9.2 MOVE!宮台真司×秀嶋賢人ミニトークショー

   ゲスト  日本労働弁護団事務局次長 圷由美子
         民主党参議院議員       鈴木 寛

 ここに掲載されている記事の文責と編集は有限会社フォア・ザ・ワン・プロジェクトと秀嶋賢人、個人の責任において掲載されたものです。誤植・語句、表記の余りについては一切の責任は上記団体・個人にあります。


        

            第1部 日本社会の現状について


秀嶋 本日はお忙しい中、お集まりいただきましてありがとうござ います。まず簡単に今回のミニトーク、MOVEの趣旨説明をさせていただいておきたいと思いますが、実は宮台さんと以前「生きる力を育む教育シンポジウム」という教育を様々な角度から検証するシンポジウムを年2回ペースで開催していました。主として資金的な事情で継続ができなくなってしましたのですが、宮台さんも私もこれをなんとか復活できないかと考えていて、時間はかかりましたが、来年春過ぎから北海道を皮切りにMOVEと名前を変え、また、以前のように教育を中心とした話ばかりでなく、社会問題や人権問題などより政治性の高いテーマにシフトしながら再開することができるようになりました。

 正式には5月頃の開始となるのですが、実は、この間、宮台さんに30人から50人程度の小さなシンポや懇親会のようなものなら、カンパ形式で実施できるのではないかと相談していて、どこか協力していただける適当な会場があれば、やりたいなと考えていたわけです。それでMOVEが正式に開催できるのが5月で、しかも地方を中心に展開したいと考えているところがあって、ならば、それまでの期間、時間もあり、MOVEの活動をどう進めていくかを東京で小さなミニシンポ、懇親会形式のような形でやれば、参加した方々に、私が提唱するMOVEのねらいをお伝えし、また、MOVEに対する意見や運動へのアドバイスももらえ、本番にも生かせていけるのではないかと考えたわけです。

 MOVEという名の示すように、そのねらいは社会変革、社会を変えて行こうという趣旨ですが、同時に運動という意味もあるので、MOVEの趣旨に賛同してくださる方々とひとつの市民運動をつくって行こうという願いもあります。

 そこでどうしてMOVEなのかというところからお話をしておきたいと思うのですが、私がMOVEをやろうと思い出したのは、単に「生きる力シンポ」の復活というだけでなく、昨今、日本を席巻している心情を背景とした理念なき正義への危機感のようなものです。

 私のWEBOUTという社会評論のコナーがあるのですが、そこでも「心情と正義のパラドックス」という記事を掲載しています。詳しくはそちらをぜひ一読していただきたいのですが、安倍晋三の「美しい国、日本」に代表される心情的なフレーズが大衆の心理を動かす、後で宮台さんから話しが出るかもしれませんが、いわゆるポピュリズムが日本ばかりでなく世界を危うい方向へ導いている現実をみなさんに知っていただくことが重要だと考えているわけです。

 こうした状況というのは、市民にとって、マスコミで伝えられる事件報道や出来事の向こうにある真実を見抜く力、つまり、リテラシーがとても必要な時代だとも言えるわけで、それはとりもなおさず教育の問題でもあり、それを互いに学べる場があればという願いでこうした会を始めようと思ったわけです。

 今回お集まりいただいているみなさんは、私の仕事の関係や私が昨年監督した『見えないライン』という映画の取材などで知り合った方々が中心です。実は、こうしたシークレットライブは初めてで、収容人数も限られており、声のかけ方が物凄く難しかったのですが、私の言う「心情と正義のパラドックス」という問題につながる社会的な活動や政治的な活動を実践されている方々が大半ですので、そうした方々や私の問題意識に関心のある方々と私が抱いている危機感を共有していただき、現実認識のズレや違いを話し合いで埋めて行きたいと思います。

 初回の今回は、私が映画のテーマとしても描いた格差の問題と教育の問題をつなげながら進めていきたいと考えています。そのために、社会学者の宮台真司先生、雇用労働問題に取り組んでいらっしゃる日本労働弁護団の弁護士、圷由美子先生、教育問題に取り組んでいらっしゃる民主党参議院議員の鈴木寛先生にご協力いただき、ご登壇していただきます。実は、宮台先生にもその映画には登場していただいているのですが、1時間半ほど話をしていただいて、使ったのは編集の都合上、30秒程度という状況でした(笑)。

 まず、第1部で、私たちの社会が教育を含め、どういう状況になっているかを話し合い、休憩を挟んで第2部で格差と教育の現状と問題点、解決策について話し合いたいと思います。最初に、宮台さんの方から現状について話をいただければと思います。

      

宮台 たとえば、ぼくたちは昔からロボットミー手術はいけないと言ってますよね。これは人間の尊厳に関わる問題なのだというふうに言います。でも、そういう言い方をするなら、実は教育もロボットミー手術とよく似た側面があるというか、ほとんど似たようなものと言えるんですね。合意形成のプロセスが違うだけです。ただ、そうすると合意形成のやり方次第では教育も露骨にロボットミー手術といろんな意味で遜色ないと言えるところがあるんですね。

 ことほどさように、教育に関する議論というのは、もともと不遜な、人間の尊厳に抵触するような中身をいつも含みがちだし、潜在的にはもう含んでいるわけです。それをどれだけ認識するかが、まず重要なファクターになります。

 簡単に言えば、教育というのは算数やソロバンという技術を教えるということよりも心の設計という部分が非常に重要なところにあるんですね。たとえば、それは先ほどおっしゃったポピュリズム、人気主義、あるいは、人々の感情を煽るようなポリティクス。ポリティクスというのは導引戦略ですが、いわゆる感情のポリティクスが横行していくことにも密接に関係することなのですが昨今、とりわけ教育における心の設計ということが重要になってきている。これは別に政治家がそういうことを言ったからではなくて、むしろ犯罪心理学とか犯罪に関わる精神鑑定の領域で徐々にわかってきたことですね。

 つまり、過去30年間に、パーソナルディスオーダー、人格障害という概念が知られるようになってきました。これは感情が壊れた存在という意味なのですが、ところで、人間、どういう感情がノーマルなのかというとそれは社会や時代や文化によって変わるわけです。

 つまり、それぞれの社会がこれはノーマル、標準的だと思うような感情の形式を備えていない子どもたちが、育ち上がるようになってきているわけです。なので、精神障害とか心の病気ではない、正常であるにも関わらず、感情の働きが壊れているので、周辺の人間たちからは動機を忖度できないし、事前に予測もできないし、それゆえにパニックが生じるような犯罪が起きるようになるわけです。要は、昔だったら放っておいても社会化のプロセス、つまり、非人為的で非認証的なプロセスを通して、それぞれが標準的な心の形式を持つに至った。そのプロセスがある種の社会的な複雑性の増大、ぼくが最近言う言葉で言えば、「過剰流動化」によって壊れている。つまり、社会がいままでより出入りが激しくなって、昔存在した形式が存在しなくなるだけでなく、非常に分岐していく。

 成育環境ひとつとっても、家庭によって、地域によって、階層によって、あるいは少し世代が違う、時代が違うだけで、全く違った関係になってしまう。そうした中で、いわゆる標準的と言われる枠の中にいることが難しくなったという現状を表しているわけです。そうすると昔だったら、放っておいても標準的だったものが、社会の秩序を守るという感覚から一時的に標準の枠の中に収めなくてはいけないという意識が出てくるのは当然のことなわけです。これは、安倍晋三さんがどうとかですね、自民党の右派がどうとかいう問題ではなくて社会学者や教育学者の一部、慧眼な連中が以前から教育において、心の設計、頭脳への設計、心得の設計ということが非常に重要になるということが意識をされていました。


 それとの兼ね合いで、設計という距離を置いた感覚とは別に、いま人々は非常に感情的になりやすくなっているんですね。それはいま申し上げた人格障害問題と関係するんですが、昔だったら犯罪が起ころうが、自殺が起ころうが、誰がどういう理由でそれをやるのかが大体わかった。弱者だからやった。食うために殺した。そうした紋切り型の図式が利かなくなっているわけです。それこそ、「隣は何をする人ぞ」という感じですね。 

 あるいは同じ屋根の下に住んでいても同じ家族が何をしているのか、何を考えているのかわからないという状況になってくるわけですね。そうするとある種の疑心暗鬼が広がることになるわけです。それにある種の情報化、たとえばインターネット化が拍車をかけるわけですね。

 インターネット化というと匿名者の犯罪のように、名前を知らない奴が悪さするといったことが昔から話題になりますが、それ以前から言っているように、それはむしろ周辺的で、重大な問題は「念誦腹背」なんですよ。念誦腹背というのはいい面と悪い面がありまして、たとえば、選挙的導引ということで言うと昔ながらの団体的導引、たとえば、土建屋的導引や宗教団体的導引、労働組合的導引の共同体的なプレッシャーに抗って、自分の頭で考えて動こうと思っている連中にとっては、表で回りに合わせているようなふりをしながら、インターネットで自分なりのネットワークをつくって、自分なりのポリシーを訴えるというのは非常に重要で、ある種の自己決定に結びついているんですね。 


 ところが、以前、音羽の母事件が起こったとき、大人のみならず子どもも含めて、こうやって仲良くしてるけどメールで悪口書いたり、ネットで何やってるかわからないという問題がある。実際に、一つの大きなファクターになって殺傷事件に至るような子どもの事件が非常に多いわけです。言ってることとやってることが違うんじゃないかという念誦腹背的なふるまいが、事実上の自己決定を促すといういい面と他方、疑心暗鬼を広げていくという面があるわけです。事実的自己決定についても、土建屋的導引をしている連中からしてみれば、やはり疑心暗鬼が広がるわけですから基本的には同じなんですよ。

 そのように社会全体が不安化しているわけです。そうすると不安そのものが導引のリソースになるわけですね。具体的に言うと感情的な導引、不安のポリティクスという形の導引のリソース、材料、資源になっていくわけです。従って、みなさんご存知なように、この数年間のようなタイトな選挙運動になりえるわけで、昨年の総選挙は不安のポピュリズムによる導引がいかに重要かということがよくわかった実例だと思うんですね。

 私は相当以前から民主党に全体的なノリの時代は終わっていて、不安のポピュリズムによる導引にどう対応していくかを知るために、どういうふうに首相官邸周辺にいる人間たち、つまり、総務省の出向役員や電通のスタッフを使っているかを分析し、戦略を立てたらどうかと提言していたわけですが、岡田さんは「そういう小手先のことではなくて、やはり正しいことを言っていれば伝わるんじゃないか」と答えるわけです。この間、またお呼ばれして、同じようなことを言ってましたので、岡田さんはもうだめですね。もう終わってると言ってもいいでしょう(笑)。

 教育には、サプライズサイドとディマンドサイドとあるわけです。政治家はサプライズサイドですが、その中にはいい政治家もいるでしょうね。しかし、経済と同じでいい商品が出たら、いい商品は売れるはずですというのはだめで、それはディマンドサイド、つまり需要サイドが何を要求しているのかを念頭に置いた上で、商品開発やあるいは商品開発はともかくとしても、少なくともマーケティング、それを販売していくための広告戦略においてはディマンドサイドのあり方を把握しなくてはいけないわけですけど、民主党というには本当にただのおぼっちゃんの集まりになのか、そうした現実が見えていなくて、雲の上の天上人であるかのような、あまり品もよくないくせにね、どうにもならない人たちの集まりという気がしています。

話を戻しますと、感情のポリティクスがそのように広まってきているわけです。実はその中に教育の問題も入ってきている。そこで正しい筋として、標準的な関係の中で標準的に育ち上がるということが難しいので、その上の設計、心得の設計が重要になっていくんだというのが当然のことであって、しかし、その当然なことが、一回ブレイクダウンして、大衆的なレベルで観察されたときには、すべて不安に訴える形で導引が図られることになります。切れる少年多いでしょう? わけのわかんない犯罪が多いでしょう? ロリコン野郎が多いでしょう? ロリコン教師が多いでしょう? あらゆる不安要素が導引されて、それが恣意的な、たとえば愛国心教育のようなものが典型ですけども、恣意的な方向への導引に使われるように見えるわけです。

 簡単に言えば、正しい筋は正しい筋であるんだけれども、似たようなふるまいが感情のロジックを背景にして恣意的に行われるせいでハレーションを起してしまうんですね。どれがまともでどれがまともじゃないかということを見極めるのが非常に難しいことになっている。もちろんぼくらのような社会科学専門の業界にいますと愛国心という言葉を使った奴らに「あなたの愛国心とは何のか」と
30秒ほど聞けば、相手の教条的な愛国心がわかるわけですね。「あんたのは愛国心じゃなくて、単なる思い入れだ」とかね(笑)。ほんとに30秒くらいの時間でブレイクダウンして落とせるわけですよ。

しかし、実際メディア、マスコミが大規模な導引として機能してしまうとぼくがそういうコミュニケーションができるということはあまり意味をなさなくなってくるんですね。

 ある時期から勝ち馬、尻馬現象が起こっているので、メディアに登場してくる人間というのは大体小泉さんに対して厳しいことを言わない人たちですよね。森田実さんとか植草一秀さんとか反小泉的で、しかもまともなことを言う人たちはもうメディアに登場できない状況になっているわけです。

 これが現状ですね。感情、心をどう設計するかという非常に不遜なことが話題になり、ならざるを得ない環境にある。それであるがゆえに不安が増大して、不安を源泉としたポリティクスがこれほど広がってしまう。恣意的な感情の刺激によって、一方において、それがどんどん増大している。いまABの間をしっかり識別することは非常に難しく、識別が必要なリソースに期待しなければいけないはずなんですが、その手段が我々の側にもうないんだというのが現実です。

            

秀嶋 いまのお話を受けてちょっとお話をすると、先ほどお話した安倍晋三のポピュリズムの戦略、それはいまのお話にも出てきた小泉純一郎の戦略と同じで、それを見事に使った優秀な政治家に中曽根康弘がいます。その点を踏まえながらちょっとお話をしたいと思います。

