LOST OF MIND           秀嶋賢人


 
第1話 LOVE LETTER ラブレター


        

 私は死にかけた金魚だ。

 身動きひとつできない満員電車の中で、わたしは今日も死にかけた金魚になる。
 雨が降ってる。吐き気がする。それに頭が痛い。いつもそう。雨の日は決まって、頭痛と吐き気がわたしを襲う。
 新鮮な空気が欲しい。心と心臓を突き抜ける新しくて、強い風が欲しい。だから、わたしは今日も地下鉄の金魚になる。
 満員の、雨の地下鉄の中で死にかけた金魚のようにピクピクと頭をもたげ、わたしはずっと何かを探している。

 そんな惨めな梅雨どきの地下鉄の中だった。

 いつもわたしの胸や太ももオモチャにして愉しんでる、課長の眼…。思った通り。残業は食事に誘う口実だった。また付き合うなんて、しなくてもいい約束させられて、笑う気分じゃないのにニコニコして。わたしってどうしていつもこうさえないんだろう。
 
 サチやユミのようにお水転職しちゃおうかな…。

 気分変えるつもりでそう思ったときだ。ポトリと背中に雨の滴が一粒落ちた、ような気がした…。
 その内、寒気がして、全身の血が引いていくのがわかった。目の前がまっくらになって、倒れちゃう。そう思った。ううん。倒れたと思ってた。どのくらい経ったんだろう。

 突然、まぶしいくらい眼の前が明るくなって、気づくとわたしは立ちくらみなんてなかったみたいに電車の揺れに身をまかせ、平気でそこに立っていた。

 不思議な気分だった。
 自分の居場所を確かめるように何気に辺りを見回したときだ。
 
 「あいつ」がそこにいた。

 太い眉。ゴツゴツした顔。異様に黒く、大きな眼。その眼が昇降口の隅でじっとわたしをみつめている。
 わたしの眼はまるで金縛りに遭ったみたいに、あいつから離れられない。気持ちとは逆に、あいつのほの暗く、悲しげな視線にわたしはどんどん吸い込まれていく。

 どうしたんだろう。どうしちゃったんだろう…。

 あいつの眼球に金魚みたいに写っているわたしの顔。蒼ざめた自分の姿に向かって、わたしは答えのない言葉を繰り返していた。

 それが始まりだった。

 そのときから、そして、いまもあいつはわたしのそばから離れようとしない。オフィスでも1Kのマンションでも、彼とのデートのときも。なにかするわけじゃない。ただ、黙って物陰からじっとわたしをみつめているだけだ。
 わたしは、あいつのことを誰にも話さなかった。誰かにしゃべったら、その瞬間、あいつがわたしのそばからいなくなりそうで、それがとても怖かった。あいつにみつめられ、見られている不安より、その方がずっと恐ろしいことが起こるような気がしたのだ。

 始めは軽い気持ちだった。

 付き合ってる彼を部屋に誘った。
 彼のことなんか、本当はどうでもよかった。彼氏くらいいないとなと思って、合コンで知り合った、イケメンだけど中身のない男…。

 わたしは、あいつの見てる前で誰かに抱かれてみたかった。誰かに抱かれ、身もだえしてる姿をあいつに見せ付けてやりたかった。部屋の入ると、まだ、Hを許してなかった彼は部屋に入るなり、むしゃぶりついてきた。

 不器用な手でわたしのからだをまさぐり、乱暴に乳首を噛んだ。卑猥な音を立て、快楽に呑み込まれるわたしのからだ…。だけど、あいつは、それを始めから終わりまで、顔色ひとつ変えず、あの暗い眼差しでじっと見つめているだけだった。

 悔しかった。そして、腹が立った。

        

 わたしはそれから何度もあいつの眼の前で「いった」。あいつの視線がないといけいない女になっていった。あいつの眼の前で、みだらになればなるほど、そのいやらしい姿になんの反応も示さないあいつを、わたしは、やがて、憎いと思うようになっていた。

 悔しかった。そして、寂しかった。

 どんな男に抱かれても、あとに残るのは、いつも地面に沈み込むような虚しさとあいつの寂しげな視線だけだった。

 その夜、男たちに誘われるままホテルに入った。なんの抵抗もなく、からだをまかせた。いまのわたしには珍しいことじゃない。二人の男にいたぶられ、オモチャにされ、わたしのからだはだたの肉のかたまりにされていく。堅く勃起したものがわたしの喉の奥をふさぐ。もう一人の男は激しく腰をゆすりながら、息のできなくなったわたしの蒼ざめた首をきつく締め付けた。


