総理府の調べでも出ていますが、要介護認定が出ている高齢者の方なのです。要するに身体がうまく動かなくなった、日常生活に多少なりとも支障が出てきたという状態で高齢者の虐待が増えるということがあります。

 これも、みなさん、情報とか噂で聞かれていると思いますが、最近高齢者世帯が増えていますので、老々介護というのが増えているんですね。お年寄りのご主人が病気を患われた奥さんの面倒を看る。あるいは、逆の場合ですね。そうなってくるとこのご夫婦の歴史が問題になってくる。

 たとえば、若い頃にご主人が浮気三昧をしていたとします。そこで奥さんは子どものためにとずっと我慢していた。子どもが育って、いま多いですけれど、退職後離婚というのが。そういうことも考えたのですが、経済的な理由もあって、これまで我慢してきたというような場合。それがあるきっかけでご主人が寝たきりになった。そのときに、奥さんの心に過去の苦しみが沸々とよみがえってしまって、適切な介護を放棄するとか、場合によってはちょっと抓るとかですね。いわゆる虐待という行為が出てくるというケースです。逆のケースもあるわけですが、こうした問題が出てくる。

 また、もう一つは、長男家族と同居していた。両親が元気でいるときはよかったんですが、お母さんが先に他界された。お父さん一人が残された。そうするといままであった親子関係のあり方が少し変容してきて、お父さんと息子さんの関係が過去にうまくいっていなかったというようなことがあると明確な虐待ではなくても、長男がお嫁さん、子どもたちの意見を聞くうちに、お父さんは自分のことは自分でやてくれないと家族が大変だということになってくる。

 夫婦共稼ぎだしというようなことで、がんばって多少なりとも歩けるようになってよと強制的に歩行訓練をさせる。実はそれはお年寄りにとって、とても苦痛な場合がある。あるいは太り過ぎると歩けなくなるからとダイエットのレトルト食品ばかり与え、量もわずかしか与えないというようなことをやってしまう。これもお父さんのためによかれと思いやっているという面がないわけでもない。しかし、第三者機関が見ると明らかな虐待という場合がある。これも親子関係のコミュニケーションの問題としてあるわけですね。

 ことほど左様に、私たちの身の回りには虐待とまではいかないまでも、家族間の中でもいろいろとコミュニケーションのあり方が変わって、それに呼応していままでなかった問題が起きている。そのことについての知識なり、情報なりをしっかり学ぶということが、ある意味、こうした虐待を抑止することにもなりますし、いろいろな問題を家庭の中でしこりとして残さないということにも繋がってくると言えます。

 因みに、みなさん身近なところでは、つい今日のニュースにも出ていましたけれど、北新宿の駐車場で50代後半の女性が亡くなられていた。どうも次男の方がその犯人だったらしいということがわかってきた。その少し前ですが、島根県の津和野というところで、津和野というのはいいところで、観光名所となっていますが、そこでご夫妻がお孫さんに殺害されるという事件がありました。しかも、相当な憎しみがあるようで、背中に包丁が3本も刺さっていて、その遺体を焼こうとしていたという事件です。

 また、みなさん記憶にあるかどうか、奈良県の三人放火殺人事件。子どもが家族を焼き殺すということをやった。それと近い時期で、福島県の会津若松での母親殺害事件というのもありました。お母さんの首を切り落としてしまったという事件です。

 これらはもちろん極端な事件です。よく誤解されるのは、そういう凶悪事件とか、家庭内の事件が多くて、子どもの重大事件が増えているような印象を持たれているかもしれませんけど、この10数年の傾向をとっても、子どもの犯罪は減っています。多かったのは、戦後間もない頃とか1960年代前後くらいが多くて、現在特に多いわけではありません。ただ、いま申し上げたような特質する事件が多いものですから、なんとなく全体的に多いような気がするだけなのですが、言えるのは、現実にこうした家族内の事件が連続して日本で起こってるということは言えます。

 その背景として、いま格差社会の問題が言われておりますけど、経済的にとても苦しくなっていることがあって、生活苦を背景とした家族内のトラブルが起きているということが言えます。また、もともと家庭内のコミュニケーションができていなかったがゆえに、暴力が家庭内で恒常的なものとしてあった。これは言葉の暴力も含めてですが、暴力が日常的なものになってしまっていたという点も指摘できます。親の子どもへの暴力ということもあったでしょうし、子どもの方からの親への実際の暴力があったということも言えます。

 因みに、この北新宿の例でいくと恒常的に母親への暴力があったということがわかっています。現在では通報義務ができて、世の中の表に出てくるようになりましたけれど、児童虐待が恒常的にあるという家庭が思いのほか、多いという現実もわかってきています。


■家庭でいま何が起きているのか


 みなさん家庭をお持ちの方々ばかりですから、よくおわかりなのかもしれませんが、一つには夫婦共働きという家庭が増えていて、女性の社会進出が当たり前になっているということが言えます。

 いろいろな事情があって、女性が働かなくてはいけない。経済的事情もありますし、女性自身が目標をちゃんと持っていて、社会の一員として生きていきたい、そこで自己実現というものをちゃんとしていきたいというふうに時代が変わってきたということが言えると思います。

 こうしたことから、ご主人だけではなくて、奥さんの方にも社会的ストレスがかかりやすくなっているということですね。

 また、子どもたちの側から考えれば、みなさん中学、高校のお子さんをお持ちですからよくわかるように、私たちの子どもの時代よりもはるかに情報量が多いですね。インターネット、携帯、それからTV等々の情報媒体が多いものですから、情報量も多い。その中で、自分の人生の決定をしたり、生き方を考えていかなくてはいけないというのは、ある意味、非常に大変なことなのですね。

 私は1954年の生まれなので、現在54歳ですが、私たちが子どもの頃というのは選択肢がそう多くはなかったんですね。ところが、いまの子どもたちは、自分がやりたいと思えば、何でも選択できる。しかし、選択の多さというのは、実はとても苦しい。逆の立場になって考えるとそう思うんですね。

 あらかじめ3つの選択から選びなさいと決められている方が楽なんですね。それだとそうそう悩まなくてもいいんですが、むちゃくちゃ選択肢がある中で、どれか一つを選ぶということほど、無間地獄はないかとぼくは思うんです。そういう意味での子どもたちの痛みもあるだろうと思います。

 また、いまの世の中のあり方の問題。たとえば、後期高齢者医療の問題などいろいろな将来の問題が山積している。そういう大人たちの姿を見ていると子どもたちは当然思いますよね。自分は前向きに人生を生きていこうと思うけれども、将来、自分の人生は大丈夫なのだろうかと。株価が悪くなって、どこかでリストラがあるかもしれないというような話を聞くと自分の将来ってそんなに安泰していないんじゃないかなって、当然思うわけで、何を基準として生きていったらいいのかという不安が当然、子どもたちの中にはあるわけです。子どもの中にも不安がある。

