第11回 息について(2)
 

 呼吸法への自覚と鍛錬がないところで、エチュードやシチュエーションの訓練を行うことが小手先の演技を生み出してしまうことに繋がるということを前回、指摘しました。この根拠は、呼吸法が身体所作と深い結びつきを持つからです。今回は、呼吸や発声と身体所作の関係について具体的に考えてみましょう。

 私のワークショップでは、発声しながら、腰から下の足の筋肉と腹筋と横隔膜を一連の繋がりを持って動かし、これを強く意識する鍛錬に力を入れています。つまり、体の軸となる腰とこれを支える下半身を動かし、これを強化することを鍛錬の基礎としているのです。

 第1回の「構えと形、決意について」で、俳優は身体によって何事かを表現する存在であるという点において、格闘家やスポーツ選手と何ら変わらないことをパフォーマンスという言葉を使ってお話しました。身体で何事かを表現する人が自己の身体への強い自覚を持つ鍛錬として、もっとも簡単で初歩的なことがスポーツ選手にも共通する、自分の筋肉の動きを知るということです。

 自分の身体所作がどのような筋肉の動きによって形づくられているかを意識することはそのまま自分の身体がいまどのように人に見られているかを意識することに繋がります。また、緊張と弛緩を自覚することで、より美しいパフォーマンスを造形するためにはどういう動きが必要かを知ることにも繋がります。

 しかし、何よりも大切なことは、第5回の「身体への自覚(1)」で述べているように、自分の筋肉を意識することで、演技の軸となるものとして身体を自覚することです。

 このために最も重要なのが、まず、自分自身の身体の軸を地に付いた状態で安定して、維持できるといことです。つまり、発声とも結びつく、体の安定です。安定した筋肉の状態を知ることで、身体を自覚し、心の置き所がわかるようになります。

 身体訓練の究極の目標は、呼吸と身体への自覚を通じて、そのときそのときの演技に求められる「心の置き所」を知ることなのです。

 たとえば、人が落ち着きをなくし、動揺しているとき、息は浅くなり、浅い分、呼吸の回数は多くなります。こうした状態を私たちは「地に足が付いていない」という言い方で表現します。事実、息が浅く、呼吸の回数が早いと、人の意識は心臓より上へと向かい、身体の重心が腹部より上へ上がります。結果、顔も目も充血します。場合によっては、頭部や顔から汗が吹き出ます。「上がっている」という日本語の適切な表現がここにあります。

 あるいは、座禅のように、心を平穏に保ち、安定した呼吸の状態で一定の姿勢を長時間保つようなとき、「丹田呼吸法」が使われます。へその下のツボ(臍下丹田)に意識を集中させ、腹筋の奥の筋肉を使って呼吸することで、重心を臍の下辺りに置き、体の中心の安定した場所に心を置こうとします。

 また、瞬発力を必要とするとき、私たちは息を止め、次の動作のためのエネルギーを息を止めることで蓄え、一瞬の動作の中で、声を上げる、すなわち、発声によって息を吐き出すことで高いパフォーマンスを得ようとします。

 つまり、呼吸法と身体への自覚の取り方で、私たちはその重心を動かしながら、力の緩急、リズムと心のあり様を調整しているのです。

 こうした呼吸と身体への自覚を与えられた演技の中で、意図して形にし、示すことがみなさんの仕事であるとするなら、みなさんにとって重要なのが、ゆるぎなく、そこに佇むという基本動作、一見、何も演技をしていないようでありながら、安定した姿勢と構えで「そこにある」という存在感なのです。

 何もしていないという演技ほど困難な課題はありません。それは何もしていないのではないからです。何もせずいるという姿には、設定された登場人物の性格やその時点でのドラマの状況が既に内包されていなければなりません。それを「いかにもそれらしく」演じないためには、いま述べた、呼吸と身体への自覚、そこから生理として浮んでくる意識のあり方、すなわち、心の置き所が俳優に見えていなくてはならないのです。

 この基本が演じられることが、その後の所作、演技の質をすべて決定するほどの力を持ち、それゆえに、私は、何もしないという設定の中で、演技の内実を示せとみなさんに要求するのです。

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