第18回 バランス感覚の嘘と真実


 コミュニケーション能力の高さが、この数年、入試や人材採用、その後の人材育成の場面で強く求められるようになっています。

 教育改革国民会議の提言を基にした、教育改革路線の変更、ゆとり教育批判の中にも、こうした傾向が強く見られます。

 ゆとり教育支持者の中には、単純にかつての詰め込み教育への批判と同じレベルでゆとり教育から学力主義に移行する文科省行政に反対する人々もいますが、問題はそれほど単純ではありません。

 小泉、安倍政権時代、グローバル化という名のアメリカンスタンダード主義の蔓延は、教育に国際競争時代に立ち向かえる社会システムの構築とそれを支える人材の育成を求めました。それが、現在、問題になっている格差問題の根源にあるものです。そこには、学校の成績がよいとか、教科教育の点数がよいだけでは対応できない能力、交渉や折衝、調整、企画、実行力などの新たな能力が必要となったことがあります。

 現在の教育改革の方向性がそれをしっかり認識しているかどうかは別にしても、大企業から中小企業まで、会社経営の先行きに危機感を持っている企業なら、教科の能力ではなく、これを複合的、立体的に活用できるより高い「知育」の必要性を痛感しています。

 設問の意味を理解し、出題者の求める解答に的確、完結に答える能力が、知育の中に組み込まれていなくては、国際化と多様性に満ちた、これからの経済戦略には取り残されてしまうという危機感です。

 社会が高度成長期のような同一の価値観を共有できなくなればなるほど、人々が視野に入れなければならない領域も、多様化する考えや意見を理解し、かつ、それらに新たなテーゼや指針を示す能力が強く求められます。

 それを一般にバランス感覚と呼びます。

 昨今は学校でも企業でも行政でも、市民団体や政党においても、このバランス感覚の有無がやたら取りざたされます。

 しかし、巷で盛んに言われる、このバランス感覚とは本当によりよきコミュニケーションを生み出すものなのでしょうか。

 数学者ジョン・ナッシュが後にノーベル経済学賞を受賞した、「非協力ゲーム理論」、均衡理論を発表したのは、プリンストン大学在学中の21歳のときでした。

しかし、彼は発表後、30代の頃から統合失調症を発症し、30年以上、幻覚や幻聴、妄想に悩まされ続けます。その半生は、ラッセルクロー主演の『ビューティフル・マインド』というタイトルで映画化もされました。

 非協力ゲーム理論は、男女の合コンに喩えるとこのような理論になります。

 4人の男女が合コンをする場合、一般的に4人の人間が参加したいと思う切り札的男女各1名が必要です。あんなにステキな女性が、こんなにイケメンの彼が参加するがゆえに、他の3人はぜひともそれぞれの異性を口説きたいと思い、積極的に参加し、かつ果敢にアプローチをかけます。

 しかし、それゆえに、この合コンで4人がそれぞれカップルとなり、バランスを維持することは不可能になります。なぜなら、飛びぬけた男女以外の普通の男女はすべて飛びぬけた男女にしか、アプローチをかけないからです。かけないまでも、それ以外の異性に強い関心を抱かなくなります。

 そこで、バランス、つまり均衡を取るためにには、どうすればよいか。

 合コンなれしている方にはわかるかもしれませんが、答えは特質した男女を入れないことです。

 一人の異性を口説くためにはそれぞれの男女は時には協力し、時には競い合いますが、それは結果的に一つの目標に向かって団結した状態です。ところが、その団結が生まれない状況をつくると、特質した異性がいないがゆえに、参加した男女はなんとかカップルになろうと無意識の内に調整し合い、折り合いや妥協点をみつけようとします。

 結果、そこにはいくつかのカップルが誕生することになります。

 均衡理論とは簡単に言えば、このように、特質した一つを敢えて排除することで生まれるバランスなのです。しかし、結果的にはこれにより、より多くの人間が幸を得ることになり、団結するよりもよい結果を得ることができるのです。

 いま私たちの社会ではこの合コンに喩えられる均衡理論を教育や人材育成の中で実践してはいないでしょうか。

 特質する人間を養成することが社会の、国の、世界の幸福を導くものだというお題目を唱えながら、現実には、一人のリーダーを賞賛したり、批判したりしながら、結果、団結し、リーダー不在で生まれる、事なかれと昭和文化の談合を無意識の内に行ってはいないでしょうか。

 私たちの社会で求められているバランス感覚とは、私がよく指摘する閉塞した村社会で、人々がうまく互いの社会的立場を補完し合い、誰も傷つかず、誰も責任を負わず、自分の保身を安全とささやかな幸を得るために、なんとないまとまりを持とうとしている姿にしか見えないのです。

 民主党小沢代表の大連合案や政局の混乱に対する辞意表明とそれを撤回した後の小沢氏に対するマスコミ、市民の反応、民主党内にも、これと同じものが見えるのです。

 小沢氏の意図や願いを芸能人のゴシップネタ感覚で報道するマスコミの軽薄さ、愚かさ。その報道に振り回され、小沢氏のコメントの意味、その裏側にある真意を読む努力ももないこの社会のどこにバランス感覚があるのでしょう。

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