     


「死ぬかもしれない」そう思った。
「このまま死んでもいい…」そう思った。

 わたしにあるのは、死んだような毎日。何が楽しいわけでもない。何が苦しいいわけでもない。でも、いつも新しい空気を探している。ただ、それだけの毎日…。

 そのとき、遠く、かすかに誰かの声がした。ような気がした…。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 東京に来て、すっかり忘れていた中学時代。隣のクラスの養護学級。太い眉。ゴツゴツした顔。暗い眼差し…。
 いけないことだとわかってて、言葉のないあいつをいつもいじめていた、わたし…。

 そうだ。
 卒業式の前の日。
 雨がふってた。
 
 雨のふるグラウンドに一人立っていた、あいつ。あれが最初で最後。傘のないあいつを入れてあげて、ふたりして並んで帰った。一言も口を聞かず。
 そして、それを遮るように脇見運転のトラックが。
 あいつは、わたしをかばうようにして撥ねられた。

 卒業式、あいつの姿はなかった…。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そう。わたしもよ。わたしもあなたと話がしたかった。あなたに抱かれたかった。だけど、わたしたち…。あのときも、いまも、話し合う手立てがわたしたちにはなかった。

 涙が出た。とめどなく涙がつぐつぎに溢れでた。こんなに泣いたのは東京に来て何年ぶりだろう。そんなことを思ってた。
 やがて、男は、わたしが快感の涙を流していると思い、うっすらと微笑むとゆっくりと両手の力を込めていった…。


 矢沢有紀子の遺体が池袋のラブホテルで発見されたのはその翌朝だった。遺品のバックから、あて先のないラブレターらしいものが一通発見されている。懸命の捜査にもかかわらず、犯人もそのあて先人もいまだ不明のままである。
 矢沢有紀子、24歳。アパレル会社の派遣事務を勤めるごく普通のOLだった。

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  第2話 CONSERVATIVE 


 その頃、オレは、大手自動車メーカーの企画開発部に勤めていた。

 入社早々に企画した新車とその販促キャンパーンで成功し、部内でも将来を期待されるポジションにいた。上司も同僚もオレの出世は間違いないと踏んでいたし、おれ自身そう確信して疑わなかった。

 仕事だけではない。
 女遊びも怠りなかった。いい女、気のきいた女の二、三人はいつもそばにいたし、気まぐれに電話してすぐに呼び出せる女も何人かいた。
 ただ、オレの仕事の足を引っ張ったり、まとわりついて鼻につく女、すぐに結婚をせがむ女は一度寝たら、二度と寝ないようにしていた。女で墓穴を掘るのはいやだ。いまどきのOLや若い女たちの軽薄さ、調子のよさにはうんざりしていた。
 オレには仕事での成功がすべてだ。それ以外は生活のアクセサリーだと思っていたのだ。

 その女と会ったのは、そんなある日のことだった。

 正確には「いた」と言うべきかもしれない。おれは連日の残業と接待でくたくただった。いつものように自分の部屋のドアを開け、倒れこむと、女がそこにいた。

      

 一瞬部屋を間違えたかと思ったが、そこは間違いなく、オレの部屋だ。
 女は眼の覚めるような真っ赤なワンピースを着て、応接のフローリングの床に背中を向けて座っていた。
 まるで、そこだけにゆるやかで、静かな時間が流れているかのように、女はゆったりとボーグをめくっている。もう何年もこの部屋でそうして過ごしてきたような落ち着きと部屋に馴染んだ雰囲気があった。
 くびれた腰。ふくよかなヒップ。長く伸びたしなやかな脚。吸い込まれるような白いうなじと大きくカットされ、露出した背中が無抵抗にあらわになっている。
 女はオレに気づき、振り返ると「お帰りなさい」と当然のように言い、薄く笑いながら立ち上がった。赤い服よりももっと赤く、唇に光るルージュが鮮烈だった。
「急に呼び出すんだもん。あわてちゃった」女は笑いながらそう言うとオレの上着を脱がせ、バスルームの電気を付けた。まるで何度もこうした場面を経験しているような慣れたしぐさで…。
 確かに、これまで、付き合っている女とこうして過ごした夜がなかったわけじゃない。しかし、その女は、全くオレの記憶にない女だ。それに、この女は使い慣れた自分の部屋のように、オレの部屋のどこになにがあるかまで知っている。いや、第一、この女はどうやってオレの部屋に入ったのだ。
 