 両親にも何がしかの不安要素があり、ストレスがあって、子どもたちにもそういう状況が与えられているという中で、本来、家庭というのはうまくコミュニケーションができていて、癒しや自助の関係があるのが理想だとは思うのですが、家庭の中で、そういう風景がなかったりする。お父さん、お母さん共に忙しいですから、子どもの話をゆっくり聞いている暇がない。仕事のことでイライラしていて、別のことでカリカリしていると子どものことを怒鳴ったりするということも儘あるかもしれない。

 もう一つは、子どものことをわかっているようで、わからなくなってきているという不安が親御さんたちに増えている。どういうことかと言いますと、子どもたちの世界にプライベート空間が増えているんですね。携帯の中だけで子ども同士のネットワークがつくれるんですね。インターネットの世界の中に。

 あるいは、私が何本かつくっていますが、いじめの作品の中で取材していくと、いじめが悪いということを子どもたちは知っているわけですね。それが発覚すれば、きっと先生や親たちから非難を受けることはわかっている。にもかかわらず、いじめが起こったりするというのは、悪いとわかっていてもやっているわけです。悪いとわかっていてもやっているというのは、どういうことかと言うと、子どもたちだけのプライベート空間の世界にいるかいないかが重要なわけです。そこに居場所をみつけることによって、子どもたちたけのコミュニケーションの中で充足感を得られる。そこから何がしかの形ではじかれるのがいやだから、いじめがあってもそれを暴露しない。そういう縛りが出てくる。

 つまり、プライベート空間の中に生きていないと子どもたちって友だちもつくれないし、子ども同士のネットワークの中で情報を共有できない。そういうことが、かつてだったら、家族の団欒の中で話をすることが、そのまま学校での子どもたちのコミュニケーションのツールになり得ていたものが、そうではなくなってしまっているというような情報媒体の変化というのがあって、そのことについての世代間の断絶が生まれている。

 場合によっては、コンピュータやインターネットはよくわからないという親御さんもいらっしゃるでしょうし、携帯はご自分でも使われるけれど、実際にどういう機能があるかということを細かいことまでよくわかりませんという方もいらっしゃる。そういうことになってくると、子どもたちがどういうコミュニケーションネットワークの中で生きているのかという姿が見えない。

 そうなると子どももこれはお母さんたちに話しても仕方がない、わかんないだろしなと口を閉ざしてしまうこともあるということです。

 もう一つは、私もそうですが、私たちは、親世代と違って、戦争の経験だとか、食糧がないという経験だとか、人生の選択が全くないというような経験がないんですね。大工の息子は大工になる。公務員の子どもは公務員になれというような中で生きてきた人たちというのは、ある制約の中で生きてきた分だけ、他者と向き合う力が強かったんですね。

 自分は幸にして大学まで進めたが、幼い頃、尋常小学校まで一緒だった大工の家で大工にしかなれなかった友だちがいて、その大工の友だちが「オレは大工として一生懸命いい仕事するから。お前は勉強ができるから一生懸命頑張って、官僚になってわが日本国をよくしろよ」なんて言う。それで大学を出た人間も使命感に燃えて、「みんなのためにいい官僚になって、みんなを幸せにするんだ。そのための努力だったら、自分はいとわずに頑張ろう」というような、簡単に言えば、モラルが生まれるわけです。

 そうした中で成り立つコミュニケーションというのは、人の気持ちを推し量ったり、相手がどういうことを考えているかを推し量ろうという能力と言いますか、力が培われていくんですが、残念ながら、豊かな時代に生まれた、戦争を知らない子どもたちとしてはですね、その部分が弱いわけです。その分だけ、自己中心的であったりしますので、他者の思いを読むという力が弱いわけです。

 そればかりか、経済的に大変で、お父さんの仕事も大変だ。競争も激しい。将来不安もある。だから、人のことを推し量るゆとりが持てない。子どもはどう思っているのかと考えるゆとりが自分の中でどんどんなくなってしまうということが大人に起こってくるということです。

 大人社会がそうですから、子ども社会もそうなっていて、大人にはわからない子どもたけのネットワークの中で、発散させたりとかいうことが起きてくるということがあるとも言えます。

        


■テレビドラマから考える思春期問題


 いま、みなさんご覧になているかどうかわかりませんが、『ごくせん』という日テレのドラマがあります。漫画が原作ですけれども、これが始まって、パート1が放映されたときに20数パーセントという高視聴率を記録しました。同じクールで木村拓也さん、明石家さんまさんが出る『空から降る一番の星』というのをフジでやっていまして、これは30パーセントは視聴率をとらないと出演者のギャラが高いですから合わないのですが、同じ程度の視聴率しかとれませんでした。スポンサーからすると対費用効果で考えると明らかに『ごくせん』の方がいいわけで、それほどお金をかけていなくても視聴率が高かった。それは、なぜかというとおもしろかったからです。

 では、そのおもしろさというのは何かと言ったら、いま同時に『ルーキーズ』という番組やっていますが、これも『ごくせん』と同じです。思春期になっていろいろな思いを持っている子どもたち、思い込みを持ってしまった子どもたちを見取ってあげて、それぞれの子どもに何かの可能性があるはずだから、がんばろうよと。がんばらないで、日和ってる子とか、いじけてる子は叱咤激励して、がんばろうとした者を侮蔑の対象とする者に対しては、「それって、おかしくない?」と言い返し、子どもを守ってくれるというものですね。

 青春熱血教師ドラマの類型的パターンなんですが、それを二つともやっているわけです。たとえば、普段の学校生活の中で子どもたちが思っていることや言えないことを言ってくれて、「ああ、そうだ。おもしろい!」と思うわけです。親御さんたちも会社とかで、ここまで言い切れたら、どんなに気持ちいいだろうと思うようなことを仲間由紀恵がパッと言った瞬間、気持ちがスッとして、「これはいいよね」というふうになるわけです。

 テレビドラマというのは、日常生活にないものをやると当たるんです。日常生活が『ごくせん』のようなら当たらないんですね。『ルーキーズ』もしかりで、なかなかああいう先生はいないから、みんな喜んで見るわけです。

 ただ、ここで問題なのは、二つともそうなのですが、ちょっと古い青春ドラマなんです。つまり、私たちが思春期の時代に憧れて見た、青春教師物のドラマと同じフレームなんですね。みなさん、ご存知かどうかわかりませんが、『青春とは何だ』とか、『これが青春だ』といったものと一緒なんですよ。いま、笑った方は、私と結構、歳が近い人なんですよ(笑)。

 そういう青春物を見て育った人間からするとこうしたドラマはありなんですね。ぼくらの感覚から言うとそう遠いものではない。私たちがかつて共感したみたいに、登場してくるのは、ちょっとヤンキーな奴らなんですよ。私たちの時代にはヤンキーという言葉はなかったですが、斜に構えて、カッコウつけてる連中なわけですね。