民主党の鈴木寛さんが後からお見えになりますが、鈴木寛さんというのは元通産官僚で、Jリーグ発足のときの仕掛人なんですね。この間、MOVEの発足の内々の集まりをやって、そのとき鈴木さんにもお話したんですが、ちょうどワールドカップサッカーの頃で、実業団リーグを除いて、わずか十年ほどの歴史しかない日本のサッカーリーグが世界リーグで勝てるわけがないというお話をしたわけです。それは現在のサッカーブームが仕組まれたものだからです。

ご存知のように、Jリーグというのは当時の通産省と博報堂、日本サッカー協会が一緒になって新しい商品開発をして、市場をつくったという類のものです。それがヨーロッパ精神を組み込んだ世界のサッカーに勝てるわけがないでしょうと冗談半分で申し上げたのです。

それがどうしてそのときテーマに上ったかというと簡単なことで、たとえば、みなさんはギリシャ悲劇というのを知っていると思うのですが、ぼくは芝居の関係にいたこともあってひとつの例としてお話するのですが、『アンティゴーネ』とか『オイディプス王』とかいう芝居がありますね。それは物凄い人間矛盾と神の矛盾ということを描いていて、つまり神というのはすごく気まぐれな存在であり、人間を不条理な存在へ導くこともありうるという描き方をするわけです。また、人間関係がギリシャ悲劇では家族のエロス的関係を基盤としているため、そこでどんなことが起こってもおかしくない、近親相姦もありな存在として人間を描くわけです。つまり、人間というのはもともと不条理な存在に過ぎない。理路整然とした論理性の中に生きているのではなくて、非常に矛盾を孕んだ存在として生きているという姿を描いています。贖罪を背景にした、人間存在の罪深さのようなものです。

今日、徳島の方もお見えになっていますが、いま、徳島県と徳島県の同和対策推進会のご依頼で、同和地区の食肉文化を扱った作品に取り掛かろうとしていて、この間も屠場に行ってきたんですが、それを目の当たりにして、改めて、いつも私が申し上げていることを再認識してきたのですが、ギリシャ悲劇には、結局、人間は生き物を殺す存在だし、人を殺す存在であるという大前提があって、実はヨーロッパ精神というのはそれを基盤としていて、その精神を組み込みながらサッカーという非常に不条理なスポーツをつくってきたわけです。サッカーというのは下手すると自分で相手の点を入れてしまうという自責点というルールがあったり、世界ランクで上位のチームがずっと下位のチームに負けてしまうということも起きる。不確実性を高めるようにつくられたスポーツなわけです。日本がブラジルに勝つことだってあるわけで、実際にあったわけです。このように、あり得ないことが起こってもおかしくないというのが人の世界なんだということをヨーロッパ精神はわかっていて、それをヨーロッパ思想の要に置いているわけです。

そうするとどういうことが言えるかというと、さっき宮台さんがおっしゃったように、人間というのはそういう不確かな存在だという前提があるから、そこに他者への不安があって当たり前なわけですよ。何をしでかすかわからないということが人間存在の前提にあるわけで、先ほど宮台さんがおっしゃった人格障害の問題を含め云々の不安要素となる問題は、社会学の専門の方は構造的に分析したりするけれども、実は史的に考えればもともとあったわけです。

ところが、特に日本の場合、日本近代以降においてはそれを捨象、捨ててきてしまう作業をしてきたわけです。特に高度成長期以降の日本というのは、そうした人間の本来性の問題をあまり議論しないで、空洞化したままきているわけですね。ゆえに、日本近代が置いてきたもの、それはもちろん同和地区の問題とリンクしている食肉文化の問題とも関連するわけですが、そうした問題を置いてぼりにしてきているし、空白にしてしまっているページがある。そのことをきちんと議論しない。議論しないというか、議論することがだんだん面倒くさくなっているんですよ、ぼくたち日本人が。

雇用労働問題をやっている共同通信の川井くんが来てないんですが、彼とこの間、前回の総選挙の自公連立政権大勝について話をしていて、彼が「日本人はみんな疲れ切っているんですよ」というわけです。物を考えるのを放棄するくらい疲れている。だから小泉の戦略に嵌った。議論することが面倒くさい一方で、簡潔明瞭で、何の内実もないメッセージにみんなが反応するわけでしょう。要するに勝ったわけですから。

では、それが何でなんだということなんですよね。

それは、疲弊しているんですよ、我々の側が。疲れ切っていて難しいことを考えようとしない。空白を論ずることを面倒くさいと思うようになっている。その結果どういうことが起こるかというと、要するに単純で明快なメッセージが欲しくなるんですよ。我々の側が、大衆の側が。で、そうしたものが目の前に提示されると飛びつきやすい。

たとえば、脳のことを考えていただくとわかりやすいんだけど、みなさんも経験があると思うんですけど、非常に忙しくて疲れてくるとあまり物を考えたくなくなる。で、大体甘いものが食いたくなるんですよ。生理学的にも脳科学的にもそうなんだけど、脳が疲れてくると甘いものが欲しくなるんですよ、どうしたって。そのように甘い甘味料を食いたいという、つまり余計なことを考えたりしたくなくなるんですよ。それと同じことがいま起こっているような気がするんですね。

簡単に言えば、人間のコミュニケーションというのはもともとディスコミュニケーションなんです。互いの意志が誤解なく通信し合える、相互通信に反故のない、完璧に成立するコミュニケーションの中で人間が生きてきているはずはないんです。それは逆に息がつまってしょうがないでしょう。たとえば、お互いが信じているコミュニケーションがいかに基盤の弱いものかということをヨーロッパの人々はちゃんと描いて生きてきたわけです。そこに、自分も何を考えているかわからない。人も何を考えているかわからないという不安要因がたくさんあるがゆえに、宗教的理念を必要とするわけです。何を考えているかわからないけど、とりあえず、このディスコミュニケーションの中を生きていこうという幻想が必要だから宗教が存在するんです。キリスト教文化だとか、経典宗教という文化が成立するという理由がそこにあるわけですよね。ところが日本というのはそういうことが一度もない。

天皇制の問題はちょっと置いておくとしても、そのディスコミュニケーションを前提としない状態で、愛とか癒しとかいま流行っています。実はそういうものは非常にいかがわしくて、それ自体が人間を裏切るものだということがよくわかっている文化が一方にあるにもかかわらず、日本においてはそれが成熟してないということなんです。

こうした状況でどういうことが起きるかというと、さっき宮台さんが言ったように、社会に不安要因が起きると、より以上のパニック状態が起きる。なぜならば、ディスコミュニケーションになって当たり前だという社会になっていないからです。で、結果どういうことが起きるかというと、不安要因が増大すると脳が疲れているから甘いものが欲しいという状況をつくっていくことになる。たとえば、安倍晋三が戦略として「美しい国、日本」というのは、実は非常に正しいわけです。非常にわかりやすいメッセージを出そうとしているわけですね。で、それはちょっとまずいと言うためには、脳を休めせちゃだめということがあるんですけど、ぼくらの社会というのは、脳が疲れる社会になっちゃってるんですよね。で、そのために手間のかかる議論をしなくなってきている。甘味料を求める社会になっている。

そうなるとぼくのHPでも言っていますが、心情を背景とした正義が台頭してくる。たとえば、北朝鮮拉致被害者の問題でも、ブッシュ政権に依存して、ああいうパフォーマンスをやる。あれは影で安倍普三が動いていたわけですが、それを見て、民意は、それは当然だよと受け止める。拉致されて非常にかわいそうな人たちがそれで救われるならよいことだというふうになって行くわけですね。しかし、厳密に考えるとこれはおかしな話で、日本の政治的な問題がブッシュ個人の力によって解決できると考えていること自体がおかしいわけで、でも、そういうことが起こる。改憲の問題もそうですね。憲法はおかしいよ、変えた方がいいよという話が詳細な議論、近代の問題を議論せずに起きてくる。単純に自分たち日本人でそろそろ憲法つくろうじゃないかというような議論があって、それがいいことのように流されていく。それから内実の伴わない愛国心教育を目指す自民党案の教育改革の問題もそうですね。強い外交というのも先ほどの北朝鮮の問題とも連携しますが同じような心情を背景としています。それから再チャレンジというのも、今朝のテレビで茂木健一郎が言ってましたが、再チャレンジじゃなくて、スタートの時点でチャンレジできるようにしてくれよと。その通りで、再チャレンジというと格差の問題に対応しているような錯覚を生みますが、いまの格差の問題は、世代間連鎖の問題を含み、スタートラインでの格差がより大きな問題なわけです。

ま、そのように、一見妥当性があるように並べられる言葉は、実はぼくがHPなどで書き続けているように、空洞化した問題への議論を先送りにして進んでいる。格差の問題も教育の問題も、経営者側と労働者側という対立の関係だけが論じられ、教育の問題でもダメ教師と生徒の関係、優秀な教師とダメ教師の関係というわかりやすい構図の中で議論され、空洞化されている原理的な問題を議論しないで終わっている。そうしたことをきちんと議論しないと本当の意味での解決策は出てこないんじゃないかと思っているわけです。

矛盾があることは当然であるという社会の中でどう社会のリソースをみんなが上手く使い合って、フォローし合うかとか、あるいはウェルフェアの概念をどう持ち込んでいくかということをみんなで議論していかないといけないんじゃないかなとぼくは思っています。ぼくが宮台先生の話から連想するのは、こうした日本の状況です。

            

宮台 いまのお話には非常に重要な問題がありますね。まず一般論は別にして、日本はどういう国の成り立ちであるのかという歴史性に絡む問題がまず非常に重要ですね。それを背景にして処方箋の問題につなげていけるんですけどね。

順次、簡単に話しますけども、ヨーロッパの歴史の話をされましたね。そこまで一足飛びに行く前に、みなさん、わかりやすい例を出しますとね。ヨーロッパというのは「私」の原理と「公」の原理を貼り合わせて近代社会をつくっているんですね。どういうプロセスをとったかというと、ちょっとはしょりますけど、「私」の世界は感情のゲームなんですよ。「公」の世界は契約のゲームなんです。感情のゲームは非常に広くて収拾がつかないわけですね。なので、わかりやすく言えば、感情のゲームを調停する役割を果たすものとして契約のゲームとしての公があるわけです。じゃ、どうしてそうした契約のゲームとしての公をつくることになったのかというとニーチェ的な意味での悲劇の共有なんですね。具体的には歴史のイベントがあって、それはフランス革命であったり、アメリカ独立革命であったりするわけです。それを廻るいろんな闘争がありましたよね。ロベスピエールの恐怖政治もあったし、アメリカの場合は南北戦争もあった。そういう歴史的なイベントを参照しながら、なぜ、本来、幅広くあるはずの感情のゲームを調整して、契約のゲームとしての公を設けてきたのかということについての合意が存在する。これがアメリカ、ヨーロッパの近代の形式なんですね。

 感情のゲームというと幅広い発想なんですけども、感情の働き方にはいい働き方と悪い働き方があるという識別もやっぱり存在していて、アメリカの場合は宗教的な良心が識別基準となり、フレックスになっていますね。ヨーロッパの場合は生活世界、つまりマナキュラーな土俗のロンタリティですよね。これがよい感情と悪い感情の識別基準となっています。さて、日本を振り返ってみますと、ヨーロッパのような意味での契約のゲームとしての公がないんですね。

それは契約ゲームを支えるものとしての悲劇の共有がないということでもあるわけです。歴史的なイベントの参照資料がないということですね。なので、維新以降、岩倉使節団系の人たちは、ある設計をしたんですね。心の設計です。つまり、「私」という小さな世界での感情のゲームを乗り越えるもっと大きな感情のゲームをつくればいいんだ。お父さんに対してもっと大きなお父さんをつくればいいんだということで、皇基御戸箱などを参照しながら、天皇という感情の焦点、フォーカスをつくることで、田吾作に田吾作的な感情のゲームを乗り越えてもらう、つまり国民としてふるまってもらうというふうにしたんですね。

 これはヨーロッパのような感情のゲームを乗り越えるための契約のゲームではなくて、感情のゲームを乗り越えるためのもっと大きな感情のゲームというようになっているわけです。これは近代社会としては非常に特異なシチュエーションです。この特異さは、いろんな弱点と結びついているんですね。たとえば、天皇がいなくなってしまえば、あるいは天皇から権威が剥奪されてしまった場合には、小さな私のゲーム、小さな感情のゲームを乗り越えるどういう大きな感情のゲームができるのか。あるいは大きな感情のゲームは感情のフォーカスの操縦次第で、どういう方向にもぶれてくる。あるいは場合によっては恣意的に、恣意的なものに操作されるという弱点もあるわけですね。どちらの弱点もぼくたちにとっては、かなり切実なものであるわけです。なおかつ、ヨーロッパやアメリカと比較した場合、小さな感情のゲーム、小さな「私」を支えるはずの、たとえば、生活世界、マナキュラーな実体であるとか、宗教的要素といったアメリカ的な実体、その両方が存在しないんですね。そうすると家族や地域でどういう心の働き方をするのがいいのか。あるいはどういう心の働き方をするように環境をアレンジ、あるいはセットアップしていくのかという問題意識はもともとないわけですね。

 こうした弱点に継ぐ弱点が積み重なった中にいまの日本があるわけです。ただ、申し添えておくと、いまとしては弱点として現れているものが維新以降の急速な近代化にとっては、ま、長所というか、利用できる重要な資源だったわけですね。契約の原理なんて知らない連中に「私」を乗り越えさせ、国民としてふるまわせて、そんなことで成功した国は日本以外どこにも存在しないわけです。ですから、こんなに早く近代化を遂げることもできたし、あるいは敗戦後、ちょっと前までは一億総火の玉、天皇陛下のために一億総玉砕とか言っていたのが、蓋をあければ、「アメリカさん。ありがとう」いうふうに変貌できるのも、契約のゲームじゃなくて感情のゲームだからですね。感情の帰依の対象、お父さまではない、より大きなお父さまが「これからはこれまでとは違ったやり方でやって行きこう」とおっしゃるので、それでは変えましょうというふうになったんですね。こういうのも実は、その感情ゲームを乗り越えるもっと大きな感情のゲームの擬似「公」というロジックを使ったからできたわけです。そういう我々の社会の成り立ちの特殊性をよく理解しておかなくてはいけないんですね。