「あまり時間がないの。早くシャワーを浴びて」
 女はいつの間にかバスタオル一枚の姿になり、甘えたようにオレを促す。タオルからはみだす透き通るように白い女の肌。オレの疑惑は女の肌に惑わされ、打ち消され、行き場を失う。

 その夜、オレはわけのわからないまま、その女と寝た。これまでのオレの生き方からは考えられないことだった。

 初めて嗅ぐ女の甘い香水の香り。吸い付くような柔らかな肌。そこだけが別の生き物のようにオレのペニスを激しくくわえる性器…。
 それは、これまで寝たどの女とも経験したことのない熟成したワインのようなセックスだった。


    


 このままでは危うい世界に引きずり込まれてしまう。そう思いながら、オレは、普段の自分からは想像もできない無防備さで、女のやわらかなからだを受け入れていったのだ。

 そして、その夜から女はオレの部屋を訪れるようになった。
 どこからくるのか。そして、どうしていつもオレが眠っている間に帰っていくのか。競争会社の手先かもしれない。だが、オレはそれを女に尋ねようとはしなかった。疑念や疑惑が頭をもたげても、その女を前にすると、そうしたことがとてもつまらなく、取るに足りないことのように思えるのだ。

 女はいつも最初の夜と同じように、オレが仕事でくたくたになって帰り、倒れ込むように部屋のドアを開けると、そこにいた。いつもあのときと同じように、背中を向け、ボーグをめくり、静けさの中に座っていた。
 だが、残業も付き合いもなく、女に会えることを楽しみに帰りを急いだ夜は決して姿をあらわさなかった。そして、そのわけもオレは女に尋ねようとはしなかったのだ。
 
 その女は、セックスだけではなく、いままで出会ったどの女より聡明で、謙虚だった。話は機知とユーモアに溢れ、教養の高さと育ちのよさを感じさせた。
 仕事の話をしても、普通の女なら空返事か的外れな答えしか返って来ない。しかし、その女は違っていた。オレの仕事のこまごました内容から人間関係まで、まるで昼間のオレの生活をどこかで見ているように熟知し、仕事の問題にもオレが納得する適切な解答を答えるのだ。

 「会いたい。毎日でもこの女を抱きたい」おれはいつか心からそう願うようになっていった。

 おれは女と会うために、次第に最初の夜と同じ場面を無理につくるようになり、それまで以上に仕事に追われ、スケジュール帳を真っ黒に埋め尽くす生活にのめり込んでいった。仕事でからだが憔悴し切っていても、女といるとゆったりとやすらいだ気分になれたのだ。

 そして、ある日、オレは新工場の視察現場で倒れ、大量の血を吐いた。遠のく意識の中で、救急車のサイレン音を聞きながら、オレは、「また、あの女に会える」安心感でいっぱいになっていた…。


 宇都宮真弓。35歳。
 大手広告代理店のエリートサラリーマンとの結婚に破れ、離婚後、再就職した自動車メーカーで男性顔負けのキャリアウーマン振りを発揮していたらしい。
 仕事は超多忙だった。しかし、なぜ吐血する状態まで医師にもかからず、放っておいたのか。過重労働を問題視する声がある中、何かに憑かれたように仕事に埋没していた。入院したときは、極度の貧血状態で、手の施しようがなかった。
 仕事以外の付き合いはなく、異性との交際の噂もなかった。
 ただひとつ、真弓の部屋にコンサバの彼女の趣味からも、年齢からも不似合いな真っ赤なワンピースが応接のソファに置いてあるのを管理人がみつけている。
 なぜ、不似合いな一着だけが、無造作にそこに出されていたのか。それを確かめる手立てはもうない。


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第3話 MESH 


   