 しかし、この人たちは、まだ、いいんですね。なぜいいかと言いますとヤンキーというのは、社会復帰率が高いです。昔、暴走やりましたとか、ちょっとヘンな格好してましたとか、タバコ吸ってましたとか、喧嘩もしましたとか、いろいろ言っても、これはちゃんと信号を出しているわけです。たとえば、タバコを吸うという信号を出しているし、喧嘩をするという信号を出している。暴走するという信号を出している。つまり、大人にわかるように信号を出しています。これは、大人もキャッチしやすいわけです。

 『ごくせん』や『ルーキーズ』の先生たちのように、「お前、どこに痛みがあるの?」って聞いてあげることができるわけですよ。最初はコミュニケーションがうまくいかなくても、一生懸命声をかければ、ふれあいを持っていけば、心を開いて、結果的に「そうだったのかぁ」と一緒に泣いて、夕日に向かってみんなで走っていけるわけですよ。

 問題なのは、信号を出さない子どもたちなんです。いじめ、不登校、ひきこもりというと三題話みたいですけど、学校でいじめがあった。誰にも言えない。子どもたちだけのネットワークがありますから、自分で何とかしなくてはいけないとじっと耐えている。耐えていて、お母さんに相談しようと思うけど、お母さんは忙しい、子どもの話を聞く状態ではない。一つには理由があって、親に知られると恥かしいというのがあり、言えないというのがあるのですが、そういうふうに我慢している。

 その内、学校へ行きたくなくなる。学校へ行こうとすると身体がだるくなる。お父さんとお母さんは何とか学校に行きなさいというのだけど、自分も行かなくては思うけれど、身体が言うことを聞かない。頭が痛い。吐き気がするというふうになってきて、そのことで家庭でもめるようになって、親から「学校へ行けないなんて、どうしようもない奴だよな」って言われた瞬間に、自分の部屋にひきこもってしまうとかいうことがあるわけです。

 つまり、信号を出していない子が問題なのだということなのです。だから、信号を出していない子どもたちのことをどう考えていくか。

 自分のお子さんが口答えして、むかつくこともあるかもしれませんが、子どもが「ふざけんじゃねぇ」とか言うことがありますが、これはちゃんと信号を出しているわけです。つまり、「わかってくれ」と言ってるわけです。その点から言えば、「はい。わかりました」と逆らわない子の方がこわいんですね。


■思春期とはどういう時期なのか


 たぶん、みなさん、思春期のお子さんを持ったのは初めてですよね。つまり、お子さんが生まれてお母さんになったが初めてですよね。子育てをしたのも初めてだし、生まれてすぐに思春期の子どもがいるわけではないですから、子どもが思春期になるというのも初めての体験なはずなのです。

 親から見ると子どもというのはずっと関わり合っていますから、わかってるものだと思ってしまいます。子どものことは何でもわかってるとつい錯覚しがちだと思います。

 ところが、明らかに思春期というのは、大人になるための時期ですから、その時期に起こるいろいろなことというのは、親が知っている従順な、小学校低学年の頃の子どもとは明らかに違う。別の人間になろうとしていっている時期です。ベーシックではいろいろなところで繋がっているところはあるでしょうけれど、やはり、違うところが出てくるというのが思春期です。

 思春期の時期の接し方と幼児期の子どもとの接し方とは当然違わなければいけない。違わなければいけない時期というのが、女性の場合は身体の変化がありますので、早くから準備ができます。男の子の場合、そうではありませんから、大体、思春期前期だと小学校の高学年から中学に入る頃で、その後がいわゆる思春期という17、8くらいまでの時期です。

 思春期というのがどういう時期かというのをちょっと立ち止まって考えておくというのは必要なことではないかと思います。真剣に考えると悩みますから(笑)。真剣に考えることはないと思いますが、どんな時期かなと考えておいてもいいかなと思います。問題が起きる前にですね。

 一度、調査したことがあるんですが、中学生の子どもたちの悩みを総理府の統計データと比較しながら、調査したことがあったんですけど、一番多いのは何だと思います? 中学生、高校生1、2年くらいまでの悩みで多いのは?

 悩んでるとまではいかなくても、子どもたちが気にしていることですね。これは男女一緒です。

 三択で言いますと勉強・進学の悩みというのがひとつあります。当然、家庭の悩みというのもあります。もう一つが人間関係の悩みというのがあるんです。

 わかったと思いますが、いま上位3つの下から順番に言っていったんですが、勉強や進路の悩みが一番と思いきや、人間関係の悩みがトップなんです。

 その人間関係というのは学校での人間関係です。友だちが自分のことをどう思っているか。友だちと自分はうまくやれているのだろうか。そのことが子どもたちにとっては一番大きいことなんです。次に来るのか家庭の悩み。上位二つともが、コミュニケーションの悩みなんですね。お父さん、お母さんにどういうふうに自分の思いを伝えたらいいのだろうという悩みですね。これは全国的な平均です。決して、佼成学園の子どもたちがそうだと言っているわけではありません(笑)。

 じゃ、なんで人間関係が重要なことなんですかということなんですね。

 みなさんもかつて中学校の頃ってあったじゃないですか。気になりましたよね、回りのことが。オレにはこの目標があるから回りは関係ない。オレは目標に向かって頑張るんだ。そんなふうなとてもステキな人はいたかもしれないんですが、思春期の頃は少なかったんじゃないかと思うんですね。大学とかに進んで、自分はこうなるんだと頑張っている人はいると思いますが、思春期というのはいろいろなことを考えますので、明確な目標がはっきりしていない分だけ、勉強や進学のこと以上に他者の視線が気になる。

 女子は特にそうですけど、横並びの関係を重要視するということがあります。隣がどうしているかが必ず気になります。公園デビューというのは女性でなければありえないですから。女子の場合は同性にどう思われているかが重要なのです。思春期を振り返っていただきたいんですけど。異性にどう思われるかよりも同性にどう思われるかが重要だったと思うんですよ、みなさん。断定してはいけないんですけど(笑)。

 男子の場合は、同性ではなく、異性にどう思われるかが気になるんですね。女性と男性との違いはそこなんですね。女性は同じ同性との社会的居場所をみつけたいんです。男性の場合は社会的な居場所はいずれ与えられますから。そのことがわかっているんですね。いずれ大人になれば、社会的な居場所は男性の場合、つくりやすい。男女差があるのはいけないことなのですが、現実に世の中がそうなっているので、男性には社会的居場所は与えられるという安心感があるので、同性の問題ではなく、異性の方へ関心が向くんですね。後、男子が気にするのが縦の関係です。社会の上下関係の学習を早くからやる。だから、異性以外では、教師・親や先輩、後輩の眼が気になる。

 ま、ことほど左様に他者の視線が気になる。人間関係をどう生きていけばいいかが一番気になっているということなんですね。そうしたことが思春期の現実としてあるのだということを知っていただきたい。

 次に、そうしたことから、これは特に男の子ですが、ズレを感じやすい。私の経験でもありましたけど、小学校中学年、高学年くらいまではそれほど気にならなかった親の言葉一つが、中学校の1、2年くらいになるとむちゃくちゃ利くんですね。「ここんこと、ダメじゃないか」と小さい頃言われると「はい」と言えたのが、中学生くらいでそれを言われると「オレって本当にダメなのかな」なんて思ってしまうんですね。