 具体的に言うと、もともとぼく自身も近代主義的なところがありますので、できればですが、契約のゲームという形で感情のゲームを制圧していただきたいと思いますけど、いまの日本人の民度を考えると無理です。おそらく、30年から50年以上経たないとそれは無理だと思えるんです。そうすると小さな感情の渦巻きを乗り越えていかなくてはいかなくて、感情のゲームをどうやって組織していくのかという問題設定が非常に重要で、なので、象徴的な統合シンボルをどのようにコントロールしてくのかがソーシャルデザインにはとても重要になるわけです。それは同じことをいろいろな勢力の方が、中でも頭のいい方は考えていて、天皇が天皇として機能しないのであれば、何を使えばいいだろうか。そこでいま日の丸だとか、君が代だとかそういう形のものが出てくるわけですね。

 ぼくもそういうところに関わっていて、民主党を右的なところに引っ張るという役割をしているわけです。自民党よりもっと右にすれば、右の人は民主党に反論できなくなる(笑)。感情のゲームの非常に初歩的なゲームなんですよね。

 契約のゲームはそれができればそれに越したことはないが、それができないなら感情のゲームをどうやってアレンジしていけばいいだろうかということが非常に重要になって、そうするとやっぱり統合シンボルの組織化やそれを廻る教育っていう冒頭の問題、「本当に日本では教育が重要になってるんだよね」ということになるわけです。

 さて、その教育をどう設計すればいいのかが次の話なんですが、ぼくはずっと前からエリート教育をしろと言ってます。あるいはエリート主義的なものを認めろと言っています。これは、変な話ですけど、アメリカ、ヨーロッパではそんなこと言う必要はないんですよ。というのは、当たり前だから。当たり前っていう背後には、実はギリシャ的伝統というのがあって、ノンプロヴィリィゲーション、高貴なる気品というのがあります。それはどういうことかと言うと、要は、優秀な人間を嫉妬したり、妬んだり、あるいは感情的に恫喝しているような連中が社会的全体図を考えることができるはずはなく、社会的全体図を考えることができるのは奴隷ではなくて、市民、つまり近代社会においては平民ではなくて貴族ということになりますが、そうした連中だということです。簡単に言えば、私利私欲を離れて全体を見渡す余裕があり、素養があり、実際、それを実現するネットワークを持つ存在、これが政治を行うべきだという、広く共有された観念があるわけです。

 その典型がフランスですよね。フランスの議会は有色人種が一人しかいないでしょう?

 後は高額所得者ばっかり。貴族が議員やっているんです、フランスは。でも、それでいいわけ。なんぜかと言うと二つ理由があって、一つは、政治は余裕のある奴が暇なときにやれということ。後、もう一つは、いざ、彼らが自分たちを裏切る場合は、デモ、スト、闘争でこれに抵抗する。人々の社会参加は議会での発言ではなくて、あるいは議会の議員を投票行動で選ぶことではなくて、いざとなったら堂々とデモによって、体制を転覆するということがフランス市民の社会参加だということが広く認められているんですね。だから、昨年の移民2世、3世の暴動にしても、雇用問題についての学生たちのロックアウトとか、それを支援する労働者のストなんかもそうで、現地の日本人には不評ですけどもフランスの人たちにとっては全然問題ないわけです。当然の権利の行使だという考えがあるわけです。

 日本の場合は、優れていることを尊敬し、優れている人たちに任せるということは残念ながらないんです。むしろ、それを意識的に壊したのは、先ほど申し上げたように、岩倉使節団系の人たちの国民化のための一つの戦略だったわけです。

長くなるので簡単に言いますけど、では、階級文化がなぜ認められているのかというと、幸せは、あるいは幸せを支えるスタイルは通訳できないというのがあるんですよ。たとえば、貴族には貴族の幸せがある。政治家には政治家の幸せがある。一般の労働者には労働者の幸せがあるんです。それは質が違っていて通訳ができない。どっちがいいということはできないという観念があるんですね。日本の場合には、一君万民化の中でそういうスタイルの違いをむしろ壊そうということを意識的にやってきたんです。なので、田吾作が足を引っ張り合うようなそういう形式をわざとつくった。あるいは田吾作同士が陛下は何を考えていらっしゃるんだろうかというような忖度のつばぜり合いをやるようなゲームをわざと設計してきたということがあるわけです。そうした長い歴史的経緯ゆえに、日本にはエリートに任せるという文化はないわけです。

じゃ、そうするとどうなるかと言うと、表立ってエリート主義ということができない。そうすると影で、目には見えないネットワークをつくってありとあらゆるものをコントロールするという悪い意味でのボピュラティズム、協調主義、談合主義が横行していくということになってきて、現になっているわけです。

付け加えておきますが、談合的なものも社会には本当は必要で、ヨーロッパの貴族主義的な文化の中では談合は必要で、それこそが社会の正当性を保つ上で唯一の手段だと考えてられているわけですね。談合主義の反対はネオリベ的な優勝劣敗主義なんです。談合によって必要なところに、あるいは弱者に物をつけていくのが重要なんだという発想とは別に、競争の結果はすべて正当化できるから負けは負け、勝ちは勝ち、それでいいじゃないかという考え方というのはエリート主義から見れば相反する考え方なわけです。どちらかといえば、アメリカは優秀劣敗主義にもともと偏りやすい。

さて、日本の場合、残念なことは、談合主義的なものというと経世会的なものになる。経世会的なものというのは昔の日本の村落共同体があった頃はよかったんですよ。あるいは、いま部落の話が出ましたから言うと相互扶助のシステムが部落にはまだきっちりと存在するから、たとえば浅田満さんがドンとして、大きなリソースを再配分していくという仕組みをみんなが承認しているわけだけど、社会的な不透明さが増大してくると昔存在した幸福なビジョンがどういうふうに見えるようになるかというと、どこかで誰かがうまいことやっているという疑心暗鬼に変わっていってしまうんですよ。いろんなコネクションを使って、補助金をがっぽりもらって、それを再配分していると誰かがどこかで上手いことやってるという考えが生まれて、抑うつ感からルサンチマンが生まれ、どこかで上手いことやってる奴を潰そうじゃないかということになり、経世会的なものが潰されたわけですね。そうすると自動的に再配分原理も同時にどこかに持っていかれてしまっちゃうということなんです。

ぼくがよく言うことですけど、談合主義・協調主義かネオリベ、優勝劣敗主義かという軸とクリーンがダーティか、あるいは権威主義か自己決定主義かという軸とは違うんですね。日本の場合、やや不幸なことに、こちらネオリベ、優勝劣敗、こっちが談合だったとすると、実はみなさん、談合がイヤだったんじゃなくて、権威主義的な不透明、見えないところで何か悪いことやっているようなことに反対していたものが、同時に談合主義的なものも全部一掃しちゃった。経世会というのはダーティ・ダークという言い方がありますけども、弱者にやさしいんだけど、つまり再配分的談合なんだけど、不透明なんですよ。不透明で権威主義なんですね。で、権威主義に反対してしまったので再配分の仕組みも流れてしまったんです。小泉さんは、クリーンでタカなんです。クリーンなんだけど再配分否定なんですよ。みなさん、ダーティ・ダークが嫌いで、クリーンな方向を応援した結果、

 再配分が欲しかった弱者の人が自分で自分の首を絞めるという逆説に陥ってしまった。

これは実はアメリカでもイギリスでも20年前に起こったことです。そういう意味で、日本の人たちが鬱屈している背景は、歴史的なこととその鬱屈がどういう方向に導引されているかというと実は非常に恣意的です。本当はみなさん再配分の否定なんかして欲しくはなかったはずなんですよ。冷静になればね。ところが民主党がバカだったんで、ぼくがいま申し上げたような原理がわかっていなかったんですね。選挙のときもね、鬱屈している人たちがあれかこれかと言われると、「私は改革します!」「私に反対する人は抵抗勢力です!」というような形でわけのわからないことを言って、導引しているわけですよ。

私は、民主党にマニュフェストは2行でいいと言ったんです。ツーフレーズでやれよということです。ツーフレーズというのは簡単で、「改革か抵抗かではなく、改革にも2種類ある」。この2行でやるしかないに決まっているんです。実はこういうことを岡田さんに申し上げてきたんですが、「いや、本当に正しいことを言っていれば伝わる」という理屈ですべてご破算になりまして、こういう状況になっているんでね。本当にだめです(笑)。


秀嶋 いま談合の話が出たんですが、実は今日、始まる前に携帯電話を忘れてて、タクシーで取りに帰ったんですね。ぼくは、タクシーに乗ると景気の話とか、世の中の動きをどう思うかを聞くんです。というのは、タクシードライバーというのは非常に生活実感が反映しやすい仕事なんですね。だから、定点観測するのに非常にいいんです。

それで、今日はなぜか談合の話になったんです。規制緩和でタクシーが増え過ぎて、潰し合いになっているというのが発端で、タクシー料金の自由化で談合が成立しなくなった結果、それがタクシードライバーの生活を圧迫することになっているという話の流れだったんです。

 それで、談合って悪くないよねという話になって、タクシードライバーの方が神戸の震災の話をされました。神戸の震災のときに、復興支援のビル再建などを談合でやったんですよ。というか、談合でやっていなれば、復興なんかできていないわけです。同時に、被災した建築関連の地場の企業も立ち直れなかったわけです。それはさっき話に出た、再配分なんです。

 我々の知人で宮崎学さんがいるんですが、彼は土建屋出身で、彼も言ってるんだけど、土建業界もそうした談合の中で動いていたので、それで成立していた再配分があったにもかかわらず、それがなくなることで回っていた生活が回らなくなるということが現実にあるわけです。

 圷さんの立場は、雇用労働の問題の最前線にいて、そこで闘っていらっしゃるわけだけど、私の作品の『見えないライン』も見ていただきましたが、結局、労働者雇用の問題だけじゃなくて、派遣労働とか契約労働とかいう形式の中で、結局、再配分がされない人たちが現実にいるわけじゃないですか。また、日本版エグゼンプションという正社員の労働時間、8時間労働の枠を取っ払おうという動きが出ていて、これは来年の国会に提出されて成立してしまうでしょう。

いま歴史も含めて、宮台さんと私の方でちょっとややっこしい話をしましたが、そうした問題も含めて、いま雇用労働の問題も起きているように思うんですね。その辺を圷さんの立場でどのような考えを持っていらっしゃるかをちょっと聞きたいんですけど。

           

 いまの談合の点で言えばですね。それが悪い結果として出ているのは、建築関係なんかそうですが、そもそもどこが受注するのかという問題もそうですけども、期日の決定というんですかね、いついつまでにというのが物凄く競争になっていて、もう始めから無理な短い期間でやるというような企業が入札で落とすようになっていて、そうすると労働者にみんな皺寄せがいくんですね。非常に短い工期で請け負って、それを正社員だけじゃなくて、もっと下へ回すんですね。請負とか、有期雇用の方とかに振っていって、物凄い短い期間なので、24時間労働じゃないと終わらないような、徹夜としかしても終わらないような無理な工期を設定するというような長時間労働が行われてしまっているんですね。

 それが談合がなくなってしまったマイナス部分と言えると思います。

 また、労働時間が長くなった理由として国際競争ということが言われていますけども、個々の労働者の労働時間が長くなったということで、うつ病も増えています。昨年ですけれども、うつ病も過去最高の数値になりましたし、過労死で亡くなる方の数値も過去最高になっています。そういう形で非常に競争社会の中で、労働者、それも正社員のみならず非正規雇用の方も本当に使い捨ての状態で、非正規の方は短い期間雇ってだめなら、また違う人を雇えばいいというような形になっていて、秀嶋さんがさっき疲弊しているとおっしゃいましたが、心身ともに労働者が疲弊しているっていう状況があります。それで長時間労働を推し進める方法として、日本版エグゼンプションというのがあるんですが、みなさんご存知でしょうか?

 ご存知の方、手を挙げていただきたいんですが…。(数名挙手)

 先ほど秀嶋さんの方から来年の国会で成立するであろうというお話がありましたが、私たちの側は、それは成立させてはいけないという立場で…

秀嶋 そうですね。すみません。成立させちゃいけませんよね(笑)。

 (笑)そういうふうに思っているんですが、ホワイトカラーというのは大体、イメージがつきますか? 

 ブルーカラーが工場労働者なんですが、その反対でサラリーマン、会社員の方、その方たちがエグゼンプト、除外するという意味なんですが、いまはご存知の通り、労働基準法というのがあって、1日
8時間、週40時間しか労働させてはいけないというものです。それを上回る労働をさせるためにはですね、労使協定で残業させるという合意を取り付けないと残業をさせることができない。なぜ、18時間、週40時間かというと労働者の最低限の健康を守るというものです。1日は24時間しかないですよね。すると8時間労働時間、睡眠時間、プライベートな時間とあるわけで、企業としては利益を追求するために、その時間、労働者の時間をより使いたいという立場です。これに対して、国の方が労働者の健康を守るという意味で、規定したのがその時間なのですね。

 ただ、例外的に労使協定を定めれば、残業させることもでき、かつ割増賃金を払わなければならないという規定がいまあるわけですけど、その二つの規定を撤廃して、もう好き放題残業させることもできるし、今度は割増賃金なんかも払わなくてもいい。いま管理監督者については、残業代を払えないという現状があるんですけども、彼らにも深夜労働の規制というのがあって、深夜労働をさせるためには
35%の上乗せ賃金を払わなければならないということで、あんまり深夜労働をさせないようにという抑制が働いているんですね。その管理監督者の深夜労働の規制も取っ払ってしまって、いまはグローバル化していて24時間企業情勢は動いているからそれに対応させなければいけないというふうになっていて、管理監督者の最低限の健康に対する配慮とかも取っ払おうとしているという、その恐ろしいアメリカの制度なんですけども、それがいま日本に導入されてようとしていて、日本経団連が非常にそれを押し出しています。それは全くアメリカからの意向です。

 この間、小泉さんがアメリカに行ったときも日本版エグゼンプションを導入しろというプレッシャーが強かったといわれています。

 そうすると当然、残業代で生活をしている方々のゆとりがなくなりますし、企業にしてみれば、18時間、週48時間という規制がなくなれば使い放題なわけです。ただ、建前ではですね、こうした労働に関する規制を一切なくしてしまえば、労働者は帰りたいとき帰って、家庭的な責任も果たせるようになる。それで定型的なものをなくせば、いつ来て、いつ帰ってもいいという形になるので、労働者にとってとてもいいというのが政府の建前で、自立的労働者というもので、果たしてみなさんは自立的に働く労働者なんて見たことがあるでしょうか?

