第23回 官僚主義の歪みと限界


 コラムの映画紹介の欄で、今回、東映配給の『明日への遺言』を取り上げました。藤田まこと演じる、岡田中将の頑なとも言える行動原理にあるのは陸軍士官学校、陸軍大学時代に徹底して訓練された官僚教育です。

 明治維新後、大久保利通によって導入された官僚システムは、いま多くの弊害を生み、人々の批判の対象となっています。しかし、実は、大久保がこのシステムを導入してすぐから、官僚のモラルハザードは問題になっており、井上馨や山縣有朋らは収賄、汚職でその職を失墜しています。

 江藤新平、西郷隆盛、大隈重信が閣僚から野に下った背景にも、大久保が進める官僚主義への反論や異議がありました。

 政治家とは別に、国の指針を左右する立場にある高級官僚には、政策立案から実施に至る大きな権限が委ねられ、かつ、事務能力と渉外や折衝に長けていれば、政治家を意のままにコントロールすることも難しくはありません。

 大久保が築いた薩長を中心とした官僚主義は、いわば、アホな政治家や国民には判断能力、決裁能力がないゆえに、学習と厳しい競争を勝ち抜き、訓練によってスキルを磨いた官僚によって実質的に国の行く末を決定するというものです。

 その背景には、大久保や盟友であった西郷自身が下級武士の出身で、アホな殿様や上級武士では国の舵取りは難しく、自分たちのように国のために身を挺する熱意があり、かつ学習能力に長けた下級武士こそが、本来、その任につくべきはすだという、大久保自身の辛酸を嘗めた若い頃の経験があります。

 ある意味、大久保の私怨を晴らすように誕生したのが今日に続く官僚主義です。

 ゆえに、多少のモラルハザードがあろうが、官僚システムの確立に大久保はその後半生を捧げます。盟主やトップがどんなアホでもわが国は揺るがない。それが大久保が目指した官僚主義です。

 しかし、結果、そこには純粋培養された官僚が生まれ、藩閥はもちろんのこと、その後、学閥や人脈の系譜が重要視される構造を生みました。つまり、官僚主義は非常に機能的で、合理的なシステムであると同時に、国民の生活を担うという性質より、官僚を中心とした国家運営のシステムを優先するものとなったのです。

 当時から、そこには、この国の民度の低さがありました。明治維新当時でもわが国の識字率は他の近代化以前の国比べても非常に高かったのですが、公民意識のない国である以上、国家を論じられる人間は実に少なかったという背景があります。

 一時の感情や同情に左右されるのではなく、すなわち、ポピュリズムではなく、冷徹であっても、国家の威信や国の先々を考えた施策を考え、立案、実行するのが官僚でなければならないのです。

 しかし、それは、国民をパイでしかみないという弊害を生み出しました。全体にとってどうであるかが重要で、国民一人ひとりにとってどうであるかは大きな問題ではなくなっていったのです。さらに、そこに官僚組織維持のための上意下達というトップダウンが保身を生むようになります。また、専門性を追求するがゆえに、縦割りの構造を決定づけます。

 『明日への遺言』で、原作の大岡昇平が描こうとしているのは、敗戦近くにこの国の自主自立と復興のために必要な本来の官僚精神です。

 岡田中将が示した論理は明確で、自国の過ちは謙虚に認めながら、同時に他国の過ちについても毅然とした反論をするという姿勢です。また、責任ある官僚として、現場の責任は自分一人で引き受けるという確たる決意です。

 彼がそれができるのは、そこに保身や利己の情がひとつもないからです。

 戦前の陸軍士官学校、陸軍大学は、現在の東京大学など足元にも及ばない気鋭の秀才の集まりでした。そこには軍閥も生まれ、財閥との癒着なども生まれました。しかし、この映画の岡田中将のように、与えられた責務を全うするために、すべての責任を引き受け、庶民のいのちの重さを一番とした人物も生まれたのです。

 いま、私たちの国は、国民年金問題の一方で、後期高齢者医療制度を実施し、大きな問題となっています。

 保険制度の改革と維持のためには、痛みを分かち合えというのがその大きな理由のひとつです。また、国の財政破綻を食い止めろというもの理由のひとつです。

 その論理のどこに、国民一人ひとりの生活のいまを見据えた救済があるのでしょう。

 年老いて安心のない国、社会に生きることを誰が望むでしょう。そうした国のために、いまを生きようとする若者がどれほどいるのでしょう。

 政治の付け、官僚主義の付けを清算せずして、国民に負担を強いるのが政治なのでしょうか。行政なのでしょうか。戦後日本を支え、いまを築いた高齢者一人ひとりの尊厳はどこで守られるのでしょう。

 厚生労働省の大臣も、国土交通省の大臣もその発する言葉が省庁の論理、官僚の論理に国民には聞こえていることがまだわかっていません。

 その一方で、小泉元首相待望論が湧き上がっています。こうした痛みを強いる構造改革を行った彼をもう一度政治の桧舞台へと唱える人々の心情に、明治以降、許され、戦後、より強化された官僚主義の姿はまったく見えていません。

 官僚主義の歪みと限界は、そのまま私たち日本国民の歪みと限界です。



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