 小さい頃は抗弁しようとしても負けてしまうので、「はい、そうですか」と引き下がるんですが、中学くらいになるとそれなりに頭が働きますし、知識も入ってくるので、反論しようとする。うまく反論はできないのですが、言いたいことというのが生まれてくる。

 その時期、ぼくはよくトイレで泣いていましたね。わかってもらえないという思いで涙が出るのです。しかし、それは親には見せていないです。うちの両親は、私が中学のその時期、トイレで一人、悔しくて泣いていたなんて、ずっと知らなかったと思います。だから、親はわからなかったと思います。トイレで泣いて、親に知られるのが恥かしいから、何事もなかったがごとく出てくるわけですから。

 それくらいに、言葉とか、親の対応が気になるんですよ。つまり、デリケートになってくるんですね。

 それはどういうことかと言うと、それほど難しいことではなく、身体が発達していって、性的欲求も出てくる。しかし、子どもとしての気持ちがまだ残っていますから、バランスがとれません。そういう精神状態のときに、いろいろなことを言われると気になったり、イライラしたりする。

 そういうときに、「うるせぇ!」とか、佼成学園の子どもたちはないかもしれませんが、「くそババア!」と言ったりとか親にキツイことを言い返したりするわけです。ま、お母さんも聞き流すことができるといいのですが、その言葉に子どもと同じになって言い合ってしまう。「あなたこそ、何よ!」と子どもと同じ感じになってしまう(笑)。そこで一歩引きなさいよと言いたいんですが、引けないんですね。子ども同士の喧嘩みたいになってしまうんですよ(笑)。

 しかし、ぞんざいな言葉を使うのは、当たり前で、ギャップに苦しんでいるわけですよ。言った後には、子どもも「やべぇ」とか、いけないことしたという思いは過ぎるんです。私のように内向するタイプは、トイレでシクシク泣いているわけです。

 そうしたことが起きているのも、心と身体のズレでバランスを失くし、他者の目線が気になる、デリケートになっているという証なのです。

 たとえば、親の言うことや他人の評価が気になるということを「どうしてそうなのかな?」と聞いてくれて、一緒に考えてくれる親がいればいいんですが、そういう親は絶対いません(笑)。だから、言うのは止めようということになってしまう。自分で抱え込もうとします。言うことが恥かしいし、幼い子どもの頃だったら、甘えられたわけでしょう? 「お母さん〜」とか、「お父さん、ちょっと聞いて、聞いて!」とか言えたわけじゃないですか? だけど、中学生になって、それはできないでしょ、子どもは恥かしくて。

 だから、マインドとしてはそんな幼い頃のマインドで親と接したいんだけど、「やっぱ、みっともないな」って思うから、閉じてしますんですね。でも、閉じて、無口になるから、親としては何を考えているかわらかない。それで、「あなた、何やってるの!」と言っちゃう。それで、「なんだよ! うるせぇんだよ!」と子どもは言い返すことになってしまう(笑)。


■子どもの自尊感情を傷つけないふれあい


 そういうことが起きるというのも、実は、ヘンなことではなくて、子どもがちゃんと育っているということなんです。そこで、親が悩むとすれば、親も初めて思春期の子どもを持った親になろうとしているということなんです。だから、恥かしいことではなくて、場合によっては喧嘩になってもいいし、失敗があってもいい。ただただ、一つだけやってはいけないことというのがあります。

 それは自尊感情を傷つけないことです。

 子どもはプライドがあるんです。思春期になって自我が目覚めて、自分という人間に対する尊厳が欲しいんです。認めてもらいたいんです。しかし、親子喧嘩の勢いで、ついつい「あなたなんか、ダメなのよ」って言った瞬間に、自分はダメなのかと思い込んでしまうという危険もある。だから、自尊感情だけは傷つけないという配慮が必要です。受け入れてあげるというところが、最終的に親にないと本人は相当にキツイだろうなと思います。

 どうして、受け入れてもらえてないと思い、自尊感情が傷つかれるかというと、一つは押し付けなんです。

 帰りが遅いとか、女の子だったら外出するときに派手な衣裳になっているとかいうときの対応ですね。一時期流行りましたけど、ルーズソックスになったときに、学校で禁止したり、親御さんが注意したりとかしたことがありました。

 たとえば、学校の全員がルーズソックスを履いている。そういう場面で、親がルーズソックス履いてはいけないと言って、一人だけ履かせなかったら、その子はいじめられます。いじめられないまでも「あんた違うね」って言われる。ルーズソックスというのは信号なんです。子どもたちのネットワークの中にいるためのものなんですね。だから、それが履きたいどうこうではなくて、みんなと歩調を合わせて、信号を一緒にするためだけにルーズソックスを履いている子がいる。

 それなのに、それはみっともなくて、そんなソックス履くなんて云々と文句を言ってばかりで、親の価値観を押し付けるばかりだと子どもはかわいそうでしょ? だから、「あなたも辛いのよね。ほんとはあなたはどう思ってるの?」と投げかけてやると「実は、お母さん、私もね、ほんとはいやなんだけど…」と子どもの気持ちが見えてきて、「そうよね。付き合いも大事よね」と言ってあげれば、解決の道が見えてくる。しばらくやっていたとしても、いい時期に止めますよ。

 現象に惑わされて、その事実だけにカッとなってしまうと大変なことになってしまう。つまり、MUSTの押し付けはやってはいけないということです。

 親自身が自分の中学・高校時代にMUSTの押し付けで育ち、いい子でいたから、ご自分はできた方もいたかもしれません。でも、きっとどこかに不満はあったはずなんですよ。だから、MUSTの押し付けはしないようにするということが大事です。

 でも、何かを注意するということは大事です。何も注意しないというのは、これもいけないことで、携帯の使い方など心配なときは注意すべきです。しかし、そのときに、問題提起をして、相手に考える機会を与えるように常に心がけることが大事だと思います。

 たとえば、ルールはつくらなくてはいけないですよね。家庭の中のルールです。「他の家ではそうではないかもしれないけれど、うちではこれがルールで、お母さんもお父さんも、お姉ちゃんもあなたも、これはみんなで守るのよ」という家庭のルールをちゃんと伝える。その上で、ルールを守れないことがあります。そのときに、なぜルールが守れなかったかを一緒に考えるということです。「これは守らなければならないことだから、絶対に許さないぞ」ではなくて、なぜそれができなかったのかを一緒に考えてあげる。そうするとMUSTの押し付けではなくなるんですね。それがしつけになっていくんです。

 もう一つは、親の価値観を一方的に押し付けない。子どもへ圧力をかけないということですね。ヤンキーの子たちは救いがあるというのは、信号を出す強さがあるからです。そうではない子は信号が出せませんから、こちらの方から状況をつくって与えてあげないと心の奥にあるものの芽が見えません。こちらの価値観を一方的にぶつけてしまうとその芽を摘んでしまうということになります。