 私の夫がSEなのですが、私が2月に出産して子どもがいるので、早く帰ってきて欲しいんですけども早く帰れない状況があるんです。労働量を目の前に置かれてしまえば、結局それをこなさなければいけない。労働量の調整もしてもらわなければ、労働者は自分の好きに帰ることもできない。日本人は横並び精神が強いから他の人が残っているから私は帰れないとか、部長が働いているのに私は帰るわけにはいかないとかあって、自立的な労働者なんていないんですよ。にもかかわらず、ホワイトカラーエグゼンプションの導入動機としては、自立的な労働をすることで自分たちが好きなように働きたいということで、こうした制度を提供するというような言い方をしているんですね。

秀嶋 簡単に言うとこういうことです。働きたい奴は一生懸命働いて自己実現したいだろう。格差はどんどん進んでいますよね。だから、その中で仕事のチャンスがある恵まれた奴はもっと仕事したいだろうから、好きなだけ働け。それについては自己責任だから残業代もつかないよと。時間の規制もしないよと。でもそれはみんなが望んでいることでしょうというものです。それは逆を返せば、この間ぼくが創った映画にあった、契約や派遣労働の方たちが使い捨てになってしまう理屈にも通じるわけで、諸刃の剣なんです。

 こういうことが起きるのは、一つにはさっき宮台さんが言ってたように、エリートとは何なのかというのがはっきりしていないんですね。はっきりしていないところで階層化をつくっているわけです。エリートのいない階層化というのは田吾作が考えたわけですよ。日本の経済の仕組みだとか志向の構築を、いわゆる社会バランスの中で創っている人たちが考えていないから、格差の問題が起こっているわけですが、それはそこにエリートがいないからなのです。ある意味で正しい意味でのエリートがいるという社会と現実に日本で起こっているところのズレがかなりあると思うんです。そこのところをちょっと宮台さんにお話していただきたいのですが…。

          

宮台 田吾作が決めているということなんですが、具体的にはアメリカが決めていると考えていいんですね。圷先生にも言っていただいたんですが、少しバックグラウンドをお話すると、2001年に小泉政権が誕生してから、15000円くらいあった株価が2003年くらいまでに7602円まで下がったわけです。それで、りそな銀行の破綻危機になって、りそなが破綻すれば日本には100%金融危機が起きることがわかっていて、つまり、これは完全な政策の失敗でした。

 そこで実はアメリカが知恵を出して、国の税金、資産に関わるルールを曲解すれば、りそなを潰さずに済むという図式をアメリカが日本に呼び込んだらしく、それでりそなを破綻させずに救済をするということをやったんですね。それ以降、基本的にはいままでの
Too Big Too Failではなくて、金融恐慌を起しそうなものについては、これを潰さないんだということをやる。それ自体は正しいと思うんですよ。しかしながら、その代わりにアメリカのロサンゼルス危機のように徹底的に責任を問う。牢屋にどんどんぶち込んでいくと。アメリカは百数十人牢屋にぶち込んだと思います。牢屋にぶち込んでいくということをやればよかったんですよ。そうすればモラルハザードは起こらず、今度バブルが起こるということの免疫というか、抵抗力を増やすことができるですが、やらなかったんですね。

 その結果、ぼくが見るところ、こういうことが起こった。小泉政権は、金融恐慌をアメリカのお蔭で回避させてもらったんです。歴史に最大の汚点を残すところを救済してもらった。小泉さんは横須賀出身だからアメリカのケツを嘗めているということもあるんでしょうけれども、やはり、命を助けてもらったということで、それ以降、アメリカの言うことを何でも聞いていくということになってしまったという可能性があります。

あと、金融に関する経済界の方はトゥ・ビッグ、トゥ・フェイルを入れて来なかったということで、大きければ潰さないでもらえるということで合併が進む。しかも牢屋にぶち込まれないで放免してもらったと、そういう恩も日本の経済界は政権に対してあるわけです。そして、日本の政権も経済界に対して恩があるわけです。それはどういうことかというと、本当は政策の失敗を徹底的に追及されて、小泉なんて放逐されて当然なんですけれども、ある種のそういうバーター取引、ま、恩のやり取りでしょうね。それによって、お互い首が繋がっているんです。

そういうことの中で、非常におもしろいことになってしまった。つまり、誰かが最初に、グランドデザイン、ビックピクチャーを描いた人間がいるのではなくて、小泉の、簡単に言えば、竹中っていうクルクルパーがいるんですよ。この人は本当に知能指数の低い人だと思うんですけど、会ったこともあるんでけど、本当にバカです、この人は。で、この人の政策的な失敗によって、日本は地獄を見るところだったというところをアメリカが救ったというところに発する、コネクションが、実に強く存在をしていて、それが今日見るような大企業優遇、あるいは金融行政優遇、あるいは金融恐慌からできるだけ遠ざかるような方法で、なおかつ、アメリカの意向にできるだけ沿うような傾向で、共産党的な言い方をすれば、大資本を優遇する。というやり方をしているわけです。

 じゃ、皮肉なところがあるのはね。金融恐慌になってしまえば、みなさんの生活も大変だったわけですよ。でも、それをアメリカが救ってくれたので、またまたアメリカは天から降臨された救世主のように、でも、実際には、見えない救世主として振舞ってもらって、見えているのは、小泉と竹中だったりするわけですね。そういところから、非常に皮肉なんだけども、みなさん、アメリカに助けてもらっちゃった。その結果、助けたときのスキームを温存する以外にみなさん生き延びることができないという皮肉な事態になっているんです。

 ということで、田吾作が考えた、イコールアメリカが考えた。もともとアメリカがビッグピクチャーやグランドデザインを描いたわけじゃなくて、ある種、歴史的な偶発事、とりわけ竹中が頭のレベルが凄く低かったということが、竹中のせいで日本は地獄を見る可能性があったというところに、実はアメリカが入ってくる隙間があって、そこにアメリカが入ってきて、日本政府はアメリカに対する恩があり、経済界は日本政府に対して恩がああるというこういうコネクションができたんですね。その結果、従来、路頭に迷うこともなかったのに、多くの人が路頭に迷うようになったんですね。

こういう出来事の全体像をおそらくメディアは全体に報じないわけです。それはそうですよ。いま言ったのは、アメリカと経済界と政府のコネクションですよ。その中でお互い地獄を見るはずだった人たちが救われたというのがあるわけですから、そんなものがメディアに乗るはずがないわけです。しかし、これは非常に重要な歴史的なイベントなんですよ。こういう歴史的なイベントの中でコネクションが出来上がっていくということを踏まえないとこれをどう解除していけばいいのかということも実はよくわからないということなんです。基軸は日米関係なんです。アメリカはやっぱり凄いんですよ。いざというところで日本に恩を売って、正確には政権に恩を売って、政権がアメリカに逆らえないようにするわけです。りそな銀行による金融破綻をアメリカが回避させてくれたということは、小泉と竹中がその後100回アメリカに行って土下座しても足りないくらい、恩がアメリカにあるということ、これは誰も言っていないでしょう。

           

秀嶋 日本長期信用銀行が破綻する前ですが、そこが支援していたそごうデパートがマッカッカで、そこで長期信用銀行から副社長で阿部さんという方が入って立て直しをやろうとしていたんですが、いろいろとご縁があって、阿部さんとそごうの再建プロジェクトをどうするかというお話をしてたんですね。しかし、残念ながら、それから半年後くらいに自殺されました。これは長期信用銀行の支援がなくなったからです。阿部さんは再建のために努力されたんですけども、それが叶わなく、日本的な自分が責任を取るという形で自殺されたわけです。相当のリストラもやってましたから、再建できないとなったときに物凄い責任と信頼していた銀行に裏切られたという思いだったでしょう。じゃ、長期信用銀行はどうなったかというとその後、外資、アメリカの資本で再生したのですが、それが新生銀行です。当時から銀行の中でもこんな銀行はあるのかという銀行で、細かい話ははしょりますが、日本中の銀行が疲弊している中で、一人権益を守られ、破綻させないための特別優遇措置がとられたわけです。

宮台 公金をじゃぶじゃぶ入れた上で、リッブルウッドに10億ドルで売ったんですよね(笑)。

秀嶋 ええ。そうです。いまでもありえない高収益を出している銀行です。そう言う構造式が一方ある中に、そうしたことに、いまちょっと出た格差の問題にリンクする問題があると思うし、日本の労働者がうんたらかんたらという、8.1共同アピール集会にぼくも参加したんですが、いろいろと知り合いもいて、それ自体は決して否定するものではありませんが、そこに集まっていたのは、どうしても組合の関係者であったり、サラリーマンというか、当事者がいないわけです。問題は非常に深刻な問題にもかかわらず、危機感がない。もちろん、アピールの仕方が下手だったということもあるでしょうが。

そうしたことを踏まえながら、いま、宮台さんと私で社会の現状について話しました、圷さんからも雇用労働の現状ということでお話をいただきました。で、議論すべきは、目の前にある問題だけではなくて、それを構造的につくっているものだとか、恣意的につくっているものだとか、アメリカとの関係でつくっていることだとかを踏まえて議論をしないといけない。権利闘争だけで終わってしまって、労働組合が集まって「はいオシマイ」ということになっては、何の実効性もないわけですよ。それを政策に転換したり、国政に反映させたり、行政の中にどうやって組み込んでもらうかということをこれからは考えていかないといけない。

その意味で、今日、鈴木寛さんに来ていただいたのは、こういう『教育のススメ』っていう民主党がつくっている冊子があります。「日本国教育基本法改正案」という法案の解説がされていて、そこにある前文は、ぼくは最初知らなかったんですが、すごいな三島由紀夫が言うようなことが書いてあるなと思ったんですが、何のことはない、宮台さんがほとんど書いているんではないかという、極右翼的な改正案なんですが、とてもステキです。そういうものを民主党が出して、これからもシンポジウムのようなものを開催していくらしいのですが、その中で、ぼくが出した質問を鈴木さんが拾ってくれて、この教育の問題を格差社会の中でどう考えていくかというを議論して欲しいということをやったんですが、残念ながら民主党の教育シンポではお見えになっているパネリストからビリッとしたコメントがもらえなかったので、今日は、鈴木寛さんもくるということだったので、そこのところをしっかり議論したいと思っています。

ちょっと休憩を挟みますので、その後、この教育の問題と格差の問題、具体的な話を進めたいと思います。

宮台 休憩の前に、鈴木さんが後からお見えになっているので、前半どのような話をしていたかということを少しサマライズしますとね。

 まず、ひとつは、人格障害などを切り口にしましてね、放っておいたら標準的に育つということが意識されていて、放っておいても普通に育つということがない以上、脳にプログラムを書き込まなくてはいけないんだという発想が広くエリート層に共有されているということが一方にあります。後、同じことの2面なんですけども、放っておくと普通に育たないということで、非常に不安が増殖していて、その不安をベースにして、ある種人気主義的なポリティクス、感情のポリティクスが行われているようになっていて、その感情のポリティックスの中で、愛国心の問題であるとか、道徳教育の問題とかが押し込まれようとしている。

 以前のような自明な社会化がありえない以上、人が人為的に教育をして、心の標準を背負さなければいけないという抽象的には正しい問題と感情のポリテックスを背景にして、恣意的なものを押し込んでいくということの見分けがつかなくなりつつあるということで、

 心を書き込むということが非常に重要なポイントになって、これは実はエリート層じゃなくても、若い奴叩き直さなきゃというようなね(笑)。それ自身がポピュリステックな人気を得やすいわけです。そういう不安定な要素があるということがまず話されていて、後、格差問題が非常に重要な話題になっているわけですが、今般、小泉の優勝劣敗政治になって生まれた問題があるということで、ぼくがお話したのは、2001年から2003年にかけて、株価が半減して、りそな銀行が破綻しかけたときに、アメリカが国の税金や資産の解釈を歪曲して、それでりそな銀行の破綻を救済したということがあって、それが反転して戻ってきているわけですが、小泉と竹中がアメリカに絶大なる恩を受けていることがアメリカのケツ嘗めと結びついているし、そのときに金融関係者が罪に問われなかったという恩義で、経済界は小泉政権に恩を持っているし、政策の失敗を財界から追及されずに済んだということで、小泉政権は経済界に恩を持っているし、アメリカは小泉、首相官邸を仕切るというコネクションが200310月頃からできあがっただろうみたいな話をしました。

 もう一つは日本の特徴として、ヨーロッパやアメリカが「公」と「私」という二つのゲームがあって、「私」は感情のゲーム。この感情のゲームを調整するものとして、「公」という契約のゲームがあって、なぜ感情のゲームを制圧して、調整しなくてはいけないかというと昔悲劇を共有したから、だからみんなで契約し合わなくてはいけないとして、契約のゲームとしての「公」の上に国家が成り立ている。日本の場合にはそういう悲劇の共有がなく、したがって、「公」がなかったので、維新以降、「私」を整えてもらうために、簡単に言えば、感情のゲームを乗り越えるために、もっと大きな感情のゲームを持ち出した。