 ワタシの名前はモニカ。サンタバーバラから来たの。サンタバーバラ、知ってる? ロス郊外の静かな住宅街よ。日本へ来たのは日本文化に興味があったらか。というのは、実はウソ。ほんとは、ロスで知り合ったジョンを追いかけて来たの。
 ジョンってすごく日本語が上手。それにとても頭がいい。ジョンは昔から日本に興味があって、日本企業のマネージメントの勉強がしたいって留学したの。
 ワタシ、ジョンのことすごく好きだった。ロスにいた頃、ジョンにはロンドンに留学している恋人がいたんだけど、ワタシ、そんなこと全然気にならなくて、彼とステディな関係になった。ワタシたち、結構、うまくやってたと思うよ。お互い好きだったけど、ジョンには恋人がいたし、ワタシもずっとジョンと付き合うつもりはなかった。だから、セフレ感覚で割り切ってやっていけるって思ってた。
 でも、ジョンが日本へ行ったあとは抜け殻みたいになってしまって。そのうち、どうしてもジョンに会いたくなって、パパに日本語を勉強したいってウソついて無理やりこっちへ来てしまったの。

 ねえ。もう一杯飲んでいい? ええ。同じもの。ありがとう…。

 えーと。何の話だっけ…。ああ、ジョンね。うん。日本で会ったよ。でも、バッカみたい。ジョンと別れて、半年くらいして日本へ来たんだけど、ジョンったら、そのときもう、日本で知り合ったオーストラリア人のシーナといい仲になってた。ワタシって、一体なんなのって感じよね。ふたりのいいお友だちにされちゃって。そりゃ、わかってたわよ。ロスにいた頃からそういう関係じゃなかったんだから、いまさら、いろいろ言ったってどうしようもないって。
 それで、ふたりの仲はどんどん深まって、1年くらいしたら、ふたりで仲良くロスに帰ってしまった。ほんとバカみたいでしょ?

 ねえ。ごめんなさい。フルーツ頼んでいい? うん。好きなの。いい? ありがとう。

 ワタシね。ほんとはママもパパもいない。ほんとよ。ママはハイスクールのとき、がんで死んだ。パパは生きてるけど、ワタシがジュニアスクールの頃、ママと離婚したの。パパにはいま新しい家庭があって、ふたりも子どもがいるのよ。ママと別れるときに、パパはそれなりのお金、ママに払ったららしいのね。だから、血はつながっているけど、ほんとの意味では他人。パパじゃない。
 日本へ来るとき、留学費用と2年間の生活費だけは面倒みてって頼み込んだ。いままでなにもしてくれなかったんだから、それくらいしてもいいじゃない。でも、はっきり言われた。その後のことは知らないって。
「これ以上、俺に金をせびらないでくれ」。それがロスの空港で見送りに来てくれたパパのお別れの言葉だった。

 生活? いまはね、知り合いのガイジン夫婦のベビーシッターやっているの。でも、トウキョウってすごくお金がかかるのよね。そうでしょ? とてもそんな仕事じゃ生活できない。ロスに帰りたくても、そんなお金ないし…。
 パパ? いやよ。ここでまたお金の話したら、なんて言われるか。言われるのだけならいいんだけど、いい加減な娘だって思われるのは、まだ我慢できるけど、パパの奥さんや彼の子どもたちにそう思われるのって、悔しい。死んだママがかわいそうじゃない。ワタシのことで悪く言われるの、きっとママだもの。それだけはいやのな。それにパパのこと嫌いだけど、パパには、怒られても、やっぱり嫌われたくないな。

 ごめんなさい。なんだか悲しくなってきちゃった。ううん。いいの。気にしないで。大丈夫だから…。

 そう。最近はよくこの辺で遊んでるよ。
 あなたとは初めてよね、ここで会ったの。最近なの? トウキョウ来たのは? でも、日本語すごく上手よね。それに感じもなんとなくジョンに似てる。ほんとよ。いい線いってるよ。うん。えっ? そうね。けっこう趣味かな、あなたみたいなタイプ。フフフ…。

 えっ? いま? うーん。ガイジンの若い女ってけっこうモテるから、うまくやれば暮らしには困らない。だってね。夜の街、ヒマそうに歩いていると、日本人の男ってすぐに声かけてくる。日本人だけじゃない。ガイジンの男だって、日本で遊べるガイジンの女探してたりするじゃない。ガイジンはお金ないからそうでもないけど、日本人の男って、食事ごちそうして、服までプレゼントしてくれたりするのよ。ほんとうに。もちろん、目的はアレだけど。
 アブナイ? そうね。以前、イギリスの女の子が海の方まで連れていかれて、殺されちゃったものね…。

 えっ? それどういう意味? フフフ…。そうね。そういうこともあるかな。なによ。その眼…。エッチね。ねぇ、なにか食べるものおごってくれる? いい?