 それから、親御さんが先回りをして、結論を先に与えないということです。子どもが何かを選ぶにしても考える時間をちゃんと与えてあげて、その中でどうするかを模索させる。そこで適切なアドバイスや声かけをしていくということが大事だと思います。

 後、家庭内でトラブルが起きてくると親御さんが腫れ物に触るような接し方をしてしまうということがあります。「思春期だから、もうしばらくすれば変わるわよ。2、3年もすれば落ち着くわよ」みたいな。折角そのとき信号を出しているのに、スルーして触れようとしない。そうすると子どもは余計孤独感を感じますから、寂しさが増長されて、ますます物がしゃべれなくなり、違うことに自分のストレスをぶつけていこうということになります。つまり、放任というのは決していいことではないということです。

 もう一つは、先程の先回りするというのと同じですが、過干渉というものですね。子どもに選択権を与えないということはいけないことです。


■子どもにも人権があることを知る


 後でお話をしようかと思っていましたが、いままで申し上げたことがなぜ必要かというと子どもには権利があるということなんです。

 みなさんはお子さんがいて、自分のお子さんですから、性格も知っています。扶養もしています。育ててきました。おっぱいもあげました。だから、自分の物だと思うかもしれない。でも、みなさんの物ではないです。子どもには子どもの人権があります。一人の人間です。小さいときには、生命の危機に晒されないように親としてやらなければいけないことがあります。でも、それは親として当然のことです。

 それをした上で、子どもが思春期から青春期にかけて自立しようとしている。つまり、「自己表明」をするようになります。ぼくはこうしたいと言うようになる。それから、自分で決めたい。「自己決定」をするようになります。自分はこんなふうに生きていきたいという「自由意志」を持つようになります。この三つの権利は、子どもにもあります。大人だけではないです。

 大人だから、私たちは自己表明ができて、自己決定ができて、自由意志があるではなく、子どもにもあります。

 だから、自分の物ではないんです。子どもはちゃんとした人格を持つ一人の人間なんです。彼らに対して親であると同時に、彼らはそういう存在だというふうに思わないと全部の道を自分たちがつけるみたいに先回りして、結論を出して与えたりします。これ、親が自分で、子どもの決定する能力を奪っていますよね。

 たとえば、自己表明。子どもが何か言い返して、それに「何よ。あなた子どものくせに」と言ってしまったら、それはもう子どもの意見を摘み取っていますね。

 みなさん、ご存知だとは思いますが、「子どもの権利条約」というのが国連で採択されていて、日本も批准しています。

 親であろうが、他の大人であろうが、子どもと言えどもその人権を奪ってはいけないというものなんです。よく食糧危機に晒されているような国で、子どもの生存権を例に挙げて、子どもの人権を語りますが、子どもたちにもちゃんと人としての権利があるんだということは心の中にちゃんと置いておかないといけないことだと思います。

 そうでないと過保護、過干渉ということを平気でしてしまいます。子どもたちの自立、自発、自助的な行動に対して、客観的でいることができなくなります。このことは理屈としては覚えておいていただきたいなと思います。


■具体的なコーチングの事例


 こうした親子関係の姿というのがあるのですが、では、具体的にどういうことがコーチングができていないのか、どうやったらコーチングができている状態なのかというのをご紹介したいと思います。実際にやっていただければと思うんですが、いかがでしょうか?

 簡単なところで、資料にありますロールプレイ2の学校のテストが返却されました。非常に点数が悪い。さ、そのとき、どうしましょう? 因みに、クラス平均点75点だったのに、うちの子どもは32点だった。これ、相当ひどいですよね(笑)。子どもは当然、見せたくないですよね。「そう言えば、試験のテスト返してもらうとか言ってなかった?」「まあね…」。どうしようと子どもは思います。「鞄の中にあるんなら、出しなさいよ」と言うから渋々出す。先生も書かなきゃいいのに、ご丁寧にクラス平均点と45人中43番なんて書き込んでくれている(笑)。

 さ、そのテストを見ました、その瞬間、最初の一言、どうでしょう?

 保護者の方Aさん「どうしちゃったの?」って言います。
 保護者の方Bさん「よく見せたわね」って言います。

 素晴らしいですね(笑)。もしかしたら、何か本を事前に読んできました?(笑)。実は、いまのお二人のお答えはとってもステキで、まず、お一人の方は「どうしたの?」って聞いていますよね。こういうとき、「どうしたの?」って聞いてもらえると子どもはとっても助かりますね。

 つまり、責められていないということです。「あなた、なんで32点なのよ!」「なぜ、45番中43番なのよ!」とか、まず非難から入っていないということがいいです。それから、語尾を上げて聞こうとされていることです。

 まず、お母さんは正直、驚きました。ねっ?(笑)。でも、「えっ!」って言ってしまったらおしまいですから、えっ!が評価になっていますから(笑)。えっ!って言う前に、お母さんは、「どうしたの?」と語尾を上げて聞いているんですね。

 そういう聞き方をされるとぼくが子どもだとするとこんなふうに答えると思います。
 「だってさ。試験の前にオレ、ずっとテレビ見てたんだよ」。あるいは、「ゲームしてたんだ。勉強しようと思ったけど、できなくてさ」というふうに。
 そこで、親が相槌を「そうなの?」と返してあげると、「やっぱ、そういうのダメだよな。こんな点数とると恥かしいし」と答えると思います。
 そこで、「恥かしかったの?」とまた共感するように相槌を打つ。すると「うん。恥かしいよ」。
 そこで、また、「そうなんだぁ」と共感してあげる。そして、「じゃ、これからどうする?」と問いかけてみると、「この次はちゃんと勉強する。こんな点数じゃなくて、せめて平均点がとれるようにするよ」というふうに、子どもが自分で考え出すんです。

 自分で問題をとらえて、どうしたらいいのかを考える。もう出てしまった結果は仕方がないじゃないですか。同じ過ちを繰り返さないために、どういうふうに行動し、どういう考え方で生きればいいのかを子ども自身が考えるようになる。だから、最初の「どうしたの?」は大事なんですね。

 もう一人の方が、すみません、もう一度お願いします。

 保護者の方Bさん「よく、ママに見せてくれたね」。

 こういうのはなかなか言えないですよね(笑)。その子は、「お母さん、これちょっと見て」って自分から積極的に答案を見せたんでしょうね。そしたら、素晴らしいですよね。普段からいいコミュニケーションをされているから、そうしたことができるんですね。

 いまのお答え方は、子どもの痛みがおわかりになっている。つまり、子どもも辛かっただろうな。答案を見せること自体ためらわれただろうし、ゴミにして捨ててしまいたいくらいだったよねというのがわかっている。ただ、佼成学園はしっかりした学校なので三者面談か何かで次のテストが返されますなんて話が出ていたんでしょうね(笑)。子どももバレバレとわかっているので、隠すわけにもいかない。しかし、少なくともそうやって見せてくれるということの勇気を讃えてやるというのも大事なことなのですね。