 それが、大きなお父さんよりも大きなお父さん、天皇を使った。感情の導引というロジックの中で、田吾作を国民化する文化が生まれた。そう考えると、もともと維新以降というのは感情のポリティクスのみでそこに契約のゲームは一切存在しなかったと言えると。

 エリート主義の話もしました。ヨーロッパには初期以降もノンプリゲーション、高貴な貢献という概念があって、日本にはない。したがって、エリートは任されることもなく、エリートの側にも責任意識がないという、そんなところを話しました。

                                     第1部終了 

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              第2部 格差と教育


       



 実際どのくらいの格差が出ているかというとですね。まず、数的なことで言えばパートの正社員比率が76.3%というふうになっていて、つまり24%がパート労働ということになります。これは年々上がってきています。今年は景気がいいということで、正社員も増加したんですけど、やはりパートの方が、伸び率が上回っていて、9.4%、昨年より伸びて、パートの割合というのが非常に上がっています。派遣の人はもっとすごくて前年に比べると25%増で493,000人。大幅に上がっていて、これは経済産業省の4月の調べになるんねけど、パート、派遣労働がどんどん増えているという状態です。派遣については、CMを見ると世の中の動きがよくわかると思うんですけども、派遣のCMがすごく増えましたよね。

 その中で、パートは全体の4分の1を占めるということになるんですけど、女性が78.1%。女性労働者の中で比較すると5人に2人はパートということになっています。丁度、昨日買ったばかりなんでけど、ダイヤモンド社が格差について特集していまして、私がしゃべるよりもこれを読んだ方が早いんですけど、総収入で比べると正規の方が一生で、2億3100万円稼ぐとすると非正規の方は6100万円。これだけ違ってきているということです。時間単価にして、正規と非正規で違うんですね。非正規の方は退職金もないし、最終的には3倍以上の差になって広がってくるということになります。

 しかも、非正規が増えたというだけでなくて、ワーキングプアという言葉はご存知でしょうか? ワーキングプアって聴いたことのある方?(数名挙手)

 まだ、ワーキングプアという言葉が広がっていないんだと思いますが、この間、NHKでも特集していましたけども、働けど働けど借金生活をしなければならないほど暮らしが維持できないで、子どもも高校、大学へ進学させられないという家庭が非常に増えてきています。生活保護世帯が今年100万世帯を超えるというような状況です。先進国30ヶ国で比較しているんですけど、日本の貧困層というのがアメリカに継いで第2位になるということで極めて格差が広がっています。その原因はいま話したように、正規の方が非正規になって、コストカットされている現状があると思います。

 非正規、正規の転換の話を若干したいんですけども、正規労働者がリストラに遭うわけですね。リストラに遭ったときに、正規という形での採用がなくて、いま企業の方は積極的に非正規を雇用するという方針になっていますので、非正規の方が正規に雇用されるというのは非常に難しくなっています。じゃ、非正規の方が正規の方に比較して労働量も内容も低いレベルをやっているかというとほとんど非正規の方は正規の方と同じ労働をしているということなんです。非正規という形で正規と同じ仕事をさせつつ、コストカットをするという現状があります。

 じゃ、正規社員にはどういう影響があるかというと、アルバイトが都合で休むとかいうケースがあるとそれを全部埋めるのが正社員ということになります。私が担当した方は、店舗に泊り込んで、全く家にも帰れず、下血をしたりとか、そういう健康面の状況も悪くなって、それでも休んでは会社に悪いという気持ちが強くて、会社に虐げられているのに、「会社に申し訳ない」というようなことをおっしゃるわけです。そういう状況なので、結局、辞めた後に労働基準監督署の方には報告しましたけど、民事の請求をその方はしなかったんですね。つまり、不当な労働に対して民事請求するということがなくて、そういう考え方しか持てないように慣らされてしまっているんです。

 企業の側から見るといまの労働者というのは非常に使いやすい。選挙もそうですが、いまの日本人というのは思考が止まってしまっているなという感じがします。思考が止まってしまっている原因は、先ほど秀嶋さんがおっしゃっていたような、疲弊しているためだと思います。それは何が原因かというと先ほどお話した労働時間、長時間労働が大きな原因の一つだと思います。ストレスだと思うんですけども、いま日本人はセックスレスが非常に多いですよね(笑)。長時間労働もその原因の一つですが、結婚する20代、30代の人が出会いの場もないし、出会う時間もない。だから、セックスもない。

この間、出版労連に行って、ホワイトカラーエグゼンプションのレクチャーをしてきたんですが、出版労連に働く女性たちは、長時間労働で子どもを生んで育てる時間もないとおっしゃっていて、それでも働いていないと会社にいられないので、そうした状況を受け入れて働くしかないとおっしゃっていました。そういった形で長時間労働というものがあるがゆえに、少子化ということも生じるでしょうし、うつ病とか過労死ということにもつながっていって、長時間労働というのはいいところはないというのが現実です。最近では企業の方でもやはり長時間労働は問題だという経営者の方も増えてきていて、労働者が健康で元気でないといい仕事ができない。職場環境を労働者のために整えるのではなく、労働者が働きやすい職場環境を整えることによって会社の成果も上がるというような考えで取り組んでいるというデータも挙がってきています。

 長時間労働を抑制すると言うのは労働者の心身を健康に保つということもありますし、家族的結合を正して、未来の子どもを育てる環境を整えるということもあります。経営側にとっても労働者が健康で元気で働けることで企業全体のモラルも上がって、効率化が図られていくということで、すべての人にとって長時間労働の問題を解決することは重要なことだと思っています。

 もう一つ付け加えておくと、子どもの中でモラルハザードが起きていると言われますが、会社の中でも、疲弊しているがゆえに、セクハラ、パワハラが非常に増えています。結局、何でそんなことが起きるかというと疲弊してくると自分が病気になってしまうか、あるいは自分にナイフを向けて死ぬか、あるいはイライラしているのを他人に向けるかという違いで、他人に向かうのがセクハラ、パワハラということになります。労働の現場でもまさに心の問題が生じていて、そうした問題も長時間労働にあると考えています。ですから、先ほどお話したホワイトカラーエグゼンプションというのが導入されれば、心身的な問題だけでなく、いままで残業代で生活していた人たちが、残業代がもらえないということになって、心だけでなく、生活面でも苦しい状況が出てくるということが言えると思います。

 パートタイムの問題については、さすがに政府の方もなんらかの対策を取らなければいけないという状況です。これだけパートタイム労働者が増えて、格差が広がっていることに規制をしなければいけないというので、今年の6月から、パートタイム労働法というのがあるんですが、改正の検討を開始しています。パートタイム労働者も一定の要件を備えれば、年金とか保険とかに加入しなくてはいけないんですが、実際のところそれがないところがほとんどないんです。それをまず実施するというのと、いま正社員の4分の3以上働かないと認められないんですが、これを2分の1にしようという動きが出ています。

 あと、正社員的なパート、擬似パートと言われる方々なんですが、やはりこれも正社員と同じような待遇にするようにという労働法の改正の動きが出ています。請負については、請負そのものがそもそも労基法の対象ではないということで、無法地帯になっています。それに伴って、大手電気メーカーの著名工場でしたか、そこで労働についての被害、問題が出てきていて、請負についても何らかの手立てをしなくてはいけない状況です。派遣法が平成
15年に緩和される形で、衆参の付帯決議で請負についても派遣の擬似派遣のような取締りを強化していくという決議がなされているんですが、それについてもなかなか進んでいない状況です。

       


秀嶋 『見えないライン』をご覧になった方はわかると思うんですけど、いま派遣法の改正の話をされましたが、継続3年以上の派遣労働者については正規雇用しなさいということが盛り込まれたわけです。しかし、正社員雇用してもらうために行動したときに、現実的にはされていないんですよ。

映画の中では紹介していませんでしたけど、されたとして、どういう形になっているかというと、ある女性の方は大手のOA機器会社に派遣で勤めていて、派遣法の改正に引っかかるということで正社員雇用になりました。それで雇用保険、健康保険などの手続きをしてもらったんですが、たとえばその時、手取りで13万とか15万とか支給されている給料があったとすると派遣のときの給料から引かれるわけです。

 つまり、形態としては正社員雇用にするんですね。厚生労働省からの指導もあるから一応正社員にするわけです。で、しといた上で「給料はいままでと同じだよ」と。正社員になるとその給料から引かれるわけですが、その分の上乗せはなくて、結果的に手取り金額が派遣のときより低くなるんです。そういうことを平然とやっているんですね。

 表向きは正社員雇用したよということなる。だから、データ上では、派遣労働法が改正された後、正規雇用された人の多くがそういう状況にあるということが出てこないんです。これだけ正社員雇用増やしましたよという数字しか出てこない。たとえば、いまの話にあった、パートの法改正にしても同じことが起きる可能性がある。企業の判断で、人件費を削減するという方針は変わっていないがゆえに、形式だけそういう形は取るけれども実体はない。これはパートで働いている人にも不安を生むわけです。保険が適用されるのはうれしいけれども、それによって収入が減るということに抵抗がある。だから権利主張しにくい。そういうことが現実にはあるということを知っておいていただきたいなと思います。

それに関連するんですが、『見えないライン』の事前取材をやったときに下町の江東区、葛飾区界隈の小中学校を訪ねたんですが、東京都内でも格差が広がっていて、小学校の生徒の5割が生活保護世帯だったり、中学校の場合は7割が生活保護世帯なわけです。

 教育の現場にいる先生たちは教育のやり様がないんですよ。みなさんご存知のように、初等中等教育の中で夢を語ることはとても大事なことだと思うんです。高校生とかなったらそうではないでしょうけど、初等中等教育では夢を語れるというのはとても大事なことだし、仲間と何かを共有していくということも、後で裏切られるにせよ、原理としては人を信じる力を与えてあげるというのはとても必要だと思うんです。そういう段階で、それができない状況がある。そうすると教師は何を伝えていけばいいのか困惑してしまうわけですよ。

 では、それはどうしてかというと、各家庭で仕事がない、仕事があったとしても派遣労働であったり、パート労働であったりするから収入が少ない。奥さんも働いていて、日々の生活に追われていますから家の中が殺伐としているわけです。そこで子どもは何をしろというのか。勉強なんかできる環境にないわけです。そこに夢や希望を語ろうと声をかけることは物凄い矛盾があります。

今年に入ってから子どもが親を殺す、親が子どもを殺すというような事件が続発していて、マスコミ報道の中では事件のことしか報道しないじゃないですか。先ほどぼくが言った、空白があるといったことの一つなんですけども、非常に次元の低いところで、タレントとか俳優という人間が事件の批評をする。「なんてひどい事件なんだ」というように歪に報道するんですね。事件の表層的な部分だけが報道されて、その事件の背景にあるものとか、背後にあるものを報道しない。そこにある格差の問題とか、経済的な貧困の問題とかが浮上しない。昨今のこうした事件には格差という問題が背景にあって、経済的な貧困の中で生まれている事件が出てきていると思うんです。10年前に宮台さんとやっていた教育シンポジウムで扱っていた問題と違うものが浮上してきているし、そのことについて考えた上で、教育の問題とか、子どもの犯罪の問題を考える時代に入ってきている。そういう視点がないと実相が見えないとぼくは思うわけです。

そこで、鈴木寛さんがいま教育の問題に踏み込んでいらっしゃいますが、いま申し上げたことは先生もご存知だと思いますが、そうした中で教育の再生とか、教育基本法の改正の問題をどういうふうに考えておられるかというのをお話ください。

            

鈴木 今日、これを(『民主党「日本国教育基本法改正案』もっと持ってくればよかったんですが、ご希望の方は
info@でメールをお送りいただければ、もれなくお送りしますので(笑)。

 まさに、いまお話のあった通りなんですが、丁度3年程前にぼくは、足立区とか葛飾区とかをかなり回りながら、いまのお話と大体同じですけど、就学援助っていう制度があって、その調査をしたんです。つまり給食代が払えないとか修学旅行代が払えないとかがあって、準要保護と要保護とがあるんです。実体だけ申し上げると足立区は47.15%。これが小泉政権になる前は35%代だったのが4年間だけで12%増えているわけです。

実は東京と地方の格差は割かし言われるんですけども、教育の世界だけで申し上げると、それ以外の格差も同じかもしれないけれど、実は都内格差の方が相当深刻なんですね。数字ばかりで申し訳ないんですけど、足立区が、就学援助が47%。足立、葛飾で40%越えるということで、千代田区とか小金井市とかは、これが5%ですよ。だから、わずか総武線とか千代田線とかに15分乗るだけで、方や5%。方や40%。こういう格差問題がすでに進んでいる。3年前くらいからこういう問題を詰めていて、今年の13日に朝日新聞と組んで、正月の記事のないときにこの問題の特集を組もうと仕込んでいたところ、あのメール問題で永田のバカが戦略に嵌ってしまって、頓挫して、残念な思いをしたんです(笑)。 

その中でも言おうとしていたことですが、格差の世代間連鎖ということがもう起こってきています。もう一つは、民主党の教育基本法案で「何人も学習権を保有する」と書いていたんですけど、それはどうしてかというといま現在、東京都内で新婚生活を送る10%がどちらかが日本人ではないという現実があります。ということは、足立区とか葛飾区に行くとPTA便りが読めない家が10%あるということなんです。

さらに、足立区ばっかり出して申し訳ないんですけど、足立区の4割の家庭が朝・毎・読という一般新聞を取っていません。取っているのは6割だけです。3割が全く何もとっていないんですけど、1割は聖教新聞と赤旗のみを読んでいる、それしか読んでいない家庭もしくは子どもが1割いるということです。こういう状況に実はなっていて、1月くらいからいろんなマスコミの人と組んで、キャンペーンを始めたんです。