 あら、リックじゃない。うん。元気。どうしたの、最近、ちっとも誘ってくれないじゃない? えっ? うん、今度ね。きっとよ。バイバイ。
 ごめんなさい。うん、ちょっとね。え〜。そんなことないわよ。ないって。もう、おかしいわね、あなたって。
 えっ? なに? 日本人の男? うーん。あるけど、あんまりね。自分からベッドに入ろうとは思わない。ヘタなんだもん、みんな。日本人と寝るときって、キャッシュが欲しいときよ。それ以外はしないな。ワタシって、けっこう日本人の好みのからだしてるみたい。そう? そうかしら。お世辞でもうれしい。そう言われると。だから、お金がないときはそういうこともするかな? えっ? なによ、その笑い。だれでもいいってわけじゃないよ、絶対。そういう感じの男じゃなきゃ。そうね。そう。やっぱり、ジョンのこと、忘れられないのかな、どこかで。
 えっ? うん。似てるよ、ちょっと。もう! またぁ…。やよ、こんなとこで。
ねぇ。ねぇったら。だったら、だったらね。お金くれる? うん。いいよ。いいわよ。じゃ、ホテル、行こう。いいよ。もちろん、好きにして…。

    

 メッシュのアユミの噂が六本木のクラブに群れる外人たちの間で話題になり始めたのは、ひと月ほど前からだ。英会話はブロークンだが、簡単にからだを許してくれるので、ガイジンの男たちからは便利な日本人女、イエロー・キャブと呼ばれている。
 ただ、彼女と寝た男の大半が自分をアメリカ人だと信じ切っているアユミの異常さに気づいて、街で出会っても2度と彼女を誘うおうとはしない。
 アユミは最近、近いうちにロスに帰ると言っているらしい。ロスの男がアユミをガイジン相手の女にして金に変えようと企んでいるらしいという噂もある。しかし、アユミは、あくまでもロスに帰るのだと言ってゆずらない。

 浅井アユミ。21歳。母はアユミが中学校のときに他界している。母と小学生の頃、離婚した父の援助でアメリカへ。新天地を求めるつもりが、生活に困窮して帰国。彼女にとって、アメリカで生活することあだけが、他人とは違うステータスを手に入れることなのだ。
 今夜もアユミはメッシュを入れ、ジョンと結婚することを夢見て、夜のトウキョウを死にかけた金魚のように泳いでいる。


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        第4話 LOVE CALL
 この頃、眠れない日が続いている。それにどんな夢だったか覚えていないんだけど、なんだからヘンな夢をよく見る。

 まただ。救急車のサイレン音が通り過ぎて行く。


    

 今晩はこれでもう五度目。珍しいことじゃない。病院が近いせいだ。一晩に幾度かは救急車のサイレン音で目が覚める。
 ここに越して来て、まだ三日。あのサイレン音に悩まされている。そう簡単に慣れるもんじゃない。友だちに不眠症だって話したら、最近、エッチしていないからじゃないなんて言われた。
 まったく、失礼しちゃう。そういうことしか考えてないのかしら、あの人たち。それにほんとは、わたしがどんな濃厚なセックス楽しんでいるのか知らない。
 彼氏のいないあなたたちといっしょにしないでよね。客室アテンダントって、すごくもてそうだけど、彼氏がいそういでいない子って結構いるのよ、実は。

 さっきからヒトシにрオてるけど、ちっともでない。会社にもいないみたいだから、きっと西麻布のいつものバーで飲んでるに違いない。
 最近は会えない日が続いている。だから、ふたりとも毎日のようにрオている。だけど、やっぱり、でないなぁ。

 ヒトシと知り合ったのは半年ほど前のことだ。わたしたしのたまり場になってるレストランがクリスマスにお見合いパーティをやった。始はバカにして、出かけようなんて思ってなかったんだけど、どうせヒマだし、女性参加費がタダって書いてあったから、ヒマつぶしにはいいかって思って参加しちゃった。

 客室アテンダントって言うとすごい勢いで男の子が寄ってくるから、確か商社のOLですってウソついて参加したと思う。
 そのとき、ぼくも商社の勤めなんですよって声をかけてきたのがヒトシだった。わたしのウソはすぐバレたちゃったけど、会ったその日からすごく話があって、わたしたち、短い間にステディな関係になった。