 ひとつの事例としてご紹介しましたが、いまの事例でも、MUSTを押し付けない。自己決定・自己表明の権利が子どもにもゆだねられているんだということがわかっていればできる対応なんです。


■コーチングのポイント


 こうしたふれあいをしていくには、いくつかのポイントがあります。ここからは先ほど、ご紹介した神谷和宏先生の著書の内容を参考にお話をさせていただきたいと思うますが、すでに事例の中で答えが出ているのですが、一つは、「どうしたの?」という言い方です。「どうしたの?」にもいろいろな言い方がありますよね? ね?(笑)

 もうわかってらしゃると思いますけど(笑)。「どうしたの!?」なんてね(笑)。これは、アウトですね。いま保護者のお母さんにどう答えますかと伺ったら、最初からちゃんと語尾が上がってらっしゃいましたよね。だから、「どうしたのぉ?」って語尾を上げて、聞くんです。つまり、上げることが大事なんです。

 子どもの話を聞いて、何か反応してあげるときにはすべてそうです。「どうしたの?」「そうなの?」と上げるんです(笑)。めちゃくちゃわざとらしいと思われるかもしれませんけど、意図的に上げるんです。意図的にそうしてあげると相手にとってはやりやすくなる。答えやすくなるということです。

 コーチングになぜトレーニングがあるか。コーチングにはいろいろな資格がありますが、これがなぜあるのかというのは、後で佐藤先生からご説明があるかもしれませんが、こういうことができるようにする訓練があるんですね。だから、意図的にそうする。勿論、大事なのは気持ちです。みなさん保護者の方ですから、子どもと一緒に考えてあげようという気持ちがあれば、やさしく、包み込むように語尾を上げるということができると思います。「どうしたの!」にはならないですよね(笑)。

 もう一つは、子どもの語る言葉を繰り返すことです。これ、みなさん、経験ありませんか? 子どもの頃とかに。子どもが「痛かった!」と言ったとき、「ああ、痛かったよねぇ」って返されたり、返したことがあると思います。同じ言葉を繰り返してあげることで、受け止められたと思うんです。みなさん、子どもが小さいときにはやっていたでしょ。でも、大きくなってくると「ふざけんじゃないわよ」とか(笑)。「痛いっ」って言ったときに、「そうよね。痛いよね。痛かったよね」って同じ言葉を言ってあげる。

 さっきの事例でいけば、「よくママにテストを見せてくれたわね」と言うと子どもが「うん。お母さんに見せないでいるとお母さん悲しいだろうなって思ったから」と答えたとします。そしたら、「そうなの。悲しいだろうなって思ったんだ」と繰り返してあげることです。そうすると子どもは言葉につられてどんどん乗っていける。自分の気持ちを出していく方向にいけるんですね。

 後、ペーシングと言いまして、私がいま、お話しながら、いろいろな動作をやっていますが、子どもが話しているときの動作と同じ動作をするということです。事例を一つしかやっていないので、同じ例ばかりで恐縮ですが、「どうしたのぉ?」って聞いたときに、子どもが腕を組んで、「勉強しなかったんだよねぇ」というときの腕を組むしぐさと同じ動作を親もやるということです。「そうなんだぁ」と言いながら自分も腕を組む。すると子どもも腕を組んだまま「お母さん、そうなんだよぉ」となる(笑)。

 同じ動作をすることで、気持ちが一緒になっていく。これは、意図的に語尾を上げるのと同じなんですが、カウンセリングでも同じようなことがありますけど、相手と同調するということなんですね。

 みなさんも何かで初めて会う人がいて、その人と仲良くなりたいと思ったら、同じ動作をすると仲良くなれます。同じ動作をすることで共感できるんですね。子どもの動作の癖があったら、それに目を付けて、お父さんもお母さんも同じことをしてあげるといいと思います。

 それから、さっきの話と重複しますが、否定ではなく肯定から入る。例であったように「よく見せてくれたよね」と肯定から入ることです。つまり、No butではないということです。「これはダメよ。ダメだからこれはしてはいけないんだ」というように、否定してから何かを伝えようとしないというこです。

 Yes andで対応してもらいたい。「そうよね。大変だったよね。それで?」というふうに対応すると「うん。だから、ちゃんと勉強しようと思う」というふうに答えてくる。Yes andで繋いでいくとことです。

 後、注意しなくてはいけないのは、よくやるいけないことで、「なぜ?」「どうして?」という問いかけですね。さっきのは「どうしたのぉ?」でしょ。どうしたのというニュアンスは、後でお話しますが、いろいろな状況を自分で解読する方向へ持っていく問いかけなんですね。

 「なぜ!」「どうして!」ってなると原因究明になってしまうんです。さっきのテストの例で、これをやったら、決して強い口調や厳しい口調でなくても、さりげなく、淡々と「なぜ?」「どうして?」ってやられたら、たまんないですよね(笑)。つまり、糾弾になってしまうんですね。責めるんです。だから、「なぜ」からは入らないでいただきたい。

 「どうしたのぉ?」が状況を把握すると申し上げたように、たとえば、そう聞かれて、子どもが「昨日さ。試験の前さ」と答え始める。これ、いつですね。「友だちと家でゲームをやって」。これは誰と、何を、どこでですね。「遅くまで起きていて、勉強がやれなかった」。つまり、4W1H、When Who What Where Howなんですね。状況を分析し、把握する要素が全部は入っているんです。それを子ども自身がやっている。

 どうしてそれができるかというと「なぜ」って聞いてないからですね。

 それから、さっきの例でいけば、32点という成績をもらってきてしまった。その事実を認める、受け入れるということができないで、そのことばかりを問題にしたとする。「なんで、こんな点数とってるの!」とその事実を批判ばかりしていると辿っているのは過去の時間ばかりですね。

 勉強しなかった、あなたが悪いと否定しながら、どんどん過去の時間を遡ろうとする。それだと子どもが問題解決するための未来イメージがつくれないですね。

 起こったことをあげつらって、過去を振り返らせるんじゃなくて、さっき、問題解決に向かうために未来を考えましたよね。こういう状況だったという分析があって、この次からはそうしないんだという対策を考える。未来の、自分が勉強をちゃんとしているイメージができているんですね。

 だから、子どもに対して、未来が描けるような、つくられるような声かけをしてあげる。未来をつくってあげる。自分でそれを考えるようにしてあげるということがとても大事だということです。問題が解決して、成功しているイメージを持てるようにするということです。

 たとえば、陸上の選手が12秒の壁を破りたいと思っている。でも、なかなか記録を超えられない。そこで、コーチがいろいろな練習方法を考え、なぜうまくいかんだろうと一緒に考える。シューズを変えてみようかとか、筋力を強化しようかとかいろいろな方法を模索する。で、そのときあるのは、未来の記録を超えて走るイメージじゃないですか。