自民党小泉政権が取ってきた戦略が二つあるんですが、一つは格差問題をグチャグチャにするという戦略ですね。勿論、どの国にも結果の平等と機会の平等、どちらを選択するのかという議論があるし、政権交代の意味というのは結果の平等と機会の平等をアジャストしながらやっていくということでもあるのですが、教育の格差というのは機会の平等すら奪われている問題であって、このことを容認している先進国の政党は自由民主党だけなんです。

 ここのことろが重要なんですよ。ぼくが予算委員会で聞くと、自民党の連中は何の反論もできないです。それを結果の平等とか再チャレンジとか言って、要するに話をグチャグチャにして、その場をごまかす。小泉に至っては、「いや日本は中国に比べたら格差が少ない」とわけのわからないロジックを出して、さすがにそのときは委員の連中にどういうレクチャーをしているんだと言いましたが、それをマスメディアが整理のないままに報道する。要するに機会の不平等ということにおいては民主主義国では右も左もないわけです。それすら彼らは隠蔽しようとしている。それが一つです。

 二つ目は、就学援助を貰っている家庭の中に、確かに数パーセント、たとえば50%いたら、不正取得している人が23%います。しかし、残りの方は本当に厳しい状況にあるのです。しかし、2月の後半とか3月くらいからテレビに出ているワイドショーのコメンテーターはそのことばっかり言うんですね。こんなに数字が上がっているのは不正取得が増えているからだというんですね。文部科学省の連中も、申請の仕方が大雑把だからとか言うんですね。そういうわけのわからないことで格差の問題を隠蔽しようという状況があるということなんです。

 これにどれくらい切り込んでいるのかということが重要な問題だと思います。幸か不幸か、1年前くらいからナベツネと小泉が靖国問題でおかしくなってきたことから、朝日・毎日はこれまでも共同路線をとっていたんですけど、ナベツネと小泉がバラけたことによって、読売もこの問題でのサポートを得られるようになってきいます。メディアというのは本当に重要であるということをご理解いただきたいといことと結果の不平等というのは、機会の不平等につなががるということを議論したいなという思いがあります。

 それと少し話が飛ぶんですけど、ホワイトカラーエグゼンプションの話をされましたが、いま最も長時間労働しているのはどういう職種かというと勤務医なんですね。小児科とか。私は教育を6割、医療を3割くらいやっているのですが、なぜ日本の医療政策は歪んでいるかというと、日本開業医会というのが医師の代弁者としてあるのですが、開業医ではない、勤務医はほとんど地方公務員か国家公務員なんで自分たちの権利主張ができない。国立の大学病院の勤務医は国家公務員ですし、県立のがんセンターの勤務医は地方公務員なんです。守秘義務とか政治的発言の禁止とかあるので、彼らは口を閉ざしているわけです。表向き彼らの状況を彼らが述べることができません。しかも、医者には労働組合がないので、全く現場で何が起こっているのかをオフィシャルに政策形成過程に乗っけることができないわけです。

そのため25万人の医師の内の半分しかいない開業医の特権が擁護されて、勤務医は擁護されないという状況があるわけです。小児科医というのは36時間連続労働というのが普通です。さらに2月には福島県のある病院で、一人で小児科をやらされていた医師が、勿論全力を尽くしたけれども、医師が二人いなかったので病状の説明に行けない、応援部隊を呼ぶわけにもいかないということで、妊娠していた患者さんが亡くなってしまったんですね。

 紀子さまの妊娠の症状と同じだったので、紀子さまの出産とのとき、やたらマスコミが話題にしたのは
2月の事故があったからなんです。当然、病院及びその医師については民事責任については120%負うべきだということはやっているんですけども、突然、その医師が業務上過失致死で告訴されたんですね。過重労働の果てに、個人の責任にされてしまった。それが彼らの厳しい状況です。

 それとたとえば、東京大学医学部を卒業して、35歳で国立がんセンターに勤めている人の給料が17万円。しかも、彼らはまだ正規雇用になっていないんです。国家公務員にすらなっていないという状況が放置されています。そういう状況を見ると、そういう長時間労働に喘ぐ人たちは、そろそろストライキやった方がいいんじゃないかと、ゼネストを。

 ドイツは、日本よりかなり待遇がいい。しかし、そのドイツですら医者がストライキをやったんですね。イギリスでは、イギリスの金持ちはパリへ行き、イギリスの優秀な医者もパリに行き、イギリス人がイギリスの医者にパリで診てもらうという現象が起こったために、ブレア政権は医療政策を見直すということになったんですけども、日本では、自分の正等な権利が脅かされている場合にそれに対してどうしたらいいかということのリテラシーがあまりにも低過ぎる。

 東大医学部を出た人たちだって、正当な権利をほとんど知らない。それで考えてみたところ、結論がわかりました。彼らは中3の公民意識しかないんですよ(笑)。東大医学部を卒業した国立がんセンターの医者にしても。なぜなら、高校で理科系のことばかりしか勉強していないんです。数学とか物理は異常にできるんですけど、社会とかは基本的に手を抜いて、暗記力は高いので地理とかは得意なんですね(笑)。人体図を覚えるのとかは同じ思考回路ですから。一方で公民の知識とかはほとんどない。

 本当に日本の医療は崩壊しているし、教員の世界も、確かに教員の不祥事はあるんだけれども、それも100万人の中の数パーセントで、いまの教員の世界で起こっていることは、まさに教師の不登校。だから、ノイローゼになってしまったり、それこそ自殺をしてしまったりという状況で、これも結論は出ていて、要は予算の使い方の問題なんですよ。

日本の公共事業への支出が対GDP比率で4.6%です。初中等教育に2.7。高等教育に0.4です。あのアメリカとて、公共事業は2.8。初中等教育って3.8です。高等教育は1.2ですよ。だから、非常に簡単で、日本も公共事業を2%減らして、初中等教育に1%、高等教育に1%というように資源配分をするということが、まさに政権交代の意味で、それをやることによって少なくともぼくの言っているソーシャルヒューマンサービスということができます。この手のことも私はパネルまでつくって、国会でいろいろやっております。生中継を見ていただいた方は、非常によくわかったと。この間、横浜で鳶をやっている方がそれを見て、ぜひ個人献金をしたいと(爆笑)。私は本当に感動したんです。しかし、当日の夕刊とか、次の日の朝刊とか、その日のテレビとかニュースには私のところは一切でない。

 あまりにもひどいメディア操作、あるいは政治を含めた操作に対して、本当にこれをどうしていくかなということもやっていかなくてはいけない。どこにどう問題があって何をしたらいいかという、リアルポリティのところはもうわかっていますから。しかし、それが一向にできない。いまや自民党に3分の2を取られてしまっている状況下でどうやって権力基盤を変えていくかというのは、政権交代のことだけじゃなくて、たとえば36時間も働かされている医師とか、ほとんど終電で帰るしかない東京のサラリーマンとか、虐げられている人たちにどういうふうに目覚めていただいて、そこに新しい連帯をつくっていって、きちんとソーシャルパワーを発揮して、いまのおかしな制度を変えていくかという、今日はまさにそのMOVEということなので、基礎プログラムを誰がどう担って、どうやっていくかという落とし込みをしたいなということを思いながらやっております。

 もう一つ付け加えると高等教育。これも親の脛かじって大学行かなきゃいけないというのは日本と韓国だけなんです。高等教育費を自腹というのは日本では60%です。あのアメリカとて、33%。まして、フランスは10.3。ドイツは8.7。フィンランドは3.5。デンマークは2.4。スウェーデンは0です。

 何でこんなことになっているかというと、国際人権規約第
132項のCというのがあって、そこに「高等教育は漸進的に無償化にしなければならない」というのがあるんです。国連に入っているようなまともな国は、この国際人権規約を守る、批准するんですけど、日本はそこを留保しているんです。留保している国は、なんとルアンダと日本とマダガスカル、この3国だけなんです(爆笑)。

 これを国会で
5回ぐらい言ったんです。最初に国会に行った、一番最初の質問でこれをやり、去年の予算委員会に小泉とやったときもやったんです。ちゃんと放映されたんです。しかし、メディアは全く取り上げない。結局、スウェーデンにしてもどこにしても、「無償化が人権なんだ」という認識があって、そこに向かって一生懸命、20年、30年がんばった結果、さっき言った10%とかいう数字になっている。日本はこういうところをルアンダ、マダガスカルと同じように対応していない。しかも2006年の6月に国連から勧告されています。その返事の期限が2006630日だったんですよ。これも私は5回国会で述べています。でも、そこでぼくがした質問の記事を読んだ人は一人もいない。なぜなら、報道していないからです。これがメディアの状況だということです。「民主党、何やってるんだ」とよく言われるんですけど、確かにご叱責はいっぱい受けるけど、少なくともぼくは宮台さんからいろんなこと教えてもらったりして、私個人はそこそこがんばっているつもりなんですけど(爆笑)、私のようなものはメディアから全く注目されず、テレビにしょっちゅう出ているような議員しか注目されないんです(爆笑)。

 あと、なんで永田の問題が起こったかというと去年の911日の選挙がすべてなんです。東京は25の選挙区があります。民主党は1勝24敗で、勝ったのは菅さんだけです。で、6名の人間が比例復活しました。この6名に共通することは何だと思いますか? 非常に簡単です。地元を回って、後援会組織を持っている議員も惨敗をしました。そこそこ政策面で実績のある議員も箸にも棒にもかからない。いままでの政治の常識から言えば、こうした議員が比例でも引っかからないというのはありえません。一方で6人は復活しました。この6人に共通していたのは、「TVタックル」に出ていたということなんです。これがすべてです、日本の政治の。

選挙後、3ヶ月ほどいろいろ分析をしました。結局、3時間以上テレビを見ていた人の75%は自民党に入れ、それ以外の45%の人は民主党です。この間の選挙でさえ、民主党支持が多いです。そこがすべてなんです。注釈をつけると日曜日のサンデープロジェクト、報道2001、NHK、テレ朝の番組に出ても支持率は変わりません。だから、あの番組に出てもあまり意味がありあません(笑)。なぜなら、大体支持政党が決まっていて、かなりリテラシーのある人たちが見ているので、あれに出ることは票にはつながりません。一方で、TVタックルとかワイドショーに出ることが重要で、でも、登場する政治家は委員会をサボって出ているわけです(笑)。そうした議員は党の申し送りがありますから役職につけないんですが、選挙では圧勝するんです。そうすると、鈴木寛のようにまじめに政治をやっていて(笑)、年に1回か2回、NHKに出る程度で、TVタックルに出てもつまらないことしか言わない政治家はお呼びがかからない。それで、委員会サボってテレビに出ているような連中が圧勝する。どっちを選ぶかということになるんですね。

 私は、非常に健在な団体に支持をいただいているので、こうしてまじめに政治活動に専念できるのですが、衆議院で、若手で知名度があるかないかわからない人間にとってみれば、すべてのことはTVタックルに出るかどうか、それには色物を掴むしかないんです。

 そういう中で、永田にあの情報を掴ませたのはCIAです。CIAが3名から5名の民主党のそういう支持率に飢えているハングリーな、しかも脇の甘い、カウンターインテリジェンスについてにリテラシーが少ない人間をリストアップして、そこに餌を持っていったところを食いついて、あのような事態になったというのが事実です。ぼくに言わせれば、あれで民主党も少し目が覚めたので、大きな授業料を払ったかもしれないけど、少しはまともな方向に来ているかなと思います。しかし、一方でその中で進んでいる安倍晋三の党略を見ているとさらにさらに心配というか、背中がぞっとするような状態だと思います。

秀嶋 ちょっと整理しますけど、一つは人権の話なんですよ。たとえば、教育がきちっと受けられるか受けられないという問題に関しては人権の問題からんでくるし、労働者がきちっとした働きができる。要するに過重労働じゃなくても生きられるということが重要で、その人たちの人権をどう考えるかという仕組みが社会の中に共有されていないということが一つあると思います。もう一つはいま寛さんが言った、基本的に心情を背景としたものが正義として通ってしまうといことの要因はどこにあるかというとマスコミなんですよ。リテラシーができてないがゆえに、出てきたものが心情的でわかりやすいものであれば、飛びついてしまう。それがどういうところから発せられているかの分析する能力が足りない。

 この間も全国人権啓発セミナーで、今日来られている生駒先生と一緒にシンポをやりましたが、そのときにも話したことですが、テレビで「渡る世間は鬼ばかり」を観ているようなおばさんばっかりが投票するわけですよ。あれを観ている人は自公民支持者が圧倒的に多いし、そのままスルッと選挙に持っていかれるわけです。身近な家庭の問題だけを考えているような人たちがマニュフェストなんて言われてもわからない。民主党の戦略に問題もありますが、まどろっこしいことを言われてもわからないというのがあって、結局自公支持というのはおばさんたちが支持しているわけじゃないですか。それがどういうところで動くかというとマスコミの戦略で動いてしまうわけですよ。

            

宮台
 ちょっといいですか。もう少し話を深めた方がいいと思って。ぼくは、そう幸先は暗くないと思っているわけですよ。鈴木寛さんがいう政権交代は絶対必要なんですね。しかしながら、メディアがそれを阻んでいるわけです。しかし、これはメディアが阻んでもシステムが完璧ではないので、どこかで歪が溜まってきて、結果的にはそれがポキッと折れたりするので、いずれは、政権は交代すると思うんです。要は、それが早いか遅いかドラステックかどうかの違いだけだと思うんですね。

 いま、秀嶋さんが人権の話をされました。で、なぜ、人権の概念が日本に浸透していないかと言うと、大学生に聴くと結構、「誰が守るものなんですか?」という質問があるんですね。

 76%が、国民が守るものだと答えているんです。みなさんわかりますよね。憲法を守るのは誰ですか? 国民は守らなくていいんですよ。みなさんが赤旗を読んでいることを理由にして、共産党のシンパと結婚したとして思想信条には反しないんですよ。そんなことは当たり前なんです。みなさん、男女差別的な発言をしても、男女平等規定に反するということはないんです。なぜなら、国民は憲法に違反できないからなんです。憲法に違反できるのは統治権力だけ。

