第22回 己の無知を知らないパラノイアたち 


 paranoiaとは、偏執病と訳されますが、誇大妄想・被害妄想がその根底にあり、何かに異常なこだわりや執着が見られる状態のことを言います。
 
 前提としてあるのは、自己愛であり、自己中心的な考え方です。自分の意に反するものがあることが許せない。自分の狭い価値体系を絶対的なものとし、それに反するものが許せないというものです。

 幼い頃から世間知らずでありながら、プライドだけが高く、他人と情報交換したり、会話することが苦手なタイプ。そのため、これまでの人生で一つの価値観しか持ちえず、他者から情報を得ることをして来なかったことに要因があります。

 過度の場合、妄想性人格障害となり、自分に対立するものや攻撃するものへ過剰で、異常な反応、暴力を示す場合もあります。しかし、正義は自分にあると確信して疑うことがありませんから、暴力を反省することも、狭窄した自分の特異な考え方を振り返ることもしません。

 基本的にパラノイアになる人には、自己を他者に承認された経験が少なく、自分の脆弱さ、自信のなさを隠すために、たった一つの価値に凝り固まろうとする傾向があります。

 いじめを行う子どもや配偶者を虐待する人間にもよく見られる傾向です。アメリカの現大統領にもこの傾向が見られます。

 このコーナーで以前、「心情と正義のパラドックス」というお話をしましたが、論理ではなく、心情を背景とした正義を論理的な正義、あるいは普遍的な正義であるとする考え方の根底にもこのパラノイアがあります。

 先日、住まいのマンションの1階エレベーターの前で工事業者の方が荷物を搬入しようとしていました。おそらく、初めてマンションのどこかの部屋の工事に入られたのでしょう。機材の搬出程度だからと駐車場の空きスペースに車を止めて作業されていました。

 すると折り悪く、ベンツを出そうとする女性住人に見咎められました。車が出しにくいのです。彼女は「私、急いでるのよ! すぐに出なきゃいけないの! あんなところに車なんか止めないでよ!」と文句を言いました。

 確かに、彼女が言うのは正論ですが、知り合いにでも不幸があったんでしょうか? それとも急病人でも搬送するのでしょうか? どうもそういったことではないようです。しかも、何度か切り返しをやれば出れるようなのです。

 業者の方は高年の方でおっとりしてみえます。その人は車のキーを持っていないらしく、上の階にいる仲間に連絡をしなくてはいけません。そのテンポの悪さも気になるのでしょう。女性は、休むことなく、「早くしてくれない! 急いでるのよ!」と文句を言い続けています。

 業者の方は女性の言い分を理解していますし、鍵を持つ仲間に連絡しようとしているのですから、それ以上追い討ちをかけるようにあれこれ言わなくても思うのですが、「こういうところに車を止めるのは許せない」という正義を彼女は叫び続けます。

 切り返せば出せるのに、その手間をかけるような車の止め方をしていることが許せない。誰かが死ぬというような緊急状態ではないのに、いつものようにすんなり車を出せないことが許せない。まるっきり自分のことだけです。

 業者の方が車を移動するまで数分の間、待ってあげるのがそんなに許せないことなのでしょうか。ました、同じマンションに住むどこかの住人の家の工事に来ているので、全く無関係の人間が理不尽に車を止めているのでもないのです。

 これも以前「クラーマー社会」というコラムで述べましたが、クレーマーであることは正義であるという心情と同じなのです。「私はこのマンションに住んでいる住人で高い駐車場代金まで支払っているの、だから当然の権利主張でしょ」。果たして、そうでしょうか?

 いまアホな自民党議員の一部が文化庁の助成金をもらい制作された中国人監督の反戦映画『靖国』に対して、信じられない行動を起しています。

 ドキュメント映画が中立的ではない。ゆえに文化庁の助成金の返還をさせるべき。そのために、わざわざ映画の公開前試写を自分たちのためにやれと権力を笠に圧力をかけています。一般の人間が一般試写前に映画配給会社に映画を見せろと要求することなどできません。バッジを笠に着た明らかな弾圧です。

 しかし、当の議員は自分がしていることの無知さ加減にまったく自覚がありません。税金による助成金を支給するのに中立的であるかどうかの判断をしているだけだと映画芸術、世界中の映画人をバカにしているようなコメントを平気で言っています。

 芸術理解や映画というものへの素養のなさを露呈しながら、そのことに忸怩たる様子も伺えません。

 笑止千万で、ここであえて述べるのもバカバカしいのですが、ドキュメンタリー映画というのは監督の主観で制作するもので、中立的なドキュメンタリー映画などこの地球上に存在はしないのです。

 作品のよしあしは観客が判断するもので、そのドキュメンタリー映画が主張するテーマに賛同するかしないかも観客の自由です。表現言論の自由があるからこそ、エセ右翼も国粋主義を愛国主義だと詭弁が言えます。アホ左翼は愛国主義を言うのは国粋主義者だと愚かさを露呈できます。

 賛同するにせよ、しないにせよ。その言論、表現の自由があるから議論ができ、自分たちの主張について検証したり、深めたり、あるいは反省したりすることができるのです。

 この民主主義の基本すら、今般の物議を醸している連中にはわかっていない。反論があるなら、自分の政治活動の場や新聞、雑誌などマスコミの前で堂々と主張し、大衆に問いかければよいことです。ところが、国会議員の特権、調査権を乱用し、かつ、一度文化庁の審査をパスした助成金を奪おうとする。選考した文化庁の権威すら失墜させる行為を平然とやっているのです。

 これが強権力の行使でなくて何なのですか?

 ひとりの映画人、映像関係者として強い憤りを覚えます。

 戦後まもなく、アメリカのハリウッドを襲ったレッド・パージは、マッカーシーというひとりの上院議員が牽引した映画弾圧でした。それとほぼ同じことをやろうとしてるのです。これを許せば、ドキュメンタリー映画ばかりでなく、いまや日本に数少ないですが、反戦映画、人権映画すら弾圧の対象となり得ます。

 もちろん、このおバカな議員は独立系の貧しい配給会社、制作会社の作品で、しかも中国人監督のものだからここまで強権力を行使できたのです。

 東宝や東映、松竹などわが国の映画会社の作品で、文化庁の助成金をもらった反戦映画だったら同じことができたとは到底思えません。

 パラノイアは強き者には向けられず、弱者へ向けられる。これも、いじめや配偶者虐待と同じです。高価なマンションに住む住人が出入りの業者だからこそ強く言える自己中心の言葉があるのです。


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