 ダメなことをあげつらっても、未来のイメージは持てないじゃないですか。

 つい最近、女子バレーがオリンピックの出場権を獲得しましたが、この前の大会では出場権をとれなくて、マスコミとかのパッシングもすごかったんですが、柳本監督がそこでダメじゃないかと指導していたら、勝ってはいなかったですね。うちのチームはこうすればいいという成功イメージをつくって、それをやれば、オリンピックに出れるし、メダルも取れるかもしれないと指導したわけです。未来イメージをみんなで共有したわけです。それがないとモチベーションは出てこないわけです。そのことを考えていただきたい。

        

 それから、子どもを責めない。子どもが考えるように声をかけるということです。そのときに大事なことなんですが、声をかけるときに、「私はこう思う」という言い方をしてあげる。

 お父さんたちはこれをしないですね。叱るときに、「世間の常識から考えてこうだろう、お前!」「クラス平均75だよ、お前。クラスのみんなが75点じゃん。お前だけが32点ってことじゃん。みんなは75点。お前は32点。おかしくない?」。こういう言い方をしてしまう。

 これ、どういうことかと言うと「みんなは」こうで、それに比べて「お前はこう」という言い方をしているということです。評価するのは、コーチの方でなくてはいけないんですね、世間ではなくて。この場合で言えば、親御さんたちですね。「お母さんはこう思ってるよ」「お父さんはこう思ってるよ」と主体をはっきりさせる。

 さっきのテストをみせて誉めてあげたのは、「私はステキだと思うわ」ですね。世間の評価を基準としていないんですね。言い方を変えて、「あなた、見せるの当たり前でしょ。他の子たちはみんな見せてるんだから」になると世間の基準になるんです。

 つまり、Weからいかない。私はという「I」から始めるということです。

 それと「思う」ということですね。
 お父さんたちに気をつけていただきたいんですけど、会社に勤められて、社会的な力というか立場のようなものがあります。ですから、会社のノリで言ってしまうんですね。「こうしろ!」「こういうもんなんだ!」「こうしないと競争社会に勝てないんだ、何考えてるんだよ!」みたいな言い方をするときがややあるんですね。

 こういう言い方だと子どもは絶対に親の言うことを聞きませんね。たとえば、ロールプレイの事例でやれなかったものですが、子どもの部屋に性的な雑誌があった。DVDがあったとか、スキンがみつかったとか。そのときに、「何なんだ、これは!」と怒るのではなくて、「思春期だから、こういうことに興味を持つのはわかるんだが、こうしたものをどう使うかというのをきちんと知ることが大事だと、お父さんは思うんだけど…」という言い方ができるかどうか。

 つまり、「世間ではこうだ」じゃないんです。「お父さんは、こう思うんだけど」の「思うんだけど」が大事なんです。そうすると押し付けられているとは聞こえないんですよ。お父さんという私、「I」は、こう思うんだけど、「お前はどう思う?」と言っているわけです。それによって、自分の意見が言えたりできる。考えたりできるわけです。

 特にお父さんたちは、「お父さんはこうした方がうまくいくと思うんだけど」という言い方をして、決めるのはお前だからという余地を残すのと「こうするのが当たり前じゃないか」と言われるのとでは全然違うということを意識していただきたい。

 ただし、家族みんなでルールを決めて、何かをやろう、守ろうとするときのWeは別です。

 整理しますと、言葉の語尾を上げて、イントネーションを工夫して子どもの気持ちを汲み取るように反応してあげるということ。相槌を打ち、言葉を繰り返し、動作も同じように繰り返して同調すること。否定から入らないということ。問題解決の答えを自分で出しやすいように話をするということです。

 家族というのは、密着して情愛が深いですから、ついついこれは行き過ぎだろうという過ちをすることもあります。「この野郎!」×「なんだ、その言葉の使い方は!」と言い合いになるときもあるでしょう。ぼくは別に完璧なことが必要だとは思っていません。そうなることがあってもいいだろうと思います。でも、そうなっても、その後に、いままでお話したようなことができればいいだろうと思います。

 「ごめんね。お母さんは、こういう理由で、イライラしていたのよ。だから、ああいう言い方になったけど、実はお母さんが言いたかったのは、こういうことを考えたらどうだろうと言うことを言いたかったんだけど」というふうに、ぶつかった後でもやればいい。そうすると「オレも悪いと思ったんだけど…」というふうに子どもも反省して話を聞くようになる。

 濃密な家族関係の中にいるわけですから、いろいろなことが起こって構わないわけです。失敗を怖れないことは大事で、失敗してもやり直せると信じて取り組むことが大切だと思います。


■子どもの心に残す傷と親への信頼喪失


 先程、自尊感情を傷つけないようにと申し上げたのは、実際の事例でこういうことがあるからです。

 お父さんがとても優秀で、某大手新聞社の編集委員をされていました。その方は、息子さんが小さい頃から会社に連れていってたんですね。いつも連れていって、「見ろ。いいか。お前も一生懸命がんばって、お父さんが入っているこういう会社の人間になると映画のチケットとか、なかなかとれないコンサートのチケットも簡単に手に入るんだ。だから、こういう会社に入れる人間にならなくてはいけないんだ」ということを幼児期から思春期までずっと言い続けたんです。

 そして、息子は思春期になりました。お父さんの新聞社に入るんだったら、最低、これくらいの学校は出ていなくてはと言われるわけです。友だちとの付き合いも制限する。「お前は選ばれた人間だろ。つまらない奴と付き合うなよ」といった調子です。

 結局、その子は不登校、ひきこもりになります。また、そのお父さん、ひどい人で、ひきこもりの息子を持った体験を記事にしてしまう。それも彼をひどく傷つけて、結局、親子関係が破綻してしまいました。

 思春期、青年期のギリギリ入り口くらいまで、自己表明できない、自己決定できない、自由意志がないという状況があって、でも、お父さんとは違う、子ども同士の付き合いがある。お父さんの言うことと現実とのギャップがあって、結局、親父なんか顔もみたいくないと爆発しました。

 大人になって、ひきこもりから回復できても、父親とはコミュニケーションができないという状態になってしまいました。

 これは極端な例ではありますが、思春期まで子どもが親の言うことを聞いたとしても、思春期を過ぎて、青年期、そして大人になってから、それまで抑圧されていた思いが爆発するということがある。

 そうなって、親御さんが慌てて、「いままで、言うことを聞いてきたじゃないか」とわけがわからなくなる。何で今頃と思ってしまう。積年の恨みが子どもの中にあったんですね。コーチング的な手法で子どもの声を聞こうとしていなかったので、青天の霹靂のように思い、ショックを受けてしまう。

 親が信頼を失くしてしまえば、会話もなくなってしまいますし、ますます心温まる会話はできないという悪循環に入ってしまいます。


■普段のふれあいの中で大切なこと


 そうならないために、コーチングが必要だと言うことなのですが、これは、特にお父さんたちにお願いしたいのですが、意味のない会話をしていただきたい。

 わかりますかね? 意味のない会話っていうのは?