 ヒトシは商社勤務で残業や出張が多いし、わたしは国際線飛んでるから、ふたりが会える機会はめったにない。それでもいままでうまくやってこれたのは衛星携帯のおかげ。それに二人ともすごい魔。ヒマさえあれば、рオている。

 なんだか、外、急に静かになっちゃった。一晩中、これだとわたしの不眠症も解消されるのに…。

 ヒトシは30。わたしは28。ふたりとも結婚は意識しているけど、互いを束縛し合うようなことはしないようにしている。どちらかがそう言い出したわけじゃなくて、なんとなく暗黙の約束みたいになってきた。

 わたしが言うのもなんだけど、ふたりとも結構いい線いってると思う。だから、お互いが忙しいときは、会えない寂しさを他の相手で埋め合わせるくらいは許し合ってる。
 気持ちまでとられなきゃいいんじゃないかしら、そういうの。そういう意味じゃ、ふたりとも結構、オトナ? 遊び慣れてるってこともあるだろうけど、お互いに。

 その代わり、会ったときは大変。お互いそれなりに経験してるから、たっぷり朝まで、濃厚なセックス楽しんでる。そういうのって結構いいよ。

 溜まったものいっぺんに吐き出した後の快感って最高。いった後、お魚になるってよくいうけど、あの感じ、ヒトシと出会って初めてわかった。ヒトシとセックスした後は釣り上げられたお魚みたいにトロンってなっちゃうんだもの、ほんとうに。

 会えないせいか、セックスはふたりとも激しいのがスキ。この間なんか、ヒトシ、ホテルの部屋に入るなり、わたしのエルメスのブラウス引き千切って、10階のホテルの窓にわたしの胸、外に向かって押し付けたわ。フ、フ、フ…。きっとあれって、だれかに見られたと思うな。

    

 いないな、やっぱり。あの店、рオちゃおうかな。きっと他の女といっしょだと思うけど。

 ヒトシはわたしが3日前にここに越してたこと、まだ知らない。ずっといないんだもの。せっかく、一週間の有給取ったのに。早くヒトシとできないとなんだか薬が切れていくみたいな禁断症状になっちゃう。

 フ、フ、フ…。わたしって相当、エッチかしら。あーあ、したい。したい。したい。したい。でも、あの店にрキるのは、やっぱり、ルール違反かな。

 イタい! からだのあちこちに気づかないうちにすり傷やアザができてる。

 会社の診療室で診てもらったら、ストレスとかあるとそういうことよくあるらしい。別にストレス感じてないんだけど。知らないうちに結構、神経使ってたりしてるのかな。

 そういえば、この頃、肌が荒れやすくなってるような気がするけど。友だちにそれ話したら、「あなたの部屋、霊がついてるんじゃない」って言われた。霊がつくと知らないうちにケガしてたり、そういうことあるらしいよ。

 そういうの信じるわけじゃないけど、実は前のマンション出たの、その言葉が気になったからなんだ。

 イタッ。寝返り打つとからだ全部が痛い。ああ。さえないなぁ、せっかくの休みだっていうのに。どこへも行けやしない。

 いない。やっぱり。

 からだ痛くなかったら、だれか男誘って、夜の街に繰り出すんだけど。あーあ。

 まただ。サイレン音が通り過ぎていく…。

 よーし。こうなったら、朝までコールしてやる。どうせ、出る用事ないんだし、それくらいしかやることないもの。

 そう。そして、わたしはまた何度目かのボタンを押す。からだの痛みにうずきながら…。


 田村利佳子が救急車で清風会病院に運び込まれたのは、3日前のことだ。勤務している航空会社の上司が利佳子の様子に気づき、診察を受けさせたらしい。
 診察に当たった医師によると、利佳子のからだは全身アザだらけで、ひどい内出血を起こし、危険な状態だった。相当な痛みがあったはずだが、診察の時点まで、利佳子本人はその痛みをほとんど感じていなかったという。

 利佳子と均は互いに直接会ったことはないと口をそろえる。会いたいとは思っていたが、それぞれ多忙だったし、なにかしらこわくて直接会うことができなかったというのだ。
 しかし、月に何度か都内のシティホテルでふたりが落ち合っていたことは、すでに目撃されている。だが、ふたりとも決してそれを認めようとはしない。いや、認められいのだ。
 確かに、ふたりの記憶の中では、そういった事実はない。ふたりはいまでも互いの顔さえ、知らないのだから。


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