初歩的な話を横におきますと、最大の問題は利権とコネクションの問題なんです。たとえば、労働問題についてテレビがなぜ真実を報じようとしないかというと派遣法の恩恵を最も受けているのはテレビなんです。もともと派遣労働というのは分配屋というヤクザがやっている仕事で、正規の人間がやっている仕事は限られていたんですが、それがどんどん拡張してきた歴史が過去6年くらいあるんですね。その結果、職種も広がったし、派遣労働の雇用期間も長くシフトしてきたということがあるんです。これには、テレビが恩恵を被ってきているでしょ。だから、テレビが批判するわけがないんです。

さっき言ったように、2003年のある種のイベントで、財界とアメリカと現政権の間に非常に強いコネクションできてしまったので、彼らはお互いが不利になるようなことを絶対にしないということが起こっているわけです。さらに、再配分は重要だ、再配分のためのコーポラティズムは擁護されるべきだというふうに言いました。ところが、日本の不透明な経世会的なコーポラティズム、つまり、談合的再配分主義は一つ重要な問題があった。経済効率が悪い。つまり、経済効率が悪いところにお金を回してしまう。あるいは利益効率の悪い産業に回してしまうという欠点があった。なので、それは不合理だ。経済的に不合理だというふうになっていったんですね。

 同じ再配分でも、わかりやすく言えば、経済効率のいい産業、あるいは将来性のある産業にお金と人が回るようにしなくてはいけない。そのためには、従来型の権威コネクションを取り崩して、別のところに再配分をしなくてはいけないわけですね。なぜ、アメリカやヨーロッパはそういう振る舞いができるのかというと政権が交代するからです。政権が交代しないと恩義のコネクションとか権益のコネクションとかを崩すことができない。逆に言えば、政権交代があれば、新しく政権を担おうとするところが、既存の産業の経済効率が悪いにもかかわらず、そこと結びついている政党に対して、新しい力のある、可能性を持つところをコネクションして選挙で勝てば、そちらに権益を配分してコネクションを断ち切ることができる。しかし、それが今度同じように既得権益になったら、それをまた別のところに置くという政権力学を機能させればいい。つまり、常にコネクションを刷新するための政権交代がどうしても必要です。それはメディアも同じです。

メディアも実は政権党が長いと政権党のコネクションの中で停滞していくということがある。それが、政権交代があれば、たとえ民主党が政策的にどんなに稚拙なであったとしても、自動的に権益コネクションを切ることができる。それは新進党細川政権、細川さんという無能な人が総理大臣になるだけで、権益コネクションが切れたということを見てもそれはわかる。だから、どんなに民主党に能力がなくてもそれができる理由はあるんです。まず、そういうことを我々は理解しなくてはいけない。

 民主党には能力のある鈴木寛さんのような方もいらっしゃいます。でも、能力のない方も非常に多い。自民党も同じ。能力はなくても人気さえあればいいという人がどんどん増えているのは事実なんですね。しかし、幸いなことに、経世会政治のときに比べても政策論議をしなくなっているし、経世会を潰すということを最大の目標にした小泉さんは、何をやろうとしたかというとすべて首相官邸に権益が集中しただけなんですよ。その結果、政策はどうあれ、首相官邸、安倍さんなら安倍さんの顔色を伺わないと金を落としにやってこないので、本当は内心、安倍さんの政策に全然賛成していなくても生き延びるために、その人に付くしかないという状態なんです。

 しかし、これは政策のスクリーニング、政策の淘汰が行われないので稚拙な政策ばかりが実現されるようになります。必ず、社会に歪が生じて抑うつ的な感情が高まって、さらにはメディアも操縦できないところまで必ず高まるんです。サーモスタットに喩えれば、メディアがその数値を高いところに引き上げているだけ。しかし、いずれ、それよりも高くなってサーモスタットが作動します。なので、そんなに心配しなくてもいい。

そういう意味で言うと、むしろ小泉、安倍さんにはやりたい放題にさせて、早く数値が高まるようにした方が革命の日は近いかもしれない。あるいは、「ゼネストよ、もう一度」という鈴木寛さんの願望が実現する可能性があるのかもしれません。その意味で言えば、今回、福田康夫さんが候補にならなかったということは物凄くいいことだと思うんです。ぼくのコネクションを通じて、なんとか福田さんに出ないように、安倍さんになるようにぼくも一生懸命がんばったんです。福田さんのように頭のいい、コネクションの多い賢明な方が出てくると悪いものがどんどん延命してしまうんですよ。安倍さんが候補になるというのは今考えられる限り、最高のことです。悪いことではないです(笑)。

秀嶋 いや、確かにね。福田になられたらやばいという話は先生とやりました。安倍になったお蔭で、先生が言うように、サーモスタットが感知して政権交代が起こればなんとかなるかもしれないけど、現実に政権交代したときにどういう形になるかというとちょっと疑問があるんですよ。いま日本の経済基盤はどこが担っているかというと自動車、IT関連家電、鉄鋼、造船。ま、中国の北京オリンピック需要が終わってしまえば、造船、鉄鋼は終わっちゃいますよね。上海の博覧会があるからもう少し、生き延びるにしてもですよ。それ以外はほとんどダメで、地方経済も破綻している。そういうところを政権交代の中で変えるようなことができるかどうかに関して、ぼくは非常に疑問を感じているわけです。

たとえば、いまマスコミが情報操作して、さっき話した「渡る世間」みたいな軽薄なドラマや報道をしている背景にいろいろな問題があるわけだけれど、たとえば、そのスポンサーっていうのはトヨタなら、トヨタが全局のスポンサーなわけですよ。それに支えられているわけです。たとえば、圷さんは知っていると思うんだけど、トヨタの場合、年間40人くらいが自殺しているんですよ。これは一部上場企業としてあり得ない。一兆何億という黒字を出している会社が人の命と引き換えに収益を上げて、それがマスコミ報道を支えているという現実を、そういう構造式が政権交代で簡単に変わるとはとても思えない。その辺どうですか? 民主党じゃ変えられないと思うんですけど(笑)。

            

鈴木 アクシデンタルでもなんでもいいから、政権が変わるということが大事だと思うんですよ。民主と自由が一緒になって、野合じゃないかと言われたときに政策協定を3つ結ぼうと言ったんですね。それは何かというと公共事業受注企業からの政治献金の完全禁止。これはご存知のようにゼネコンから受注額の5%を関わった政治家に献金するという状況があります。それを完全に断ち切る。それから天下り禁止。政官業だから、政・官のところはポリティカルアポインティです、徹底した。官と業のところは天下りです。業と政のところは、いま申し上げた公共事業受注企業と政治献金の禁止です。この3つの法案だけを通せば、利権コネクションは相当な程度で断ち切ることができるということでありますので、それをやるだけでかなり状況は変わってくるということが一つ。

 あと、一つ。極めて重要な問題は、一票の格差です。私が東京で76万票取っているときに、某島根県では10何万票で上がってくるわけです。で、その人は、臓器移植法もぼくと同じ一票。先進国で一票の格差が2倍を越えて暴動が起こらないのは日本だけなんですよ。この基本的なことすら、骨抜きにされてしまったというか、戦後の民主主義教育の欠落によって、人権意識と共に、最も基本的な人権がないがしろにされているわけです。

 いま言った
3つのことに加えて、完全な定数是正です。今度、東京選挙区が定員5になります。いままで5対1だったものが、4対1になったから是正されるという虚構の中で、メディアはこれ以上問題を突かない。これも最高裁で、「違憲の疑いがある」というわけのわからない判決を出している。次、5対1でそのまま選挙やったら違憲判決出すよというので、5対1を4対1に変えるということになったんだけど、無効判決を出せばいいんですよ。違憲判決じゃなくて。つまり、違憲無効判決。そうすると全部の選挙をやり直さざるえなくなるんですよ。

 とにかく、アクシデントでも何でもいいから、権力構造に勝つ。ぼくは一回実験をやりました。それはプロ野球、2リーグ12球団維持のストライキです。私は古田裕也の友人でして、あの戦略は全部私が考えたもので、本気であのデモに参加していた人は200人なんです。200人の内、近鉄ファンとかは40人くらいしかいなかったんですが、阪神ファンはえらい。残りの160人の阪神ファンはちゃんと大阪から来て、日比谷公会堂に集まってやりました。実はその前と後をやっていたのはNTT労組ですよ。

 メインストリートのところの道路使用許可を取って、それは警視総監が年に
1回出すか出さないかというようなものなんですが、連合と連絡をとって、一番最初のところは私たちの仲間の学生を集めました。完全にメディアジャックをすることによってあの闘争に勝利したんです。そういうふうにゲリラ戦を一戦一戦勝利していくことによって変わると思います。だから、スポーツとか大衆文化とか、コマーシャリズムを越えたところの社会的連帯で、どういうふうに組み立てていくかということがとても重要だと思う。この観点から言って、非常に懸念しているのは、小林よしのぶ。

 みなさんご存知だと思うけど、靖国問題とかで首相官邸は物凄い調査をやってるんですね。なぜ、行くか。なぜ、あそこまで行くのかというと、非常に明快で、40歳以上の人における自民党のダーティイメージというのは払拭できない。しかし、20代になりますと自民党はきれいな政党だと錯覚している奴らがいて、かっこいい政党と錯覚している人たちがいる。小泉さんが5年やってましたから、15歳の人が20歳になっているわけですよ。まだ支持政党が確立していない票を自民党支持として、ぎしっと固めてしまわんがために、中国になんと言われようと靖国参拝をやるということをやっているんですね。そういう意味で、漫画とか映画とか音楽とか、実はバカにしちゃいけない。ぼくはそこが鍵を握っているのではないかと思うんですね。

        

宮台 それをぼくたちがなかなか理解できない理由は、小泉さんが自民党ぶっ壊すと過去5・6年続けて言ってきたせいで、本当に既得権益を壊す人だと思う人が多いということなんだよ。確かに、2003年まではそういう色彩があったんですけど、実際、小泉さんがやったことは、旧経世会と結びついた利権は壊す。しかし、もともと彼の所属している清和会のバックグラウンドであるところの大蔵利権、あるいは金融利権はもっと分厚い方向へ手当てしているんですよ。なので、既得権益をぶっ壊しているのではなくて、経世会に結びついている利権だけを壊して、清和会利権はどんどん太ってきているということがあるんですよね。

 あと、もう一つ重要なことは、さっきの派遣労働を含めた非正規雇用が増えて、たとえば年金とか保険とか社会保障とかの再配分を十分受けない人たちが増えてくるとどういうことが起こるかというと、消費支出が減りますよね。そうすると消費のどこに支出するのかというのは、実は投票なんです。消費支出が増えれば、既得権益に守られた産業ではなく、新しい産業構造の研鑽の引き金を引くとかができるんです。しかし、広い層から消費支出を減らすことによって既得権益に守られた産業は残るんです。これがまず非常に重要なことですね。

もう一つは鈴木寛さんが活動してらっしゃる教育の場面もそうで、組織がアメリカンな方向へ変わっているので、寄らば大樹の陰的な志向がどんどん増えているわけです。わかりやすく言えば体制迎合的、昔のようなストとか反抗とかデモとか反戦とかに行かないタイプの人間たちがむしろ教育によって量産されている。秩序志向の人間たちが益々量産されている。これも従来型の秩序にコミットしようという人ばかりを増やして、いままでにない新しいものを創ろうという方向性をむしろ減らす方向へ機能するということがあるんです。

要は消費というマーケットでも、教育のマーケット、人材教育のマーケットとも言っていいんですが、そこでも清和会的既得権益にとって非常に好都合なネットワークができて、残るという方向で手が打たれてきている。だから、全体像としては、そういうことがあるので、実は私たちは、さっきお金の話をしましたが、消費に使える時間が大事で、36時間連続労働というお話が出ましたが、フランスは週36時間労働制、ドイツは35時間です。すごいです。こういう状況になれば、我々は余った時間を消費、あるいはコミュニケーションに関わる時間にすることができ、結果、その時間をどこに使うかという投票行為ができて、社会構造の変革に結びつけることができるんですね。

 実は、そういうビッグピクチャーを描いている人がいます。日本にはいません、ほとんど。ところがアメリカはえらい。アメリカはダブルスタンダードです。国内においては日本に対するのとは逆で、労働者の権利を守る方向で進んでいます。しかし、日本に対してはひどい状況が広がるように一生懸命手を入れています。アメリカというのはいい国なんです。ダブルスタンダードでアメリカの家庭を守り、アメリカの国を守るためには、日本はどうなってもよく、焼畑農業みたいなもので、跡にペンペン草も生えないくらいむしり取ろうという考えだと思いますね。

これもいずれ話した方がいいと思うんですけど、ぼくや鈴木寛さんの世代より少し下くらいの人たちからポリティクな活動やディスカッションはかっこ悪いというメンタリィが増えています。本当にいけてる奴はアメリカに留学してネットワークをつくり、ステータスを上げて、社会的成功をする。その結果、日本でもどこでも生活できるようにする。その方向に一挙に向かっています。開成、麻布の生徒の人生の成功モデルが東大法学部から大蔵官僚というのではないということですね。でも、そうできない奴、いけいてない奴は寄らば大樹の陰へ向かうというようなことも顕著に見えています。これも実は、能力のある人間が政治的なコミュニケーションに出てきてくれないことにもなってつながっているんです。

          

 一つよろしいですか。法曹界でも全く同じ現象が起きていて、昔は私のように日本労働弁護団とか、人権をやるっていうことが弁護士の業務であり、むしろ誇りであったんです。青年法律家協会という人権について考える団体があるんですが、いまはその団体に入るのは危険だとか、いけてないとかダサいとか(笑)。私は入っていなかったんですが、私は組織の中に入るのが嫌いなので、協会には入らないで一緒に勉強会とかやっていたんですが、クラスで協会に入っている人が昔は
2分の1、もっといたくらいだったのが、いまは一人二人くらいに見事にいなくなっています。