 お母さんたちは比較的するんですよ、意味のない会話を(笑)。お母さんたち、家に旦那さんが帰って来て、いろいろ話をしても全然聞いてないと思うときがあると思うんですけど(笑)。それは、お父さんにとって、お母さんの話が意味のない会話だからなんですね。

 「昨日さ。隣の犬がさ。家の玄関の前でオシッコして大変だったのよ」とか、「この間の保護者会で会長さんの話が長くて、大変だったわよ」とか(笑)。これ、実は女性は話せるんです。ところが、男性は社会的に意味のあることをしゃべろうとする。

 「だからさ。後期高齢者医療の問題だが、これどう考えているか。民主党案が正しいのか、与党案が正しいのか。お前はどう思う」(笑)。わかりやすいのは、「お前。勉強の方はどうなってるんだ。どういう目標で、どういう計画で、どういうふうにやろうとしてるんだ。全部、述べよ。200字以内で書け」(笑)。

 というようなことをお父さんはやっちゃうんです。たとえば、そこで、「お前、どんな音楽聴いてんの?」とかを話す。「うーん。GRAYかな」とか答える。「そうなんだあ。GRAYの曲っていいよね。あの、あの曲のタイトルなんだっけ?」。「知らないの、親父?」。「じゃ、聴かせてみ?」みたいなやり取りですね。これ、まったく意味がない。生産性のない話ですよね。

 これが大事なんですよ。

 子どもたちと普段から意味のない会話をするということは、親子の信頼感がどんどん高まります。意味のない会話の積み重ねの中で、もし、何か真剣に話をしなくてはいけないとき、子どもには、お父さんは、お母さんは、自分のことをちゃんと認識してくれいるという前提があります。その上で、いまちょっと社会的な意味のある話をしているというふうに思える。そうなるときちんと聞くことができるんですよ。

 普段から意味のない会話をしていないと何かトラブルが発生したときの対応に困るということなんですね。また、会話のやりとりにゆとりがなくなるということが言えます。

 意味のない会話をすることが、家庭ではとっても大事だということです。

 たとえば、家族団欒の食の風景がだんだんなくなってくると、こういう意味のない会話ができない。父「お母さん。今日の煮物、ちょっとしょっぱいよ」×母「えっ。そんなことないでしょ」×母「(子どもに)そんことないよね?」×子ども「そうだよ。しょっぱいよ」という話ができない。そんなつまらないことが実はとても大事なのです。

 いつどんなことが起こるわかりませんから。子どもは子どもネットワークの中でプレッシャーを感じながら一生懸命生きています。子どもだって一生懸命闘っているわけですよ。それで、帰って来た家庭が常に緊張感だったら、堪りませんよね。そこで、意味のない会話をすることが助けになる。


■意味のない日常の大切さ
 

 昨年、今年といじめ問題の作品をつくっているのですが、今年の作品で『いじめから逃げない』という作品の中の冒頭のドラマに実際にあった高校1年生の男の子の話を再現ドラマで挿入しています。

 中学生の頃からずっといじめに遭っている男の子がいて、高校に入ってよりいじめがひどくなり、カツアゲみたいなことをされるようになるんですね。完全に刑事犯ですけど、お金をゆすられるわけです。その理由が、トイレでパンツを脱がされて、おチンチンの出た写真を携帯の写メに撮られて、「金を持って来ないとこれを学校裏サイトの掲示板に貼り付けるぞ」と脅されているわけです。

 それで、彼はどう思ったかと言うと、これはもう仕方がない、あいつらを殺すしかないと思ったわけです。で、ある朝、台所の包丁を鞄の中にそっと忍ばせて、学校に行こうとするわけです。しかし、お母さんがちゃんと朝ごはんを食べていきなさいと言う。

 いつもの朝ですね。お父さんが中年ジョークを言うわけです。くだらないジョークを。「コーチングって言ったら、高知? 四国の?」とか。さっき会長さんが言ってたジョークですが(笑)。そんなことを言う。すると、お母さんも妹も笑うんです。笑いながら、お母さんがもっと食べなさいと彼の皿にサラダを盛る。

 食卓に座って、その見慣れた家族のいつもの朝の風景を見ていたときに、彼は思ったわけなんですね。「どうしてなんだろう」って。自分はいじめに遭っていて、でも、恥かしくてお父さんやお母さんに言えない。別に自分の相談に乗ってくれたわけでもない。でも、お母さんが笑っていて、妹も笑っている。そのときに、「いとおしいな」って思うわけです、彼は。「この人たちを悲しませちゃいけない。だから、人を殺すなんてことをしちゃいけないんだ」と思うんです。そう思って、彼は包丁を持っていかないんです。

 持っていかなかった代わりに、クラスで自分がいじめに遭っていることを話すんです。いままでは、恥かしくて言えなかったんですね。それが、「ぼくはいじめられてます」と勇気を出して言うんです。「いじめは止めて欲しいし、そうした思いはさせて欲しくないんだ」と堂々と言うんですよ。

 それを言わせた力は、何の関係もない、彼の家の普通の食卓の風景なんです。そういうことで、子どもが救われたりするんですね。そういうことがあって、いじめから逃げないで立ち向かおうとした。それをドラマの導入に使っています。

 いじめとか苛酷な話ではなくても、学校でいやなことがあったとか、人間関係でちょっと悩んだとか、彼女に告白したけど振られたとか、子どもなりに一生懸命生きている中で起こっているすべてが親が救えるわけではない。一個の人間ですから、自分で闘っていかなくてはいけないときもあるでしょう。でも、そういうときに、何気ないことで励ましたり、救える、意味のない会話を意識した家族をつくろう、そういう家族になろうねって思えることが大事だと思います。

 家族同士で喧嘩をすることもあるでしょ。夫婦喧嘩をすることもあるかもしれない。そういうこともあるけど、バカみたいなジョークを言って、バカみたいな話をしているうちに、うちの家族も悪くないなと思える要素がこれだけ(小指半分)あれば、それだけで子どもは救われるし、私がトイレでシクシク泣きながら親を裏切らなくて済んだのは、楽しい食卓がたぶんあったからだと思うんですね。

 限られた時間の中で、コーチングの具体的なことを詳しくお話することはできませんでしたが、幸にして、佼成学園は佐藤先生という方が、コーチングをちゃんと勉強された方がいらっしゃるということで、これを機会にもし何かあれば、先生方にご相談されながら、勉強されてもよいのではないかと思います。

 くれぐれもお願いしたいのは、トイレでシクシク泣いている中学生もいるのだということを(笑)、わかっていただいて。子どもとは言え、一人の人間として認めて、もめることはあってもいいですが、ちょっと冷静になって、一人の人格として子どもを見てあげるといろいろな問題を解決していくヒントがあるのではないかと思います。ぜひ、ご参考にしていただければと思います。

 拙い話で、恐縮ですが、本日はありがとうございました。



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