第14回 耐性する日本国民主主義
                                      

 参議院選挙をまじかにして、与野党の攻防が激しくなっています。

 この数ヶ月ほどの間に、教育基本法改正案、国民投票法案、年金法案など重要法案が与党によって次々に強行採決されました。10年ほど前なら、強行採決によって国民の支持を失うことを警戒し、通過することも覚束なかったであろう法案がいとも簡単に成立しています。

 これは、公明党との連立によって、国民の圧倒的な支持率を獲得し、格差と競争原理を導入した小泉政権時代から始まったものですが、それを支えていたのは、政治のポピュリズム、人気主義です。

 小泉政権やその意志を受け継いだ安倍政権は、共に発足当時圧倒的な国民の支持を得ていました。私たち国民の多くが、空白の10年と言われる疲弊した経済に疲れ切り、難しい議論よりも明確で、わかりやすいメッセージを求めました。

 そのポイントは、明るく、元気で、ハツラツした清々しさ、かっこよさです。

 とにかく、体型が肥満気味だったり、年齢が老齢だったり、話し方まどろっこしく、要点が伝わりにくい言い回しだったりする政治家には飽き飽きしていたのです。

 同時に、細かいことはいいから、ガツンと引っ張って行ってくれる気骨のありそうな人物を求めました。

 そこにあったのは、その人物がどのようなポリシーを持ち、どのような国家形成を考えているのかという重要な視点が抜け、「とにかく、うまくやってくれよ」というものです。

 企業の収益が上がらないと雇用は安定しないし、増えない。都市の消費が上がらないと地方経済もよくならない。銀行を中心とした金融が強くならないと国際競争に勝てない。発展、成長を呼び戻すためには、がまんと痛みも仕方ないじゃないか。かつて高度成長の始まりも、そうだったじゃないか。だけど、結果、みんなの生活は向上し、よくなっただろ?

 そんなメッセージを私たちは承認したのです。

 いま、年金・介護問題を口火にして、国民生活への確かなサポートをしていない政府への不信が広がり始めています。わずか5ヶ月ほどの間に、閣僚が不祥事や自殺によって入れ替わるという前代未聞の出来事が起きています。

 格差の問題をこの数年、いろいろな場で提言し、時には政治家や労働弁護士の方たちとディスカッションして来た、同じ格差の中に生きる一人の人間として、いま国民が感じている危機感の到来は遅すぎるものです。

 民主党など野党の支持率が多少上がっているとはいえ、かつての日本新党などが登場したときのような政治変革の嵐は、しかし、国民の中に起きているのでしょうか。

 私は国のあり方を問う基本は身近にある生活の諸問題への取り組みや処方箋にあると思っています。

 いじめ、自殺、虐待、家族崩壊、薬物の蔓延、インターネット被害、高齢者や身障者への詐欺行為、倒産、自己破産、生活保護世帯の増加、ワーキングプア…。

 いま私たちの家庭、社会で起きていることは、いつの世にでもある事件や事故、災害なのでしょうか。一人の人間の努力や力で解決できる問題なのでしょうか。

 私たちはみな幸せになりたいと願っています。その幸せは一人でつくれるものではありません。地盤、縁故、血縁、資金に縛られず、本当にみなを幸せにするために、政治を大きく変える小さな一歩と勇気が必要なのです。

 世話になっているから、いままでの付き合いがあるから、関係者だから、いい人だから。では、何も変わりません。その人の所属している政党はどこなのでしょう。政党に所属しているということは、その人がいかにリベラルな人であろうと私が言うみなの幸せを願っている人であろうと、政策を立案し、実行するときには政党の論理、規約に従うしなかないのです。

 議会制民主主義とはそういうもので、その方がどんなにいい方であっても、社会を変える一票には到底つながりません。

 私たちはこれほど惨憺とした生活環境、社会状況にいながら、まだ、それに気づけていないのです。



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