 私たちで、いけてると言われるのが大学で言えば東大で、弁護士で言えば渉外弁護士。六本木ヒルズに入るようなアメリカに留学した弁護士がいけてる弁護士ということで、クラスの内の
5分の1くらいは渉外系になっていて、人権をやるとか労働者の権利を守るなんていうのは、ほんとに少ないんですね。私がこういうふうになったのは政治的になにか概念があってというのではなくて、困った人たちを何とかしたいという気持ちがあるだけだったんですが、一時は、アカだというレッテルが貼られて(爆笑)。「労働弁護士っていうのはアカじゃない? 大丈夫なの?」とか言われたりしたんですね。私のキャラクターもわかってくれて、労働弁護士ってこういうことなんだよって徐々に広げていって、理解してくれるようにはなったんです。

 いま法曹界がそういう状況で、ロースクールでいま弁護士を
3000人にしようという勢いですよね。それで増やしたいのは、経済側は結局、ビジネスロイヤー。ビジネスロイヤーですから企業家を守る弁護士ばかりが増えて、市民を守る弁護士はごくごく限られた存在になっていると思います。真剣に語り合うことがバカバカしい、ダサいという空気があると思います。

鈴木 そこのところは重要なところで、ぼくは実はロースクールの設立に携わったんですけど、ぼく自身の専攻は労働法なんですよ。ロースクールになりますと労働弁護士のことを労弁というんですけど、労弁の育成をするロースクールはいまのところ一つもないと思ってください。圷さんくらいが日本最後の労弁になっちゃうかもしれない(笑)。これは真剣に連合の会長に言ったことがあるんですけど、東京第2弁護士会が一つロールスクールをつくったんですね。大宮でね。ぼくは、少なくとも日本に一つは労弁を育成するロースクールがないと大変なことになってしまうという危機感を持っていて、そこは労働界とか連合とかがやらなくてはいけなくて、ロースクール一つつくれない連合だったらもういらない。そういうことを真剣に考えていかないといけないんですね。東大は逆に知財弁護士を養成するというプログラムが着々と進んでいて、具体的なプログラムとして労弁とか人権派弁護士をどうやって養成していくのかが重要なんですね。

 自分の出身高校とか大学の付属高校で弁護士はどういう仕事かというのを話す機会があって、私は労弁とは何かみたいなお話をすると「ああ、そういういい仕事があるんだ」とみんな納得してくれるんですよ。たぶん、ホワイトカラーエグゼンプションとかも直接、個人個人にレクチャーしていくと「ああ、それはおかしい」というのが伝わると思うんですけど、いま全部マスメディアに握られてしまっているので伝わっていかない。ホワイトカラーエグゼンプションの8.1集会のこともおっしゃっていましたけど、なんかこじんまりした、おじさんたちが小さくなんかやってるよみたいな雰囲気がすごくあって、少しでも普通の感覚を持った人が普通の感覚で、「それはおかしい」という声を少しずつ広げていかなくてはと思っています。

       

秀嶋 そろそろ時間なんですが、さっき鈴木寛さんがおっしゃったことにぼくは共感したんですが、今日のお話でいろいろ問題が出ましたけど、総論的な意見も出たし、個別のところから意見も出たんだけど、整理すると一つは人権の問題をちゃんと考えなきゃいけないということと、同時にどういう社会構造をつくるかということを考えなきゃいけないということと。また、アメリカンスタンダードを押し付けられていることへの何らかのアンチテーゼがなければならいということだと思うんだけど、基本的にどうやってそれに立ち向かっていくかというときに、たとえば、マスコミとかメディアの問題が大きくて、ぼくも映画に関わり合っている人間なので思うのですが、どうしても大資本の力の中でできないこと、通らないことが沢山あって、そういう壁を始終経験しています。

 結局、消費というものがあり、マーケットというものがある限りはそこに金の力関係があったり、立場の関係があったりとかするので、なかなか物事が解決していかないということが沢山あるんです。そういう中でかなり無理をしていて、危険な監督なのに徳島県の人が使ってくれていることにとても感謝しているんですが(笑)、そういう中でやることがあるとすれば、鈴木寛さんが言ったみたいに、ゲリラ的にとおっしゃったけれど、できるところで、できる仕組みを試していくということがとても大事だろうと思うんですね。

社会を総体的に変えていくというのは、さっきの政権交代も究極の目標だけど、ぼくは政権交代で本当に変わるのかという茶々を入れましたけど、官僚機構の体制を変えていくとか、利権を変えていく、自民党税調から税の決定権を奪還するというためには政権交代は必要だと思っている人間ですから、それはやらなくはならない。しかし、それだけで物事がすべて解決していくわけではなく、政権交代した後でもいろいろな問題が禍根を残すし、民主党自体が一枚岩でない以上、問題は起こると思っているわけです。そのときに、冒頭でMOVEの説明をさせてもらいましたが、実は次の政権交代をもう一回やりたいんです。つまり、民主党に政権が変わった後で、いろいろな問題も出るし、自民党も問題が起こるだろう。その中で次の政権交代、政界再編をやって欲しいといのがあるんですね。

でも、そこまで行くにはとても時間がかかるし、いま現実に厳しいところにいる労働者だとか、派遣の人だとか、たとえば、私たち自営業者や零細企業の人たちが疲弊している。その辛いところを生きている人たちが、そこまで生き延びられればいいけど、生き延びられないわけだから、いますぐできることは、政治的にもすぐにできないんだったら、個々人のレベルとか、そういう力のある人が、つまり、さっき宮台さんが言ったようなコミュニケーション能力の高い人たちが組織して、少しずつでも社会を変える方向へ展開していくことがとても大事だと思っているんですね。今回の集まりもその中の一つとして、みなさんにご協力いただいて、カンパ形式で集まってもらったんです。

8.1集会でも東京管理職ユニオンと東京ユニオンががんばっていましたが、さっき連合の問題も出たけど、連合に対してぼくは「お前ら何やっとんじゃ」というのがあったんですよ。格差問題やりますよと言いながら、当時まだ、連合は深く関与していなかったから。だから、現実的には対応し切れないところを市民的な、草の根的なところで何か変えていかないと、動いていかないと実効的な行為になっていかないんじゃないかなと思うんですよ。そうしないといま目の前にある自分の問題を解決できないし、いま目の前で苦しむ人を支援でできない。

今日は難しい話しもわかりやすい話もいろいろあったかもしれませんけど、こういうふうな集まりを少しずつでも継続してやっていく中で、最終的には大きな会もやりますけど、この集まりを大事にしていきたいなと個人的に思っていて、今後もご協力をいただければすごくありがたいと思います。最後に一言ずつ言い足りなかったこととかあればお話ください。

          

鈴木
 やっぱり支援をどういうふうにつくるかということが大事だと思うんです。基本に変えるということが大事だと思うんだけど、コミュニティスクールという構想を慶応にいたときに発表していて、これは教育を変えたいということもあるんだけど、社会構造を変えたいということに比重があったんですね。

 学校の放課後、週末を使った「地域子ども推進事業」というのがあって、来年2万ヵ所で
150万人ずつやろうとしています。その予算化をすることで合議ができそうなんですよ。学校は全国に3万校あります。その内、2万校で学校の施設を使いながら市民たちがNPOとかをつくって、自立的に地域の子どもたちを体験学習でもいいし、お年寄りとのふれあいでもいいし、そういうコミュニティを教育というテーマで人為的につくり出す。こういうスキームをつくりました。

 2万のNPOができて、土曜日を使う、放課後を使う、次は総合学習という形でやって、最終的には学校理事会という形になって、公立学校を自分たちのNPO、学校理事会がガバナンスとしての役割を持つということがいま制度的にできるようになったんですね。すでに
100校の学校が学校理事会をつくています。

 ある小学校は10名くらいの学校で、理事会の構成メンバーが地域住民、保護者、そして学校関係者、教育の専門家なんですけど、その後ろに100名くらいのそれを支える地域住民とコミュニティがあります。あるいは三鷹のある小学校に行くと職員室の横にNPO法人があって、そこに200名のボランティアが登録をしている。杉並区の小学校でも同じような取り組みをしているところがあります。

 そういうところに参加をするようになるとものを考えるようになるんです。小学校とか中学校を動かすためにはどうしたらいいのかという、まさにソーシャルリテラシー、ぼくの言うところのソーシャルプロデュース能力が圧倒的に身に付くんですね。いま
100校ですが、この5年くらいに2万校できていることになれば、一つの学校に保護者が300世帯あったとするとその中でがんばる人が30世帯だったとして、その人たちが市民の核となっていけばそれでいいと思う。そうして生まれたコミュニティが、あとはテーマを変えていけばいいわけで、この国を利益配分ピラミッド構造から社会学習共同体ネットワーク構造に変えていくという文脈の中で、コミュニティスクール構想、地域子ども推進事業が動いているということをお伝えしたいと思います。

 あと一つは、革命はスクールとメディアだと思っているので、メディアの問題ですね。マスメディア、テレビメディアも大事ですが、ぼくはインターネットを使いながらどのような革命のためのメディアをつくるかということを考えていきたし、ここにおられる方はそういうことがお得意そうな方がいらっしゃるので、引き続き取り組んでいただきたいなというのが要望です。

 私は6年、弁護士をしてきましたが、弁護士をしているうちにいろいろな暗い部分、自分が正当なことを言ったとしてもそれが通ることがいかに難しいかということを痛いほど学びました。お金を持っている持っていないが物凄いパワーの違いにつながっているということも身に染みて感じたんですが、ポリシーは絶対に諦めないということで、とにかく、これだけは持ち続けて、かつ、自分でできるところから広めていこうと思って、労基法の講演会しながら、ホワイトカラーエグゼンプションの話とかしているんですけど、みなさんも、そういうことがちょっとずつ変わっていく第1歩だと思うのでやっていただきたいと思います。 

 ネットができたことで、いままでは組合とかが一定の場所を確保して、そこで集まってやらなければならないという物理的な問題がありましたが、ネットで連携が取りやすくなったし、コミュニケーションも取りやすくなったので、広げていくという可能性は高くなっていると思うので、その点はみなさんのお知恵を拝借しながら、私もMOVEの活動に微力ですけれども参加していきたいと思います。

鈴木 厚生労働大臣にものを言いにいくというので、ネットで署名を集めたんですよ。そしたら、結果として1万人集まったんです。医師だけですよ。1万人というとどういう数字かというと日本に25万人しか医者はいなんですよ。半分は開業医ですから勤務医の1割はもうぼくとネットワークができているということなんです。

 革命というのは3%のときと5%セントのときと10%のときとちゃんと支持ラインがありまして、医師についてはそこのところに差し掛かっています。産婦人科医は厚生労働省とあと2発ほどやって堪忍袋の緒が切れたら、ゼネストやります。優生保護法の指定を全面返上するというのをまさに抜かない宝刀として、これを突きつけて、半年とか1年とか期限を決めて厚労省と産婦人科の団交の場を設けろという形です。そういう形で厚労省を追い詰めていますので、そうなったときはご支援のほどをお願いします(笑)。

宮台 今日はMOVEの予備会ですね。継続することが非常に大事だと思います。さっき話に出た、支援の基盤が弱いので、それをつくるための一つの活動だと思いますね。

 長期的には、いまの社会はいずれうまくいかなくなります。しかし、それは楽観的な要素で、短中期的な対応は必要なんですね。先ほど、永田メール問題がCIAがらみだったということを鈴木寛さんからおっしゃっていただいたので言うと、
2003年問題、2006年問題もそうなんでうが、やはりアメリカの力はすごくて一ヶ所だけとても的確なボタンを押すんです。その結果、政権中枢がアメリカに対して義理を感じるようにさせるわけです。今回のメール問題も政権の正当性が危うくなるその瞬間にメール問題が浮上してくるわけですから。それは政権中枢、首相官邸がどれほどアメリカに感謝しているかを考えれば、思い半ばに過ぎるわけです。

 加えて、悪い状況というのは大手メディア、テレビ、新聞を含めて、アメリカの保険会社が巨大な広告出稿をしているんです。物凄く巨大な額です。アメリカの保険会社とトヨタ自動車と電力会社が巨大な広告出稿をしています。なぜ東京電力が広告出稿するのか。東京電力が広告したところで東京電力の売上げがあるわけではなく、代替エネルギーなど電力以外のエネルギー広告を出稿させないようにするというのが大きなねらいなわけです。

 そうした経世会的なものとは違う、権益のネットワークはこの数年ですごく強化をされてきました。その結果、ぼくらのような第三者的な立場のものにとって、メディアは非常に操縦しにくいものになっているんです。インターネットは市民的な活動の追い風になっているように見えますけど、前回の選挙を見てもわかるように自民党は3000人をインターネットに動員していますが、民主党は鈴木寛さんががんばってやっていますけど、総数としては桁違い。太刀打ちできないわけです。

 インターネットも実は数の力。数を動員するのは金の力があるわけで、既存の権益を持った側に非常に有利に働きかねないわけです。そうした問題の総体を見据えて、うまく行動していかないとすごく一生懸命活動しているのに情報効率が非常に悪いということになりかねない。

 そういう意味では鈴木寛さんが一生懸命やってらっしゃるように人のネットワークをつくるしかない。金で動かなくても人の力で動く、コネクションで動くという状況をつくっていくしかない。ネットワークをつくっていくしかないですね。コネクションをつくっていくというのは非常に重要なリソースで、博報堂の方がいろいろ来ていらっしゃるようですけど、電通は完全に首相官邸に取り込まれてしまっているので(笑)、博報堂の方にもいろいろとお知恵をいただいて、あるいはそういうお知恵のある方とコネクションをつくって、それを軸にやっていくということが必要です。



                        第2部終了

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